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運だめし【詩】

宝くじって
買う派? 買わない派?
考え方は色々と
あるとは思うんだけどね

僕は 今では 買わない派

それでも昔 若い頃は
ギャンブルなんかも嫌いじゃなかった
一時期かなりハマりかけて
酷く大損したけれど
それが却って 今では とても
いい経験になっている


色んな人を見てみたり
僕自身を振り返ってみても
俗に言う「運」ていうのは
確かにあるって思うんだ


だけど「運の良し悪し」は
残念ながら予測は出来ない

それが証拠に何か起こる前に
「運」についての答えは出ない

ただ 出来るのは「運だめし」だけ


ところで「運だめし」のことを
「賭け」と言ったりすることもあるが
「運の神様」と「賭けの神様」は
厳密に言うと違うと思う

「賭け」は「賭博」で
そこには計算や
駆け引きなんかがあったりする

確率なんかも関係してきて
勝負する相手や胴元などが必ずいる

でも「運だめし」は違う
「運だめし」には計算や
駆け引きなんて必ずしも
必要ないってわかるだろう

そこには「祈り」のような力が
きっと働いていると思うんだ

僕は基本的に「運だめし」という
得体の知れない言葉のほうが
計算された「賭け」よりは
なぜか好きだし魅力を感じる

若い頃に「賭け」事で
失敗した経験が今は
僕の中では「幸運」にも
よい経験となっているが
ちょっと間違えれば「不運」にも
取り返しのつかない状況に
なっていたかもしれないのだから


誤解のないように言っておくが
宝くじなどのくじを「運だめし」として
買うのは僕は否定はしない

生活に支障のないように
楽しみの一つとして買う分には
まったく問題ないと思うし
そういう趣味があっていいと思う
(高額 当たればラッキーだしね)

ただ僕が そういう類のものに
近づかないのは 若い時
痛い目にあった反動だから
一種のトラウマみたいなものだ

趣味で買ってる人達は
どうか気を悪くしないでほしい


そんなわけだから申し訳ないが
僕は 宝くじは買わない派 だ



(20220504/私之若夜=しのわかや)
※これは以前投稿した記事の再掲です。
 写真はCanvaからいただきました。