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肯定感の通貨とは?という話と、Podcastインタビューの話。

答え合わせのような日だった。
会社のとある場でとある発言をしたのだが、うまく伝わるような言い方ができなかったのではないか、ちょっと失敗したかなと考えていた。だが、夜になって別のミーティングで話した時、複数の人に意味がちゃんと伝わっていたことがわかり、ほっとしたのだった。そして嬉しくなった。

自分の伝えたい意思があって、それが相手に伝わっているとわかると嬉しくなる。元気が出る。まあナイーブな話とも言えるが、ある程度はそういうものだろう。伝える/伝わる、というのは人にとってなかなかに重要な要素なのだ、間違いなく。

では、「伝わらなかろうがなんだろうが構わない」「他人なんてどうでもいい」という心構えはタフなのか?確かにタフではあるかもしれないが、それは少々「雑」だとも言える気がする。
人が何かを言ったり書いたりするときには、つまり表現行為には、「伝える」という目的があるはずだ。である以上、伝わり方がどうであろうと構わないというのは嘘だ。
共感してほしい。こちらの意図をきちんと汲み取ってほしい。切実とすら言える思いがある。そのために手を尽くす。誤魔化しようのない事実だ。



自己肯定感の低い人は「自分なんて」という根拠のない思い込みがある。傷つきたくないから、自分を低く捉えてあらかじめ予防線を張ってしまうのだ。初めから落ちていれば、たとえ落ちてもダメージがないと考える。だがそれによってジワジワと精神は蝕まれてしまう。

自己肯定感を上げる方法としてこんなことが言われる。「他人を大切にするように自分を大切にしなさい」と。これは逆もまた然りで、自分がして欲しいように他人に接する。自分自身を思えばそうであるように、人は自尊心の塊なので、丁寧にされ、尊重されたら絶対に嬉しい。
また、欲しいものがやり取りされている世界に自分を置く。欲しいものとは優しさであったり尊重であったりだ。それは与える側でも受け取る側でもいい。いわば肯定感の通貨である。それがやり取りされている世界にいるためには、自分から働きかけること。自分の周りにそれらを発生させること。



話は変わるが、少し前にPodcastで話した。僕がPodcastと言うときはタローさんのチャンネルにゲストで出た時を指すわけだが、この時はインタビューという形でメインで話させてもらった。
脱線を恐れずに話していたら、やはりというか何というかしっかりと抽象的な話に流れて、もしかしたら聴いた人にとってわけがわからないという話になってしまったかもしれない。でも「面白かった」と言ってくれた人は複数いたし、何より話している自分はちゃんと面白かったので良しである。

このPodcastのラスト近くで「元気が出る」ということについて言及している。中でも話しているが、明るくポジティブ!嬉しいことがあった!なんてことだけが元気が出る要素ではない。
たとえばその人の本気が垣間見えたとき、この人は真実を話しているなと感じられたとき、誰かが何かを相手にちゃんと伝えられたのを見たとき。これらもすべて、自分にとっては「元気が出る」要素だ。「元気が出る」とは大きく言えば「生きる力が湧く」ということだろうし「世界も悪くないな」と思える瞬間だろう。

世界も悪くない、そう思えたらいいと思う。

Podcastのリンクを貼っておこう。1時間くらいの長さだ。Twitterの固定ツイートにしていることもあってか、カウンターを見ると日々少しずつ聴いてくれてる人が増えている。言いたいことを何もかもすべて話せたかというとそうではないが、お気に召していただけたら幸いである。

やぶさかではありません!