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休みとか、ないから。

学生の頃はあった!
会社員時代もあった気がする!
でもフリーランスになって確実になくなったもの。
ゴールデンウィークだ。

その概念がいつの間にかなくなった。
フリーランスになって23年ほど経つ。
ゴールデンウィークにまとめて休んだという記憶がない。
たぶん最初の1年目は1年がまるごとゴールデンウィークだった。
なにせ仕事がまったくなかった。
その後の何年かは、たぶん脇目も振らず仕事してた。
仕事のやり方がヘタだったから、無駄に時間もかかってたし、時間配分もペースもめちゃくちゃで、今ほど忙しくはなかったはずだけど、仕事にずっと追われてて、ゴールデンウィークなんかは、休むというより倒れてたかもしれない。

本格的に「仕事」が忙しくなったのはフリーになって5、6年経った頃だと思う。
はっきりは覚えてないけど。
その頃から「大型連休」のようなものとは無縁になった。

ゴールデンウィークに限らずだけど、大型連休はどちらかというと仕事の「ゴールデンタイム」になった気がする。
仕事を依頼してくる編集の人は休みのスタンスがバラバラで、連休にがっつり休む人もいれば、休まない人もいて、たくさんの案件をやっていると、どっちの人もいるので、結局、連休中だろうが関係なく連絡がくる。
連休をズラしてとる人は連休中に仕事をしてそれ以外の日を休むし、しっかり連休をとる人はその前後に猛烈に仕事を詰めてくるし、結局こっちはどちらの相手もするので、ずっとゴールデンタイムが続くことになる。
大型連休、前後もふくめてなかなかの修羅場になるのだ。
以前は、「連休中に作って連休明けに送っておいて、よろー」みたいな人もたくさんいたけど、最近は少し減った気がする。
「オレが休んでる間にやっておいてね」は、さすがにどうなんだろう?って社会の空気ができたのかもしれない。
仕事がスーパーハードになって、この15年くらいは、土日の「2連休」というのも無縁になった。
「休みが欲しい」と言いながら、真剣に休むことを考えてなくて、ただずっと忙しい状態が続いて、「休みてー」「休ませてー」って言ってた気がする。

そんな状態が長く続いて、20年以上経ってどうなったか。

「休み」がなくなった。

本当に「休み」がよくわかんなくなっちゃった。
これは本当に。
「休みの日」があるかどうかで言ったら、今年に入ってからそんなものはなかった。元日くらいか。いや、元日もnote書いてたな…。
けど、なんか全然それが嫌じゃないというか、もう「休み」とか本気でどうでもよくなってる。

で、この状態になって、キツいかと言ったらまったくそんなことなくて…
ものすごく楽になったと思ってる。

強がりでも無理してるわけでもなく。
本当に、どうでもよくなって、すごく楽に生きられるようになった。

前は、がっつり「休む」って日が欲しいと思ってた。

さー、今日は休むぞ!何もしねーぞ!

これが欲しいものだと思ってた。

1日、すっごくラクできたり、楽しかったりする。
でも終わるときに思う。
「明日にはこれがなくなっちゃうんだな」
けっこうそれが負担。いや、これがかなりの負担なんですよね…。

それに休みだ!って言っても、結局続けてることがけっこうあって、ちょこちょこやることはある。
結局、毎日何かしらやることがある。
全部何もしないとか、無理なんですよね。

noteを始めたのもあるかもしれない。
唯一仕事から解放されそうな日曜に下書きを書くので、「日曜」をまるきり休むができなくなった。

だから結局、どうしてるかというと、時間を切り分けることにした。
わたしの場合は朝の時間を切り離して考えている。

朝、とにかくやるべきことは全部やる。
午後は、仕事の日も多いけど、この日の午後は仕事をしないと決めたらそこは無理矢理でも空ける。そうすることで「半分休み」のような日も作れるし、急なラジオ収録のようなことにも対応できるようになった。

最近は日曜日をもう少し「休み」らしくする工夫を始めた。
日曜の午前中に映画館に行くことにした。
例えば8時半から映画が始まるなら、それまでに全部やることをやってしまう。
そうすると午前中で映画まで見終わって、午後はまったく違うことができる。
いつまで続くか分からないけど1ヶ月半くらいはそんなことをしてみている。
午後からアクティブに動く日もあるし、だらだらゲームだけしてる日もある。

朝は仕事しているので、まる1日休んでるわけじゃないけど、ほとんど休み。
休みというよりは通常通りの毎日なんだけど、ものすごく余白が多い1日という感じ。

まる1日「休もう」と思うより、この方が圧倒的にいいというのがわかった。

「休み」じゃない。
「余白が多い」。
この感覚。

こうなってから「休みの日」ってのがあまりいらなくなった。
「休み」を意識しなくなってからの方が、きちんと余白だらけの「時間」が作れてるんですよね。
「休みの日」はないけど、「休み」自体は取れている。

最近読んだ東洋哲学の本「自分とか、ないから。」(いや、この本クソメチャ面白いので読んだ方がいいと思う)。
ブッダは「自分なんかない」と思うことで、悟りを拓いたという。
悩んだり、辛かったり、すべて自分があるから。
「自分なんかない」と考えるとすべてが楽になると。

同じだ。
「休みなんかない」と考える。
すると休みから解放されて楽になる…かもしれない。

「休みとか、ないから。」なのだ。

…という、今年もゴールデンウィークがない!への戯言でした。
でも、休みを考えなくなって、休めるようになったのは本当。

++

今年のゴールデンウィークの過ごし方についてしゃべってる
「続いてるラジオ」です。


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