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「講義」

杉山教授は、月曜第1講時目の講義に向かっていた。 教室は連休の谷間だというのに、すでにはほぼ満杯になっていた。

「私が学生の頃は、こんな日にはまず大学には来なかったがな」

杉山教授はなぜか、軽い失望にも似た感情をもった。しかし、自分の講義に出席してくれる学生が多いことが、嬉しくないはずはない。杉山教授は、いつものように自分の研究室から持ってきたチョークを取り出し、いつものように講義を開始した。

講義が中盤にさしかかった頃だろうか。普段は全くそんなことは考えないのだが、今日に限ってふと、学生を当てて、答えさせてみたくなった。

「えー、じゃあここ、分かる人。答えたものには、それなりの点数を加算します」

連休中にも関わらず講義に出席した学生への、ほんの軽いご褒美のつもりだった。しかし予想したとおり、手を挙げるものは1人もいなかった。

この教室には50人以上も学生がいるのだから、せめて1人くらいは、とも思うのだが、そんな学生がいなくなったことは、杉山教授自身、1番よく分かっていた。分かっていたのだが、それでも再び、軽い失望感を感じずにはいられなかった。

「えー、それじゃあ、アイカワ君。アイカワ君、分かりませんか」

杉山教授は鞄から名簿を取り出し、そこにある最初の名前を呼んでみた。しかし、 返事はなかった。

「休みですかね。それでは、イハラ君。イハラ君はどうでしょうか」

その後2、3人の名前を呼んでみたが、やはり返事はない。教室は静まり返り、物音一つしない。先程まで黒板の方を向いていた学生も、なぜか、決まり悪そうに下を向いている。 問題は、そんなに難しくはない。決して、答えられないはずはない。

普段から杉山教授の講義は、なぜか他の講義と違って私語も少ない。ならば、一種のギブ・アンド・テイクである。そう考えた杉山教授は、最近では全く学生を指すということを止めてしまっていた。

しかし、今日は違った。なぜか学生を差し始めてしまったのである。こうなったら、今更やめるわけにもいかない。杉山教授は、再び名簿に目を走らせた。

「サイトウ君、分かりませんかーササキ君、答えられませんかー」

名簿も半分を過ぎると、杉山教授はなぜか圧迫感とも悪寒ともつかない、不思議な感覚に襲われた。現に目の前は50人からの学生がいるのである。それなのに、全く返事がないのである。

「誰でもいい、誰か返事をしてくれ!!」

名前を連呼しながら、杉山教授は心の中で叫んでいた。イヤな汗が、杉山教授の頬を伝った。果たして目の前に「いる」彼らは、本当にそこに「いる」のだろうか、それとも「いない」のであろうか?

全員の名前を呼んだところで、講義終了のブザーが鳴った。結局誰1人、返事をするものはなかった。

しばらく呆然立ちつくし、汗を拭きながら教壇を降りようとした杉山教授は、ふとあることに気付き、再び教壇に立った。

「それでは出席をとります。アイカワ君」

教室の右後方で、すぐに返事があった。

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