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箸【詩】

昔 子供心に
「箸」のようなものを使うことの理由について
考えたことがあった

身の回りに
スプーンやフォークなどの道具カトラリーもあり
普通に使っているのに
なぜ「箸」なのかと

米飯はスプーンで味噌汁も大方スプーン
おかずはフォークまたはスプーンで…とやっていると
何が何でも箸を使わねばならぬというシチュエーションが
想像できないのだ

まあ日本には
先に箸が普及していたからと言ってしまえばそれまでだが
欧米よりスプーンやフォークが伝わってから今まで
どうして無くならなかったのか?

これは
どうも機能的な面ではなく
別の理由があって
今のような状況になっているのだろうと想像できるが
ここではあえて詮索はしない

想像でものを言ってしまって申し訳ないが
おそらく
箸を使うことへの「美意識」を
重んじるためだろうと私は考えている


「美意識」が実用的な機能と調和した時
「用の美」という言葉が初めてそこに出現する


おそらく
東洋における箸は「用の美」を追究した結果の形なのだろうと
勝手に思っているが
これには何の根拠も理由もない

ただ自分がそう思っているだけだから
聞き流していただいて結構だ




(20220510/私之若夜=しのわかや)
※これは以前投稿した記事の再掲です。
 全体の形式を変えて改編してあります。
 画像はCanvaからいただきました。