誰でも被害者になれてしまう

上手くいかない人生、抑圧された日々、働けど豊かにならない暮らし。
国、社会、資本主義、親、他人、なんにでも責任を問えてしまう。

そして、自己責任論と他責論で世界は分断されるのです。

同情、共感、同調。
被害者としてのムーブをあらゆる羽衣が包んでくれて、肯定してくれる仲間も増えて「一人じゃないんだ、自分は間違っていないんだ、全て国や政治、環境や周りが悪いんだ」と、自分に優しい世界が、居場所がそこにあるように思えてしまう。
これもひとつの生きやすさには違いないのです。

だけど見方を変えれば、同調という羽衣は鎖となり雁字搦めにされ、いくら他責をしても世界は何も変わらず、黙々と時代は進み続け、何も解決しないまま心地良い地獄に取り残されていく。
それが現実です。

我々は現実を生きている。
自分に都合好く誰かが物語を変えてくれる事など残念ながら起こらない。
ならば、どんな理不尽も有事も何もかも乗り越える力を身に着けるしかない。

それは、被害者ムーブの麻薬に嵌ってしまえば絶対に身に付かない。

我々は皆被害者であるが、その前に戦士であれ。

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