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撮影紀行:北海道 札幌 2024/1

2023年12月31日から2024年1月6日まで、北海道の札幌に行っていました。

 飛行機に乗るのはコロナ前2019年のハワイ・ホノルル以来。国内では車か列車の旅ばかりだったから記憶にないほど、どれどれと過去の写真を漁ってみると最後に国内便に乗ったのは13年前2010年9月のこれまた北海道で1才2ヵ月の当時一人娘だった夢路を連れての道東巡りだったみたい。夏い懐い。

東京 羽田空港 2010/9
東京 羽田空港 2010/9
北海道 2010/9
北海道 2010/9
北海道 2010/9
北海道 2010/9
北海道 2010/9
北海道 2010/9
北海道 2010/9


海外に行くときは「せっかく行くんだしヨシ撮るぞぉ」と十数本のフィルムを持っていくほどの気合い。空港での手荷物検査時に「ハンドチェックプリーズ、ついでにプリーズ・プリーズ・ミー!」と頼み込んで、必ず目視でケースから取り出してジップロックに詰め込んだフィルムとカメラをチェックしてもらって、X線検査機を通すことによるフィルムの感光・色被りを防いでいた。

今回はわずか3泊(の予定だった。詳細は後述)、しかも国内旅行。なんとなく頭の片隅に残っていた以前ネットで見かけた情報「今の検査機ならISO 1600以下の中・低感度フィルムなら感光することない。やっちゃえX線。」を鵜呑みに、さらにそれを自分に言い聞かせるために「ってことは成田なんかの国際便向けX線検査よりも弱いんじゃないの、そうだな、きっと」と勝手に肯定的に解釈して、カメラに装填済みの残8枚の1本、そして未使用2本をなんの迷いもなく箱に乗せてX線検査へ、自分はのんきに全裸にハイソックスで金属探知機をビヨンド。

鎌倉に戻ってすぐにラボに現像を頼んで早速自宅でいつものようにまずはベタ(コンタクトシート)を取るために全体をスキャン。あ、え。あぁ、これやってるわ。やっちゃった。。みごとに全ロール全コマX線感光してしまってた。撮影済みコマは上からその影響が乗ってる程度、X線を通した後札幌に入ってから撮影したコマはまぁ綺麗に感光。とにかく絵が薄い。シャドウがない。ハイライトもサヨウナラ。そのまま全コマを本スキャン。その間全てのことを忘れるために縁側に移動してお茶をすすりながら庭の紅梅に集い楽しく遊ぶスズメ艦隊を小一時間見つめていた。はぁ、やっちゃった。

ネガが感光するとどういうベタになるのか、以下に通常のポートラとX線でバリバリに感光したポートラを。もちろん取り込んだ条件は同じ。

コンタクトシート #20230103 No.16
感光してない綺麗なフィルム。去年の軽井沢から。

 

コンタクトシート #20240107 No.05
X線で見事に感光した今回のフィルムを限界までしっかりと丁重に救い出す。

保管状態の悪い中で10年以上放置していた期限切れフィルム状態。光を吸収し色として反応する層がX線によって強制的に感光。感覚で言うと、さっと光を通して全体を中間色グレーの状態にしてしまったって感じ。そんな黒から白まで光量によって色トーンが変わるはずが、もうこの状態から撮影、光を通しても、「はい、ここはなんとなくレッドね、こっちはグリーン、そっちはなんとなくブルー、まぁ全体的に、なんとなく、クリスタルでいいね」となっちゃった感じ。はぁ。ほんと、やっちゃった。

こうやって全体が感光してしまったネガは、シャドウの黒に締まりが全くないことで粒子が目立つ。こういう場合、どうしてもハッキリさせようと中間を締めてコントラストを持ち上げちゃいそうになるけどそこはグッと我慢。それもよりもまずシャドウを妥協できる範囲(潰すところは潰す)までしっかりと締めて、同様にハイライトも雪の表情が飛ばない程度までしっかりと持ち上げる(できるだけ飛ばさない)ことで、階調の豊かさは通常よりも損なわれるがそれでも「この記録された中で」限界まで色とトーンを引き出すことできる。

その中から救い出せたコマから今回のフォトセットをまとめたので、トーンが浅い、暗い、やや潰れてる写真もありますが、それもこれもフィルムの面白いところでしょ、それもこれも一期一会ということで。という了見で写真達を読んで頂けると嬉しいです。


2023年12月31日から2024年1月6日まで行っていた北海道の札幌での写真をウェブサイトの「撮影紀行」にまとめました。


いろいろあった今回の旅。

最後に、いろいろあった今回の旅の思い出をメモとして。

毎年、年末の我が家の恒例行事となった来年の干支を我が家の外塀に描く準備。小1から6年生の虎まで描いた長女からバトンタッチして一昨年のウサギから描き始めた次女琴与。2年目にしていきなり想像上の生き物。上手く描けるのかなぁ、と自分も試しに描いてみるが、まぁ何度描いても蛇。ただのヘビ。こりゃ難しい。。と心配してると「パパできたよ。これでいいよね。」と持って来た下絵にまぁ参った。

琴与が描いたA3画用紙の下絵。


もうね、雲を描いてるの。しっかり飛んでるよね。これでもう、どう見たって龍。そしてこの見事な顔、カラダのウネリ。自分のただのヘビを見せなくて良かった。。だって自分は普通に緑色で描いてた。「あ、緑じゃないんだ」って聞くと「だって金色の方が格好いいジャン」って、大正解。

龍を描く琴与 鎌倉 2023/12


2023年12月31日。
29日から30日の忘年会。。を挟んで31日の午後、羽田へ向かうそのギリのギリまで丁重に描き続けていた琴与。そして最後に自身の落款と年齢を入れて今年も無事に完成。

琴与が描いた2024年の干支「龍」


この自身のサインと年齢を入れるようになったのは数年前から。娘が描く干支を毎年わざわざ遠方から見に来てくれる年配のファンの方からのアドバイスだった。

「このままじゃぁ、お父さんが描いたと思われる。だから自分だという証明を入れなさい。」

いやいや、自分にはこんなの描けませんよ。ってその場で「ほれ!」と自分のヘビを見せちゃうところだった。いろいろ危ない。


羽田空港には早めに向かって向こうでゆっくりしよう、と。14時に出発。15時過ぎには羽田空港に着いて年越しそば、がなかったら年越し稲庭うどん。そして悲劇が起こることも知らずに全裸で通過したX線、そして17時過ぎから搭乗口の前のベンチを確保して18時出発まで足を休めていた。

搭乗開始予定30分前17時半頃に、現地の雪のため1時間遅延のアナウンス。18時が19時発の20時半着予定に。まぁ、仕方がない。

そして19時が近づいたところで、さらに1時間半ちょうだい!と20時半出発予定になった時点で子供達はもう流石に限界ヨロシク。そしてこの時点で現地到着22時過ぎ予定。自分らと違って札幌市内よりさらに遠くへと向かう予定の人たちは交通手段がなくなるからと翌日便への振り替え手続きでカウンターが大混乱。30組以上は居たかな、年末年始で空席がほぼなかったようでお一人様ならなんとか行けるが2、3人組や家族旅行組は翌日でも取れなそうだった。ある家族は「一度帰ろう。。」と泣く子供を説得。ある若いグループは親に電話して「平気へいき、俺らネカフェでネスカフェやるほど違いのわかる男達だから余裕だぜ」って言ってた。いや、若い。自分も一度はネットカフェとかピンクのヤツとか入ってみたい。どうしたら良いかわからないから棒立ちしてそうだけど。

振り替え手続きがそろそろ締めきりってところで、新たなアナウンス。「搭乗口が変わります。150m向こうにダッシュして」だって。自分は足がダメだから家族でギリまでここに座って待つことに。

それから暫くして、この搭乗口の電光掲示板に新たな案内が出た。

「新千歳行き同社別便名 20時15分定時発

え?

うちらは18時発予定が20時半になった。だた搭乗口が変わり我々の誰にもアナウンスされることなく次の便の搭乗客が楽しそうに並び始めてススッと定時に「have a 良い旅を〜」だって。

自分と同様にここに座ったままノート叩いてたビジネスマンはかなり怒ってた。そうなるよね。自分はこういうの初体験だったのでこれが当たり前のやり方なのかわからない。ただその男性は「もう絶対この会社使わないぞ」と着ていたワイシャツを胸元から引きちぎってた。あのまま行ってたら彼はきっと全身緑色になってたね。いや琴与の描いた龍のように金色になってたかもしれない。ウエイトやってる人間誰もが目指すのはハルク。いつの時代も変わらないね。「いつまでも変わらない。。」ってまたネスカフェのキャッチが出てしまった。


結局離陸したのは21時22分。新千歳に到着して急ぎ足で札幌駅行き最終列車に乗って、へいタクちゃん!でホテルのロビーに着いたところで愛川欽也から「おめっとさん!」で2024年1月1日を迎える。本年もよろしくお願いします。


そして、この日。
1月1日午後16時に令和6年能登半島地震が起きた。

自分は外出していて気付かず。ホテルに戻ってきたところで地震を知る。ホテルでも揺れは感じなかったみたい。その後はずっとニュースを追っていた。


翌1月2日。交通機関を出てから足に負担が掛からない程度の範囲を歩いて夕方にホテルに戻ったところで身内から電話。

「羽田で新千歳からの旅客機が燃えてる。この時間の便に乗るって聞いてたが無事か?」

急いでテレビを付けると、2日後の4日に乗る予定と同時刻帯の新千歳発羽田行き旅客機が海上保安庁の航空機と衝突して炎上していた(日本航空516便衝突炎上事故)。もとからスイッチが入ると自律神経が乱れてどうしようもなくなるが、この時も動悸と汗が止まらなくなった。旅客機の乗客は全員無事だというニュースでようやく落ち着く事ができた。もちろん全ての荷物、ペットたち、そして海保機の乗組員5名の命が失われてしまったことはとても悲しいことだったが、それでも自分の気持ちが少し落ち着いたのは確かだった。


1月3日。この時点では4日の運行スケジュールがどうなるかは未定。欠航が確定してない段階で他の便や他の交通手段に変更したりキャンセルするのは「お客様都合」となって全額返金されないみたいだからここはグッと我慢。


出発当日の1月4日の朝8時過ぎだったか。電話受付け開始と同時にダイヤルオン。「暫くこのままでお待ちください。。」をスピーカーにしたまま朝食バイキング。1時間半ほど経ったところで、オペレーターに切り替わる。新千歳発羽田行きは30分おきに1日30本ほど出てるみたいだけど、事故のあった同時刻帯だけが間引かれたのか、他の時間帯の便は「遅延の可能性あり」だったが自分が乗る予定の便は早々に欠航が決定。オペレーターに振り替え便を希望すると「今ですと最短で5日後、1月9日の便となります。」だって。無理。潰せない予定もある。頼むから他社の便でも何でも良いからないの?と聞くと、「庄内や山形、青森空港発ならもう少し早い日のが取れそうですが。。そこまで札幌から行くには時間が掛かりすぎるようです、このまま9日の便を取る方が良いと思います。」とのこと。

どのみち今は全てネットの情報と電話もカウンターもリンクしてるからスマホから手続きしても同様です、と言われとりあえず電話を切って、ソーシャルメディアを使って「ヘルプミー!」。すぐに仲間の一人から「今ならまだ札幌から特急で函館に行ってそこから新幹線で東京行きが取れるかもです!」と連絡をもらい、「えきねっと」に接続、最短で2日後の1月6日の夕方、東京から鎌倉行き終電に何とか滑り込める「札幌〜(特急)〜新函館北斗〜(新幹線はやぶさ)〜東京」行きのチケットをゲット。

航空券とほぼ同額で列車代が取れたので、航空券はその場で全額返金手続き。あとは書類を用意して、延泊に掛かった宿泊費保障を「郵便で」申請しないと行けない。振り替えやキャンセルはササッとネットでできるのにこういうのは必要書類をプリントして封筒で。。とやるのが、まぁそういうことよね。どうも何日延泊しても一人につき最大1.5万円しか保障されないみたい。それでも一泊分でも戻ってきてくれたら助かるから忘れないうちに手続きをしておきたい。


列車で鎌倉に戻ることになった1月6日。
函館で次の新幹線に乗るまで25分ほど余裕がある。そこでゆっくり駅弁を楽しめば良いからとここでは何も買わず札幌駅14時半発新函館北斗行きに乗り3時間半の予定が10分ほど遅れて18時20分頃新函館北斗駅に着く。

さぁ、乗り換えだ、と特急の切符を改札に入れて乗り換えの新幹線はeチケットだからスマホを同時にポン、「ブー」。いや、ポン、「ブーー」。え、ポン、「ブーーー」。回りから凄い目で見られ押しくらまんじゅうしながら理由もわからずそのまま混雑する窓口へ。「なぜエラーになったんでしょうね。。」と言われながら手続きをして新幹線に乗り込み荷物を置いた時点で列車の遅れと改札ブーの影響で出発まで残り5分。。弁当が売ってるのはホーム二階のどこからしい。無理、間に合わない。あとは車内販売でもゆっくり待つしかないわ。。と諦めて、ひたすらホテルでもらってきたご当地飴を喰う。

列車が出発して暫くしてから、どんな駅弁があるんだろう、イカめしだろ、あとなんだ、肉か、と「"はやぶさ" + "車内販売"」とネット検索。

Q:東北新幹線に車内販売はありますか。
A:「はやぶさ」は東京~新青森間において車内販売を行っています。また、車内販売では弁当類、サンドウィッチ等の取扱いはありません。

え。

「JR東日本は2019年3月15日付けで、新幹線「はやぶさ」のお弁当、軽食類(サンドイッチ等)、デザート類、お土産類、雑貨類の販売を中止。ホットコーヒー、ソフトドリンク類、菓子類、アルコール類、つまみ類の販売は継続する。乗客による利用状況を踏まえて決定した。」


乗り換え含めここまで4時間。そしてすぐさままた4時間25分の旅がスタート。車内販売で手に入れたのはその中でも最も腹に溜まりそうだった「焼き干し芋」。満たされたのは一瞬だけ。その後ひたすらに喉が渇き屁が爆発しそうになり途中から通路に出てひたすら窓の外を見つめ続けた4時間25分。。


東京駅に着いたのは23時10分頃。
この時点で何も買える場所がなさそうなので弁当探しは諦め。そしていつも疑問なんだけど、なぜか地下奥深くまで行かないと辿り着けない横須賀線ホームに寒い中向かう。目指すは最後尾から一、二両目。そう、最後はゆっくりとボックス席でいざ鎌倉。

そして、鎌倉行き最終の横須賀線が到着。あぁ、綺麗な車両だ。そう、最新のスカ線がおまっとさん、と到着。

「2020年12月21日(月)から運転を開始した新型車両では、ボックスシートがなくなりました。」

もうね、千尋とカオナシのついでにフレームの端っこで映ってた半透明のおじさんみたいなアレ状態。


翌1月7日午前0時30分頃、約2時間の予定が2日延泊その後9時間半を掛けて、鎌倉着。

駅前のコンビニで赤飯と親子丼とオニオングラタンスープを買い込み、断熱材の一切ない札幌よりどこよりもキンキンに冷えた日本家屋の我が家に到着。露店で連れて帰ってきてから1年で錦鯉並みに巨大化した金魚のポニョに「1週間エサやらないってどういうことよ?」とスゲー顔されて、ゴメンよとエサやるとビュイっと尾びれで水掛けられ、そこから猛ダッシュでコンビニ飯をチンして喰ったら、はい胃痛。

キンキンに冷えた風呂でシャワーだけ浴びてさらにキンキンに冷えた布団に倒れ込んだのが午前3時過ぎだった。



それでも生きている。生かせてもらえてる。

「今」を必死に生きること。

シャッターを切ることが目的ではない。「今」のそこに常に自分を置いていくこと。

Always、日々精進。

本年もよろしくお願いいたします。

シン

2024年1月11日22時12分




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