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キューバ旅行記 あとがき



20年前のキューバ旅行の日記を6回に渡りnoteで公開した。

僕にとっての極個人的な記録を皆さんに見てもらったわけだが、公開にあたり、当然自分でも当時の日記を何度か見返すことなった。

その中で少しだけ心に引っかかった部分があった。

以下、日記本文から引用する。

別にキューバについて多くを知っているわけでもない。
ただなんとなく、本当になんとなく、海外旅行に行くならキューバしかないなと以前から思っていた。

この「なんとなく」を説明できないなら、わざわざ文章化するなって感じかもしれないが、「なんとなく」僕に旅行しようという意思を与えたキューバという国は、やっぱり不思議な魅力を持った国であるのだろう。

キューバ旅行記本文より


この「なんとなく」の部分を、20年経った今なら少しは言語化できるのではないかと思ったのだ。

この20年で、色々なことがあった。
社会人になったり、結婚したり、子どもができたり。
考え方も価値観も結構変わったと思う。

でも変わらない部分があって、それは「一見綺麗でツルッとした質感のもの」よりも、「ザラついていて、くすんでいるかもしれないが温かみのある質感のもの」の方が好きだということ。

でも、それらを語る時に「アンティーク」とか「ヴィンデージ」という言葉を使いたいわけではない。

郊外にできた「●●ポート」といった大型商業施設に入っている飲食店・カフェより、町の片隅?にある個人営業の喫茶店や定食屋の方が好きだという気持ち。

あるいは、耳触りの良い売れ線のポップな音楽より魂や熱情、怨念がこもったブルースやジャズ、沖縄民謡などのルーツミュージックが好きだとか。

効率優先ではなく手間も時間も費用もかかるが、丁寧に作られた製品や食品が良いであるとか、そういうことを言いたいのだ。

そういうのを今は「持続可能な社会」といった言葉で一括りにされがちだが、それはなんだかちょっと違う。

22歳の(それは今もであるが…)僕が求めていた質感がキューバにあったのか?
YES or NOで答えるならば、「YES」だと思っている。

そういった質感を求めて、山くんと2人で遠いカリブ海の島国に旅行したということだ。

そして、「そういった質感」というモノは、ここ10年でさらに追い込まれていってしまっているように感じる。

それに対抗すべく、旅行記を公開したというとカッコつけ過ぎになるが、結果として今までに書いたようなことに気づくことができたのは良かったと思う。
考え方や姿勢、嗜好が日々変わっていく中で、変わらない感性も自分の中にあるということに気づけたのは良かったんだと思いたい。

最後に2つの言葉を引用する。

「思い出」は
思い出す時が楽しくなるまで、
取っておきましょう。

「決めつけてはいけません、他人を。何より自分を。」秋田道夫

「思い出すことは再び生きること」

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・アディオス」の中のルベーン・ゴンザレスの言葉


そうやねん。そうやねんな。

日々は続く。

キューバ旅行記 完

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