自分の死期を決めようとした日
こんばんは、しんの・C・クラルテです。
某所で公開していた「デストルドーに取り憑かれて」を少し改稿しました。
デストルドーとは、フロイトが提唱した精神分析学用語で「死へ向かおうとする欲動」のこと。
どこにでもある少しフクザツな家庭環境で生まれ育った「私」。
難病に冒された母の闘病を見守りながら、淡々と思考する。
私はどう生き、どう死ぬべきか。生死の価値って何?
デストルドーに取り憑かれて
ある寒い冬の日、友人の声楽発表会にお邪魔した。
趣味で歌を習っていると聞いていたけれど、リアルな歌声を聴くのは初めてだ。
私は音楽全般に無学で、外国語にも疎く、何を歌っているのか分からない。友人に感動を伝える適切な言葉を思いつかない。それが残念だ。
無知な私でも、どこかで小耳に挟んだことのある歌曲だった。
私の母と妹はクラシック音楽が好きで、良質のものを聞き、学び、見聞を広めるために長年さまざまなエネルギーを割いてきた。
きっと私も、実家にいた頃に聞いたことがある歌だったのだろう。歌詞の意味が分からなくとも、友人の声は瑞々しく澄んでいて美しかった。
*
ヒトは何のために生まれてきたのか。生きているのか。
時代と国を超えて、何度も問われ続ける哲学的な問いかけ。その答えはヒトの数だけあるだろう。
私は、ヒトは美しい記憶を持ち帰るために生まれてくるのだと思う。
けれど、輪廻の果てにすべてを手放し、すべてが塵に還るとしたら。記憶を持ち帰ることなど不可能かもしれない。
ならば、私が美しい記憶そのものになればいい。誰かの記憶に残るように、精いっぱい生きればいい。しかし、その記憶もいつか塵になる。塵とはゴミである。
美しいもの。醜いもの。
美しい行動。醜い行動。
美しい記憶。醜い記憶。
賢いこと、愚かなこと。
強いこと、弱いこと。
自分のすべてを引き換えにしても守りたい愛しい者。記憶。
自分のすべてを引き換えにしても殺したい憎い者。記憶。
すべて等しくゴミである。
例えるなら、燃えるゴミと燃えないゴミ。その程度の違いでしかない。
*
私は物心がついた時から、デストルドーに取り憑かれている。
デストルドーとは、「死へ向かう情動」を意味する。狂気の沙汰かと思われるかもしれないが、遅かれ早かれヒトは必ず死ぬのだから、誰もが持ち合わせている本能とも言える。
別に自殺を企図しているのではない。昔も今も、自分の手で自分自身を傷つけたことは一度もない。この先もないだろう。私は人一倍チキンである。苦痛は避けたいし、流血などあり得ない。
だが、自然ななりゆきで命を手放すことができるなら。
自分の命に価値が欲しい。生きている理由が欲しい。
そんなエゴイスティックな動機で、私は献血ルームに通い、骨髄バンクに登録している。崇高な気持ちは微塵もない。
死後の肉体は、どこかの医大に献体するか、できることなら鳥葬したい。チベット辺りではいまでもやっていると聞く。
自然の法則、食物連鎖にのっとり、やがて土に還る。それは生き物の定めだ。美しい死だと思う。生きながら食い物にされるのはゴメンだが、死後ならば喜んで食い物になろう。
私もまた、さまざまなものを食って、これまで生き長らえてきたのだから。
私はずっとそう思ってきた。
命の価値とは、生の価値であり、死の価値である。
どう生きるか、が生の価値。
どう死ぬか、が死の価値。
*
もし、死期を自由に設定できるとしたら、今がその時だと思う。
就職難を乗り越えて社会人になってすぐ、家族は私に生命保険をかけた。定職に就いているのは私だけだったから、私の身に何かがあったときに残った家族が路頭に迷わないようにと。
才能豊かな妹が音楽を学ぶためのレッスン費用、学費。そのために移り住んだ家のローン返済。生きるには多額の金銭がいる。
いまより少し可愛げのあったティーンの頃。ついうっかりとデストルドーな心情を漏らしたときに、母は呆れて「がっかりだわ」と言った。
「あんたを生み育てた時間は無駄だったと思いたくないの。ヒト1人育てるのに、どれほどの経費と労力がかかるのかよく考えなさい。もっと役に立つ人間になりなさい」
一理ある。発作的なデストルドーは鳴りを潜めた。
あれから何年経っただろう。いま、私が成人するまでにかかった経費と労力は、利子付きで充分なほど返したと断言できる。金銭以外にも、言えること、言えないこと、さまざまな貢献をしてきたと自負している。
父は人の下で働くことを嫌って採算度外視の事業をしているから、私はいつの間にか一家の大黒柱となっていた。
*
あるとき、私は自分が置かれた境遇に疑問を抱いて、家族の元を離れた。これからは自分の為に生きようと思った。だが、家族を嫌いになったわけではない。今も複雑な心境を抱えているが、昔と変わらず家族を大切に思っている。もちろん自分のことも。
私の生命保険金は、母が受取人になっている。若い頃の母は、よく酷いヒステリーを私にぶつけた。あたたかな記憶よりも痛みをともなう記憶の方が圧倒的に多い。それでも私は母の生い立ちに同情的で、幸せになってほしいと願っていた。
母が治る見込みのない難病におかされてから2年が経過した。同じ時期に発症した方は、すでに故人となっている。
母の発病後、私は距離を置いていた実家にときどき帰るようになった。家族と過ごしながら、父の老いと母の余命を感じるにつれ、いろいろ考えるようになった。
母の死後、私は保険金の受取人を父や妹にしたくないと考えている。私は生きながらあなたたちの糧になってきた。死んだときの糧は、母に捧げよう。私の命の代金なのだから、私が使い道を決めたい。
もし、私が先立つことが叶うならば。母が望む最期と葬儀を実現することができるのだ。
こぢんまりと身内だけでいい。読経の代わりに母が愛した音楽を流し、白黒の垂れ幕の代わりにレースのカーテンを下ろし、モネの庭のように朝採れの生花で棺を埋め尽くしたいのだと言う。
母が望む美しい死出の旅路。それは夢のように綺麗な光景だろう。だが、一般的ではないセレモニーを用意するには大金が必要になる。
私の命の代金は、母に使ってほしい。それが私の願いだ。
命の価値とは、生の価値だ。
そして、死の価値でもある。
どう生きるか、が生の価値。
どう死ぬか、が死の価値。
私の命、生と死の価値。死期を自由に設定できるとしたら、もっとも価値ある時は「今」だろう。
自分の手で自分自身を傷つけたりしない。だが、自然ななりゆきで命を手放すことができるならば本望だ。今が一番いいと切実に思う。
望む未来へ向かって、意志と想いのエネルギーを注ぎこんだら、私の願いは叶うだろうか。
この物語の結末を見届けるのは、誰だろう。
あとがき
現在ではなく、昨年(2018年)2月ごろに考えていた話です。
結局、計画を立てただけで実行には至らず、いまだにくすぶっています。
母は年末に他界しました。看取った日の夜に、即興で書いた話はこちら。
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