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97日目(下品)
2024年8月13日深夜の「爆笑問題カーボーイ」は本当に素晴らしかった。 実はこの放送の1週間前に収録されたものだった上に、 後半は人気企画のスペシャル版で笑いっぱなしだったんだが、 胸に刺さったのは前半のフリートークだ。 映画や文化史を語る太田さんの話しはいつも聴きごたえがあるのだが この日は宮藤官九郎さんが多忙を極めているという会話から、 ディズニー+で放映された「季節のない街」に及び、 その物語のベースとなったクロサワ映画「どですかでん」に辿り着く。 中でも太田さんが一番すごいと思っているのが「僕のワイフ」という話の1シーン。 内容は大幅に割愛しますが、簡単に言えば 「当人同士の幸せを他人がどうこう言うのは品がない」という内容です。 オリンピックもそう。逢ったことのない有名人のトラブルもそう。 「誹謗中傷」という4文字では言い尽くしがたい人間の黒い部分が 悲しいかなSNS時代を支配しようとしていております。 我々の日常には歪んだ正義感で何かモノ申したい人があふれかえり過ぎているので、とても息苦しい。 でもその実、こんな時代から僕たちは何も変わってないのか…という方がきつかったなという印象です。 「こんなことはするな」という啓蒙は、きっと(無意識に)加虐的な人たちにしてみたら自分達と同じに見えるんだろう。 だからこそ、こういう過去の作品を例にして、 決して教訓ぶらず、何を学ぶかはお前次第なんだというメッセージを、 それこそ勝手に感じてしまった次第なんです。
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94日目(学校)
会社から、とある会社と協業することになったんだけど何する?という驚きのアバウト指令をうけ、半年悩んで学校を始めることにした。そもそもは「コンテンツ制作」の立場の人間のくせに学校?と思うのだけど、人生の半分くらいを消費するとこんな自分でも「後世のために」という感情が生まれたのも確か。なので、地元で音楽やりたいんだけど活躍の場がないという人たちのための「場」をコンテンツ化することにした。 生れてこのかたミュージシャンになりたいという願望を持ったことは一昨年までなかった。どうしようもなく「歌詞」が書きたくなって、目の前のメモ帳に書き殴った。作曲能力はないが、鼻歌でメロディを作り、こっそりスマホに録音をした。出来不出来ではなく、ああいま自分の中から曲が生まれたのか、という高揚感に包まれた。僕のミュージシャン活動はこの1曲をもって終了した。 作ってみたい!と思った曲と。 やっぱ無理!と思わせてくれた曲が今回の曲です。 羨ましいったらありゃしない。
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93日目(湿度)
会社の後輩に子供が生まれた。本当におめでとう。 これからやってくる苦労も倦怠も懊悩も、そして余りある歓喜も 全部「知らない事」だし「両親に体感させてきた事」でもある。 知らないことがまだある人生は、それはそれで幸せなことなのだろう。 手を伸ばすと掴める幸せと、 どうあがいても偶然や奇跡でないと届かない幸せがあって、 今この手の中にあるものはどちらなんだろう。 たまにそんなことを考える。 指の隙間からするすると零れ落ちていく砂のような、粒子みたいな幸せは 少しの湿り気がないとくっついてこないのだ。 そのために「うれし涙」というものがあるんじゃないかと、 割と本気でそう思う。
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91日目(情念)
自分の年齢的に、という事もあるんだろうが、実に最近は身の回りが騒がしい。回りくどい言い方ですが、つまりは転職などを含む「身の振り方」について、考えたり実行したりしている人が周囲に増えた、という事である。 「そろそろ何かに恩返しがしたい年ごろ」なんだそうで。そう言えば懇意にしている地元タレントの方が、同じような趣旨でイベントなどで動かれている話も聞いたばかりで…そうなってきますと「おや、俺ってば何かの役に立っているのか?」と考えるのも自然といえば自然なことで。 で極論なんですが、立ってません。誰かの役なぞ。正確に言えば「役に立ちたくてやっていることが無い」という感じだろうか。ドライだなあ…文字にして心砕けそうになりますが、昔からそういうところがあります。つまりは「結果、誰かの役に立っていればいい」という考え方です。だからと言って思いがない、という事でもない。何だったらそういう情念的なものは人一倍強いと思う。それを表すやり方が絶望的に下手なんじゃないかと思っています。 故に、動き始めた友人たちの身の振り方に少々の羨ましさとたっぷり目の応援を贈りたい。こんな曲でも流しながら。
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90日目(祝日)
勤労感謝の日ですが勤労中です。あいにく超好天な空模様、こんな時は家を飛び出して紅葉を見るでもいい、気になっていた蕎麦屋の暖簾をくぐるでもいい、ちょっとした生活の変化が欲しい所ではありますが、何せそろそろ年末進行。色々と巻き目のスケジュールが襲い掛かります。一つ一つ丁寧に、と心掛けてはいるものの、目に見えて「抜け」が出てくると「修正」、日々この繰り返しになっていてとてもつまらない。何か文化的なものを…と思うも、この不況下でレコードもろくに買えやしない。ならばとサブスクをうろつきながら、気分があがる曲はないかとして1曲目でウワノソラにたどり着くのでちょっとだけ得をした気分です。
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89日目(突破)
絶賛上映中(2023.11.09現在)の映画「さよなら ほやマン」主演を務めるMOROHAのアフロさんと初めてお会いして、お仕事をして、ほんの少しだけ話をして、驚くほどにモヤがかった頭の中がすっきりした。ああ、このヒトは普段から無意識のうちに誰かの背中を押している。欲しい言葉を豊かな表情で投げてくる。あとはコチラのキャッチング能力次第だと突き付けてくる。 映画「さよなら ほやマン」は知らぬ間に絶望を抱えた人たちが、寄り添ったり突き放したりしながら、歩幅や速度を変えつつ、それでも前に向かう映画だと感じた。序盤、こんな人たちは現実ではいないよ!と思っていると、徐々にではあるけど「そういやアイツに似ている」「あれ、あの子の悩みと同じだ」「あの人はたまにこういう顔をしていたな」と思うようになる。そう、決して創作物の中にいるスペシャルな存在でも何でもない、あそこにも、ここにも、どこにだっている人たちの物語だ。そしてサイトの中で曽我部恵一さんは「ほやマンは俺だった」とコメントを寄せていた。 自分で打破するしかどうしようもない現実があるし、誰かの暴力的な介入や切っ掛けがないと超えられない壁がある。強くあらねば、とも思うが、それができる人ばかりではないし、きっと俺もそうなんだろうと思う。コロコロと表情を変えるアフロさん演じるアキラは、背中を押すことはできても押されることに少しだけ戸惑っていたのではないだろうか。そして、そんな役柄だったからこそアフロさんが演じる必要があったのではないだろうか。全部で5分にも満たない(それでも至福だった)会話の中で、そんなことを感じてしまった。 本当に素晴らしい映画でした。ぜひみなさんもご覧になってください。 「さよなら ほやマン」https://longride.jp/sayonarahoyaman/index.html
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88日目(絶望)
色んな仕事をしていく中で、日に日にラジオ(正確には音声コンテンツ)への思いが高まり過ぎて、考え事が増える。そんな中、ニッポン放送が実施した「あの夜であえたら」の成功に、当然のことながら胸が熱くなった。斜陽といわれ続け、それでもなお新しい取り組みを産み続けているスタッフには感動さえ覚える一方、きっとこれを毎年続けていくことは不可能だから(と、言い切るのも申し訳ないが)こその煌めきを感じざるを得ない。 強く発光する熱量と、巻き込む力と、何かを抑え込んで続けていく気持ちだけが、こうしたコンテンツを「やりがい」という言葉では抑えきれないほどのエモーションで誰かの胸に届くのだろうし、これだけ百花繚乱のコンテンツ天国にあって結局残るのは「持続可能な」仕組みなんかではなく、誰かの「突き抜けた」思いがないと不可能なんじゃないか。そう思うと、複雑を通り越して絶望さえ感じてしまう。 テーマソングとなったこの曲だって、何度耳にしても泣けてしまう。「飾らぬ自分でいい」と、ラジオパーソナリティに「言ってほしかった」言葉が、かつての、そして今の自分に突き刺さる。本当に「飾らぬ自分」でいいのか。「飾らぬ自分」でいられるのか、と。
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86日目(日焼)
この記録的炎天下の元、何を隠そう5日間連続で野外仕事をこなし、海水浴場などで楽しそうに過ごしている連中よりも「夏真っ盛り」な風体になってしまった。熱中症予防にと、冷えた水を何度頭に注いでも、驚くほどのスピードで乾いてしまうのだから「困ったもんだな」と思っていたら立ち眩みそうになった。もはや老いも若きも「危険な夏」、である。 幸い、近くに冷えた麦茶もある。一気に流し込んで身体を潤す。ペットボトルの飲み口が「ギュ、ギュ」と変な音を立てる。多分だが、流し込むスピードに追い付かない唇が振動している音なのだと想像した瞬間に、あまりにもバカバカしい発想で麦茶を吹き出してしまった。勿体ない。
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85日目「晩夏」
汗染みを気にしてか、もはや白か黒のTシャツ以外が着れなくなっている。年齢の割に代謝が活発ねと言われれば悪い気はしないが、それでもさすがにスコールにあったような発汗は耐えられるものでもなく、今年も屋外での作業では着替えがマストになっている。そんな8月も終盤に差し掛かっているが、酷暑はやむ雰囲気さえなく、今日もまた白のTシャツを羽織っていそしんでいる。 暑さに抗うことなく、真正面から楽しめなくなってもう20年近いが、最近の抵抗としては前回少しだけためらった「周囲にばれないように午前中からのビール」、そして作業中のBGMはもっぱらフリーダペイン。中でも、まだ夏が楽しかった頃からずっと聞いているこの曲は、ちょっとだけ自分の老いを認めるようで胸が締め付けられて丁度いい。