生まれ変わったら朝起きられる人になりたいと言ったケンジ君へ
彼はきっと、覚えてはいないだろう。
ケンジ君が私のクラスに転入してきたのは、小学三年生の春だった。
学校指定ではない、黒光りをしたランドセルが目を引いた。
朴訥で、名前だけでなく容姿も某童話作家を彷彿とさせ、音楽の時間に歌いたい曲を訊かれて彼が答えた「少年時代」の選曲は、渋い感性だなと今になって思う。
小学校三年生といえば、男子と女子は顔を合わせなくても戦争を勃発させている年頃だ。
それだけが原因ではないけれど、ケンジ君と喋ったことは一度もなかった。
たぶん転校生でなかったら、小学校の一年間を同じ教室で過ごしたケンジ君のことなどすっかり忘れていただろう。
そんな彼と再び同じクラスになったのは、中学二年生のときだった。
相変わらず素朴な雰囲気のまま背ばかりが高くなって、丸刈り頭のせいかいよいよ雨にも風にも負けず生きてゆきそうな風貌になっていた。
どうしてかよく、隣の席になった。
ケンジ君は、あまり勉強が得意ではなかったのだろう。
平均点に満たないテストばかりを並べ、けれどその中で比較的高得点だった国語の答案を前に、「おれ、漢字は得意なんだ」と誇らしげだった。
中学生活でいちばん頑張ったことは白文帳(長野県だけで使われている漢字練習帳のこと)なのだと、何かの時間に言っていた気がする。中学生男子にしては珍しく、線の細い、妙に丁寧な文字を書いていた。
その文字はどこか、ケンジ君に似ていた。
彼が声を荒げたり何かに憤ったり、まして他人と喧嘩をしているところを見たことがなかった。
よくいえば穏やかで、無理に悪く表現すればぼんやりしている。片田舎の田園風景を思わせる男の子だった。
四十人近いクラスメイトの中でケンジ君の印象がそれなりに強いのは、彼のとある特徴が変に悪目立ちをしていたせいだろう。
ケンジ君は遅刻魔だった。
それも朝のHRに遅れてくるような可愛いレベルではなく、二時間目の途中に現れる社長出社――もとい社長登校をしていた。そういう日が週に何度もあった。
けれど不良という言葉は似つかわしくなく、伸びやかな挨拶とともにヘラヘラと授業中に教室の後ろから入ってくる悪びれなさに、教師も閉口するだけだった。あまりに常習だったので、日常風景のひとつになっていた。
決して人の中心には立たず、しかし特別嫌われもせず。
注目されるのは登校時だけで、それ以外は誰の目にも留まらない凡庸さで、教室の隅に生息しているオタク男子たちと楽しそうに日々を過ごしていた。
意外なのは、彼がバレー部だったことだ。
当時私の学校の男子バレー部は全国を目指す強豪で、つまりイケている部活動のひとつで、部員も性別問わず友人の多い所謂「陽キャ」ばかりだった。ただ部員は全員丸坊主だったので、彼らの面がイケていたのかは正直よくわからない。
厳しい部活で、朝練もほぼ毎日行なわれていた。
当然ケンジ君は朝練など出ていないのだろうけれど、よくその状態で部活動を続けられていたなと関心する。どういうメンタリティーをしているのだと。
彼がレギュラーだったのかそうじゃなかったのか、詳しいことは知らない。
そんなこんなで同性とはうまい事やっていたらしいケンジ君だが、女子からはたまに非難されていた。
なにせ不真面目だから仕方ない。
特に体育祭や合唱コンクールなど、こと団結を要するシーンで調和を乱す人間は、女子の間で戦犯になる。
大縄跳びの練習でひとりふたり欠けたところで何が問題なのかと思うけれど、中学生女子のコミュニティ帰属意識は縄文時代のそれと同等だから、その点は認識しておかなくてはいけない。
朝練習が必要なイベント事が近づくと、ケンジ君はよく陰口を叩かれていた。
クラスの団結などコンビニ弁当のしば漬けほどの価値しかないと思いながらも渋々参加をしていた私は、彼の奔放さに少し羨ましさも覚えた。
中学三年生の冬、進路を本格的に決めるころ。帰り道にケンジ君が声をかけてきた。学校からわずか五百メートルほど被る通学路で、ときどき一緒になった。
彼の家は逆方向だったはずなので、「小学校の裏に住んでなかったっけ?」とある日訊いたところ、「少しでも中学に近いアパートに引っ越してくれた」とのこと。残念ながら親の好意は無に帰していた。
高校はどこ行くのかと訊かれたので、答えたあと同じ質問をすると、彼は聞き覚えのない学校名を口にした。
どこだと訊ねれば、通信制の学校だという。
「朝起きられないから、普通の高校行けない」とケンジ君はいつもと変わらないのんびりとした調子で続けた。
「生まれ変わったら何になりたい?」
あまりに唐突な質問だったので、私は何も考えず人間、とだけ返した。
おれは生まれ変わったら朝起きられる人になりたいな。
少しだけ真面目な顔でつぶやいたケンジ君の言葉を、十年以上経った今もふと思い出すことがある。
人格や人の思考や悩みや欲望なんてものはごく一部が表面的に見えているだけで、けれどそんなわずかなもので人は判断されてしまうのだろうとぼんやり考えた。
しかしあの頃は、彼にかける適切な回答を探せないままに、ただ「わかる」とだけ言うしかなかった。
私は子供のころから居眠り癖が直らず、いつも授業中に注意されてばかりいた。中学に入ってからは症状が悪化し、起きているだけで精一杯の日々だった。
眠気って抗えんものよね。
そんな意味を込めた「わかる」は、きっと正しくは伝わってくれなかっただろう。
そうしてケンジ君はクラスでひとり、通信制の高校へ進学していった。
今なにをしているかは知らない。成人式には来ていなかった気がする。
朝、起きられるようになったのだろうか。
多様性が認められる世の中になったとはいえ、世間はいまだ朝型だ。もしもそのままなら、まだまだ生きていくのは大変かもしれない。
けれどどこかで、飄々とした調子で、たくましく生きていてくれればいいなと願う。
いや――。
帰り道、県道の向こう側から私の名前を呼んで手を振っていたケンジ君の笑顔は、希望的観測をある種の確信に変えてくれる。
彼はたぶん、大丈夫だと思う。
もう会うことはないからここに記すだけだけれど、あの日見つけられなかった答えに私はいつの間にか辿り着いていた。
別に朝起きられなくたってよくない?
そうそう。私もやっぱり、普通には生きられなかったみたい。
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