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嬰喰の女(えばみのおんな)

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

四の下、厚木アツギホタルノ宇津保ウツボ

 クサビたちは晴れ渡った空の下をザワの母の居所に向かう。

厚木の集落を抜けた先に小高い山が見えてきた。

麓から続く急勾配の石段を上ると、貞観の大噴火前からのものなのか蒼然とした杜に隠れて古びた祠があった。

さらにその杜に分け入り斜面を北側に回ると岩屋があった。

入り口周辺には割れた土器かわらけが散乱していてどれもが錆色に赤く染まっている。

ザワの母はこの中に居ると言う。

「三秋になる」

 ザワが絞り出すように言った。

クサビが身をかがめて中を覗くとすぐ手前で二方に分かれていてどちらの奥も見えないが、洞内の饐えた土気の匂いから推して嬰嶽の巣であることがすぐに分かった。

クサビはザワに小袿を渡し、ユウヅツを下の祠まで連れて行って見張っているように頼むと一歩中に足を踏み入れた。

天井は低く赤錆色の壁が奥に向かって続いている。左手はすぐに行き止まりで、土気の匂いは右手の奥からしているようだ。

じめついた中に進むとすぐに光が届かなくなった。

クサビは脂燭に火を灯し壁に頼って洞内を進む。濡れた壁は丸みを帯びた小さな突起物がいくつも連なっていて蝋のように滑らかだ。

洞は奥まるにつれ傾斜していて滑りやすく、草鞋に付いた泥濘の重さを足指に感じながら転ばぬように慎重に進む。

さらに洞内を行くと、前方に一点の紫の光が見えてきた。

クサビはそれまでの咽返るほどの土気が晴れて息苦しさが少し和らいだ気がした。

灯に導かれつつさらに進むと、段々と足もとが水に浸されてきて、気付けば腰のあたりまで水没していた。

その水は温かくそのままそこで安らいでいたい気にさせる。

クサビは脂燭を捨て、手で水を漕ぎながら灯りに向かって行く。

近付いて見ると、池の中に苔生した小島があって、そこに尺高の燈台が置かれ紫に光る玉が乗っていた。

 クサビが寄せると小島が小さな波音をたて上下し、小島の燈台も右に左に揺れる。まるで波間の小舟のようなそれはおそらく浮島なのだ。

クサビは燈台を倒して紫玉を落とさぬように慎重に取りついて浮島に這い上がると辺りの水域を見渡した。

そこは大きな池の中らしいのだが、光が弱すぎてすべては見通せない。

上を見上げてもどれくらい高いか分からない。

クサビが腰を下ろすと温かい水のせいなのか浮島の上はとても居心地がよかった。

手に触れた地面は柔らかな苔が程よく乾いて感触が良い。濡れたクサビの装束もいつの間にか乾いて、心地よい眠気が襲って来る。

クサビはそのまま横になってみた。

苔に触れた耳元から聞き覚えのある懐かしい音が響いて来る。

クサビはいつしか目を閉じていた。

 後ろに何かの気配を感じる。

寝返りを打つと昨夜の童女が燈台の横に立ってこちらを見下ろしていた。

その童女は今度はユウヅツそのものでクサビの実の子なのだった。

クサビは夢の中にいる。

この洞が見る夢に取込まれたのだ。

クサビは童女の目を見た。

そこには昨夜と同じ陰惨な色が浮かんでいる。

クサビはその濁った眼に微かな隙間を見つけ、童女の苦悶に滑りこんで行く。

 そこに童女と母がいる。

母は跪き童女を抱きしめている。

母は童女の顔を見て別れねばならないと告げる。

童女は表情を変えぬまま母を強く抱き返して放さない。

母は顔をゆがめ痛みにもだえるが、童女の抱擁はさらに強く母を締め付ける。

母が両の手を突っ張り童女から逃れようと胸を反らした時、童女は片手に隠し持った脇差を高く掲げ、それを真っ直ぐ母の胸に突き立てた。

童女は凍り付いた水面のような表情をして何度も何度も母の胸に脇差を突き立てる。

脇差に吸われた血が燈台から溢れ出し、苔の根を伝って周囲の水を赤く染めてゆく。

あまりに夥しい血の量で池の水がじわじわと上昇しクサビの居る浮草を持ち上げる。

気付けば上は天蓋がすぐそこに迫っている。

それは肉襞が絞り込むよう中心に集まっていて、池の血潮を欲するがごとく急速に接近して来る。

天蓋がクサビの手の届くところまで達っし、ついに燈台がその肉壁の中心に突き刺さる。

紫玉の光が消え、辺りは漆黒の闇に包また。

クサビは天蓋と浮島に挟まれ血の池の水で息ができない。

クサビが死を想った時、凝集していた肉壁が急激に緩み中心に穴ができた。

そこから陽の光が差し込んだかと思うと、クサビは血飛沫とともに一気に洞の外へひり出された。

 外から見た洞は巨大なうつぼのごとき嬰嶽、厚木蛍宇津保アツギホタルノウツボだっだ。

尻の穴から血飛沫を飛び散らして周囲を錆色に染め、這いずりながら杜の木々を押し倒して祠に向かってまろび落ちて行く。

そこに母を想って心配顔のユウヅツと、同じく母の真の姿を見て驚愕するザワがいる。

嬰嶽は祠を押しつぶし、石段のユウヅツたちにその大口を開き襲いかかった。

クサビの憎悪が解き放たれたのはその時だった。

厚木蛍宇津保に向かってクサビの嬰喰が襲いかかる。

嬰喰に憑かれた嬰嶽は己が体を石段にたたきつけもがき苦しむ。

クサビも嬰喰の中で恥辱に耐える。

クサビの真白い乳房が、四肢が、黒髪が嬰喰の表皮を流れ横切るのが見える。

クサビは苦悶に引き裂かれながら厚木蛍宇津保の心魂を見極めるため意識を集中させる。

 クサビは嬰嶽の脈動に耳を澄ます。

そしてクサビはついにあの叫び声を聞いた。

しかし、叫んだのは童女でなく母親のほうだった。

母は顔を両手で覆い、伏しまろんでいる。

その傍で童女がその母を見下ろしている。

母は童女に言う。

殺されたはずの母が生きていて、母を殺したお前がいない。

何故お前はいないのか。童女が答えて言う。

そうではないと。

脇差を手にしたのは親なる母だった。

親なる母は別れを告げるとその笑顔のままに脇差をわが胸に突き刺したのだと。

嘘だと母が言う。

ならばあの夢は何なのだ。

何度も何度も夢は母を苛み苦しめる。

お前が母を殺すあの夢は何なのだ。

童女はそれは母が母を苛む夢なのだと諭す。

己が犯した罪障を己が裁かんとする夢なのだと。

「汝の劈開を示せ!」

 とクサビが言うと、母が声のない叫びをあげ、いっさいの蝕穢を受けんと身構えた。

母の心魂が姿を現した瞬間だ。

クサビが事後の打槌を案じるよりも先に、大いなる衝撃が劈開に向けて放たれた。

予想外の打槌が敢行されたのだ。

すかさずクサビが母の劈開へ向かって嬰喰を放つ。

嬰嶽、厚木蛍宇津保はすべての相を一度に現し、それとともに洞の口が捲れ上がってその禍々しい内奥一切を血潮とともに晒し尽くすと、紫玉一点にすべてが凝縮し、遂に昇華、宙に霧散した。

――ここに嬰嶽の一、厚木蛍宇津保アツギホタルノウツボは解除されたのだった。

 クサビが光に導かれて目を覚ますと、傍らにザワが立って見下ろしていた。

どうしてこの世に戻れたのか。打槌を敢行したのは誰なのか。

スハエを探したがいなかった。

「スハエか?」

「そうではない」

 と言ってザワが指さした先にはユウヅツが涙を流してこちらを見ていた。

「この子が?」

 ザワが無言で頷いた。

 クサビは、ユウヅツが打槌をしたことに驚愕し動揺した。

なぜならそれは、ユウヅツもまた嬰喰を身中に宿す者、嬰喰使ということだからだ。

昨夜の叫び声の主がこの美しい娘の中にいた。

クサビの頬に涙が伝った。

 ザワは小袿をクサビに掛ける。

クサビは右肩に新しい疼きを感じ愉楽の時を思い出した。

ユウヅツがクサビの首に抱き着いて来る。

クサビがユウヅツを抱き返すと髪から乾いた土の匂いがしていた。

 ザワは多くを語らなかったが、自分が衛士になれたのは義父のおかげだと言った。

義父は母と幼いザワのみを欲した。

厚木蛍宇津保アツギホタルノウツボは母の弱さをどんしたのだった。

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