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スミソニアン自然史博物館(1)ホープダイヤモンドとジュエリーは歴史を語る

アメリカ、ワシントンD.C.にあるスミソニアン自然史博物館(Museum of Natural History, Smithinian)は国立自然史博物館でもあり、入場無料で世界でも屈指の展示物が鑑賞できます。

😍←絵文字で表せば、このマーク1,000倍のテンションで訪れるミュージアム

映画「Night at the Museum 2」の舞台にもなった博物館です。そして、同じく映画の舞台にもなった「航空宇宙博物館」も近くにあり、そちらも見応えがありました。

入り口を入るとアンゴラから来たアフリカ像の剥製がお出迎え。宝石と鉱物コーナは2階で、高級ダイヤモンドのハリー・ウィンストンのギャラリーもあります。

ハリー・ウィンストン


ハリー・ウィンストンは1958年に45.52ctのブルーダイヤモンド、「ホープ・ダイヤモンド」を博物館へ寄贈しました。全世界の人への贈り物として。

ギャラリーの部屋の中心、回転式の台にホープ・ダイヤモンドは置かれていて、四方向から眺めることが出来ます。その角度が変わる時の輝きがとても美しく、本当に魅惑的。週末は多くの人でしたが、平日の午前中はゆっくり見ることができました。ワシントンD.C.滞在中の1週間、私は毎日自然史博物館に通いました。私の人生でも贅沢な1週間…、入場無料は本当にありがたかったです。動物や昆虫もじっくり見て周りました。

Hope Diamond

ホープ・ダイヤモンドのクラリティはVS1で、ブルーダイヤモンドの周りに約1ctのホワイトダイヤモンドが16個、チェーンには46個のダイヤモンドがセットされたプラチナ製のネックレスになっています。と、さらりと書きましたが、1ctのダイヤモンドだけでも結構な大きさで、それをぐるりと囲むなんて!ブルーダイヤモンドがいかに大きいか想像できますでしょうか…。

さて、なぜホープ・ダイヤモンドは青いのでしょう?

これは、不純物として含まれる微量なホウ素に起因しています。2019年6月 Natureに掲載されたGIA(米国宝石学協会)の記事によると、とても珍しい起源でホープ・ダイヤモンドは生成されたそうです。それは、通常ダイヤモンドが生成される地中深くではホウ素はほとんど存在しません。その為、「なぜダイヤモンドの生成時にホウ素が含まれたのか?」が長年の疑問になっていました。

タイプ IIb ダイヤモンドとしても知られているブルーダイヤモンドの色は、微量のホウ素が原因で生じます。この研究では、ブルーダイヤモンドは、ホウ素がほとんど存在しない地球の下部マントルの深さ410マイル(660キロ)以上の場所で形成されることが判明しました。ブルーダイヤモンドにある鉱物インクルージョンから、それらのダイヤモンドが深く沈み込んだ海洋プレートで形成されたことが確認できます。この研究を行った著者たちは、ダイヤモンドのブルーの色の原因となるホウ素は、地球の内部に運ばれた古代の海底で発生した可能性があるという仮説を立てました。これは、地球の表面にあるホウ素などの元素がプレート テクトニクスによってマントルの奥深くに再びどのように循環するかを示すため、科学的に重要となります。

Nature 2019 June

ホープ・ダイヤモンドは地球が産んだ奇跡の石ですね!こういうことを知ると「呪いのダイヤモンド」と言われ、そこへフォーカスするのはどうなんでしょうねー🙄

Natureの記事(英文)↓


また、鉱物学者でこの博物館の長年の鉱物と宝石部門のキュレーターでもであるMr. Jeffrey Edward Post がGem-A(英国宝石学協会)のインタビュー(2017年)で、

スミソニアン博物館には、「コレクション内のすべての標本は研究に利用できる」という言葉があります。なぜなら、そこから学ばないのに、なぜこれらの標本を保管する必要があるのでしょうか。

ホープ ダイヤモンドは、地球の一部である非常に希少なブルー ダイヤモンドです。 私たちは地球について何かを学ぶために鉱物や結晶を使用します。ホープ ダイヤモンドには、それがどのように形成されたか、どこから来たのか、他のダイヤモンドとどのように違うのかについて私たちに伝える独自のストーリーがあります。 それがコレクションにあるということは、私たちが研究できることを意味します。

Gem-A

Mr. Jeffrey Edward Post のインタビューの記事(英文)↓


まさに、

ホープ・ダイヤモンドは10億年以上前から存在しています。

地球の奥深くで形成されて以来...
...大西洋は開いたり閉じたり、また開いたりしてきました。
...恐竜は現れては消えていきました。
...人類は進化し、地球上に広がっていきました。

ダイヤモンドに限らず、私が宝石は偉大だと思うのは、地球が躍動していた時代を知ることができ、そしてその産物を見ることができること。そこに強い浪漫を感じます。だから、非加熱や無処理の宝石に心惹かれます。3回目の記事から宝石、鉱物をメインで書きますが、今回と次回はお宝ジュエリーにフォーカスしましょう。Mr. Jeffrey Edward Postは「UNEARTHED」という本を出版しています。日本語版も出版されています。

この本も参考にしながら、私の目と心に留まったジュエリーをご紹介します。この本のおかげでジュエリーを通して歴史を知る楽しさを学びました。さー、行きますよ!

お宝ジュエリーの部屋、神々しいです…

まず感動したのは、

Marie Antoinette Diamond Earrings

マリー・アントワネットのイヤリング(憶測)です。それぞれのダイヤモンドは20.34ct14.25ctで、ルースの状態で比べると大きさに差がありますが、イヤリングにセットされると同じ様に見えますね。

このペアのダイヤモンドをマリー・アントワネットが所有していたかどうかは確実ではありませんが、調査の結果はかなり信憑性が高いそうです。それは、ダイヤモンドのカットが18世紀後半の手法であること。クラリティもカラーもレベルが高く、この様な高価なものは王室(貴族)しか保有できないこと。1889年のフランス王室宝石史にはマリー・アントワネットがこの大きと形のダイヤモンドを身に着けていたと記されていることなど。

1928年にMs. Marjorie Merriweather Postがカルティエから購入した時には、「マリー・アントワネットのものである」というカルティエの証明書が付いていたそうです。

同じくMs. Marjorie Merriweather Postが寄贈した歴史的なジュエリーに、

Napoleon Diamond Necklace(左) Marie Loise Diadem(右)

左のダイヤモンドのネックレスは、ナポレオン1世が2番目の妻、マリー・ルイーズに息子誕生時に贈ったもの。1811年にパリのジュエラー、Etienne Noitot et Filsが制作しました。

234個のダイヤモンドの総量は約263ct! 一番大きなものは約10.4ctになります。色もカラーレスかほぼカラーレスと最高品質です。その後いろいろな人の手に渡り、1960年にハリー・ウィンストンが入手、その2年後にMs. Marjorie Merriweather Postに売却され、その後博物館へ寄贈されました。

右の王冠はナポレオン1世からマリー・ルイーズへの結婚の贈り物です。当時の王冠は79個のコロンビア産のエメラルドがセットされていました。

(UNEARTHEDから抜粋)

エメラルドだとまた違う印象の王冠になりますね。Van Cleef &Arpelsによって、1954年から1956年の間にエメラルドは外され、ペルシャ産のターコイズへ置き換えられました。上の画像のエメラルドのネックレスとイヤリングはルーブル美術館で展示されているそうです。

(UNEARTHEDから抜粋)

ターコイズの王冠を身につけるMs. Marjorie Merriweather Post。服のデザインにもターコイズ色の刺繍がされてあります。この時のご年齢は80歳、そう見えないほど若々しく爽やかな色がお似合いです。宝石、ジュエリーは何歳になっても人を美しくするし、それに負けない気品も本人に必要なんだと思います。あまりジュエリーを身につけない自分が言うのもですが😝

彼女は、ジュエリーを個人的な装飾品としてだけではなく、展示できるような芸術作品と見ていたそうです。だからジュエリーを身につけなくても愛でる楽しみが高級ジュエリーにはあって良いと思います。

さて、博物館のディスプレイも芸術的だと思いました。暗い中に浮かび上がる、

ひとつのケースにエメラルドのジュエリーと原石が並べられています。ここからエメラルドのジュエリーの世界へ行きましょう!

Mackay Emerald Necklace

167.97ctのエメラルドが、バゲットカットされたダイヤモンドに囲まれているカルティエのデザインです。その大きさは横5センチ、縦5.8センチ。是非指でその大きさを作ってみてください。とても大きいでしょう?メトロポリタンオペラの歌姫Ms.Anna Caseへの結婚の贈り物として、夫のMr. Clearence Mackayがカルティエから購入しました。

博物館への寄贈の時に白い革製のケースの中に「このネックレスは元々はロシア王室の為に作られた」というメモが入っていました。裏付けがない為に真意はわかりませんが、結婚した1931年は、1929年の世界恐慌があった後で、ロシア王室もオーダーはしたものも購入をキャンセルしたのかも知れませんね。

透過光での色合いもインクルージョンの表情も素敵。このエメラルドはコロンビアのムゾー鉱山からの産出されたものです。なぜなら、

エメラルドの中のパリサイト(UNEARTHEDから抜粋)

鉱物パリサイトのインクルージョンが確認できます。パリサイトはエメラルド鉱山の白亜紀の瀝青質に富んだ石灰岩中から見つかるもので、このインクルージョンがあるとムゾー鉱山の証明になります。

インクルージョンは語る、だから宝石のインクルージョンは大切です。

さてお次は、

Maxiamilian Emerald Ring

メキシコの皇帝マクシミリアンが所有していたのではと云われる21.04ctのエメラルドをセットした指輪。1928年にMs. Marjorie Merriweather Postがカルティエから購入する時にそう言われたそうです。(推測)

歴史に詳しい人なら、マクシミリアンが不運な皇帝であるとご存知かもしれませんが、私はハプスブルク家の中で好きな人物です。マクシミリアンは、自然史に興味があり、植物の調査でアマゾン流域の熱帯林を訪問しています。その時にエメラルドも購入したのでは?と推測されています。真意はわかりませんが、植物好きから始まり鉱物や宝石に興味を持つ人もいますよね。この大きさだと財産として購入したとも考えられます。

さてお次はインドから、

Post Emerald Necklace

撮影した時に、影が可愛いと思ったエメラルドのアール・デコ調のネックレス。総計650ct以上のインディアンカットのエメラルドに、約1,350個のダイヤモンドが使われたプラチナ製で、1928年にロンドンのカルティエが制作しました。たくさんのダイヤモンドを高密度でプラチナにセットしている点がアール・デコの特徴のひとつです。エメラルドがネックレスに固定される仕方はインドの手法です。

1925年、インドのパティアラのマハラジャは、持っていた多くの宝石を新しくカルティエにデザインを頼んでジュエリーにしました。これ以降インドのマハラジャたちの間で同じようなジュエリー製作が流行します。これがカルティエのアール・デコのデザインを推進したそうです。

1929年にMs. Marjorie Merriweather Postがカルティエから購入、1964年に博物館へ寄贈されました。


こちらも同じくインドから、

Maharaja of Indore Necklace

インドールのマハラジャのネックレスです。15個のエメラルドのうち、中央にある大粒の44.84ctは透明度が高く、最高級レベルのコロンビア産です。この細長い形のカットは伝統的なインドのスタイルで、ゴールドを使用しないでも着用できるように中央に穴が空いています。また、可能な限り最大の大きさを保持することと、産出された結晶を活かすように角の部分だけが丸く研磨されています。これは16から17世紀頃のムガール帝国時代に研磨されたと言われています。

何よりユニークなのは、インド産出のダイヤモンドのカットです。十六面のオールドマインカット(テーブル面が小さく上部に厚みがある)で、二つの穴を開けてワイヤーを通してネックレスに固定しています。

次のエメラルドは、

Hooker Emerald

75.47ctの約3センチ弱くらいの、ほぼ正方形にカットされたエメラルドのブローチです。このエメラルドは、オスマン帝国第36代スルタンAbdul Hamid 2世が、所有地を売却したお金で購入したものです。その後1911年のオークションに出され、ティファニーが落札して新しくデザインしました。エメラルドの周りには109個のブリリアントラウンドカットのダイヤモンド(合計約10ct)と20個のバケットカットのダイヤモンド(合計約3ct)が使われています。

1955年Ms. Janet Annenberg Hookerがティファニーから購入、1977年に博物館へ寄贈されました。Ms.Hookerは博物館設立に多大に貢献した人物の一人です。

彼女は地質学、宝石、鉱物ホールの建設費である1,000万ドルのうち、その半分を寄付しました。そして数々の貴重なジュエリーも寄贈。その最初の寄贈ジュエリーがこのエメラルドのブローチです。

次回もお宝ジュエリーとの歴史のお話しを書きますね😊

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