見出し画像

そのハネウマに用がある

Twitterに去年書いた2023年の抱負は、「お金を使わない」「頭を使わない」「無を愛して受け入れる」……他になんかありましたっけ。付け加えるんなら「現実世界に向き合う」とかかな。

こうやって書き出してみると、ろくなもんじゃなさそうな字面が並ぶわけですが、元より、立てた目標を完遂できるほどの人物じゃないと自分が知っているので。いや、一応他にも目標はあるんだけども、人に言うようなことじゃないんで。

それはさておき、跳ね馬の話です。

一般論として、「成熟」とは何ぞやと考えるなら、「ある程度の不自由や不如意を受け入れた上で、それでも何とかうまくやっていくこと」みたいな風にまとめられるんじゃなかろうか。

大事なのは、「僕らはそもそも不自由なのだ」ってこと。

完全な自由だとか、無限の可能性だとか、まあそんな都合のいいもんはない。世間をよく分かっていない若い人……つまり僕みたいな迂闊な奴は、そういうロマンや夢物語を求めがちだけど、どっかで折り合いをつけなくちゃいけない。

なんてことを考えたのは、このあいだ、何気なくポルノグラフィティ『ハネウマライダー』(2006)を聴いたから。「これはそういうビルドゥングスロマン的な歌なんだな」と、そこで初めて気が付いた。よくあるたぐいの、きれいごとを並べる応援ソングなんかではなかったんだと。

(歌詞は、へたに載っけるとnote当局から恐ろしげな連絡が来たりすることは経験上知ってるので、ぜひとも各々聴いたり見たりしてみてください。)

1番。主人公の乗る「モーターバイク」にはハンドルがないし、ブレーキも軋んでいる、つまりはぶっ壊れてるんだけど、別に「曲がるつもりもない」し、壊れてたっていいだろ!と言わんばかり。要するにバカだし、要するに若い。

このとき彼(と便宜上呼んでおこう)を動かす原動力は、「跳ね馬のように乱暴」な、彼自身の「心」である。それっぽい言い方をするなら、この彼にはまだ「他者」がいないわけです。

で、どうやら運命の人か何かであるらしい「君」と出会って、ついにマシーンに乗せたところで1番は終わる。

さて、この出会いが彼のメンタリティをがらっと変える。言い換えれば、「他者」と出会った彼は、しっかりと、成熟を余儀なくされる。

2番。ボロボロだったバイクに、ミラーをつける。「後ろに寄添う人」とアイコンタクトをとるために。そして、いつの間にか修理していたらしいハンドルを切る。後ろの人に「海が見たい」と言われたから。

その次はいよいよ、この歌の中身を2行に凝縮したようなこのフレーズ。

大切なものを乗せて走りたいなら、
生まれ変わっていかなければねえ。

錆びついた機体はちゃんと塗り直す。自分の「心」に従うんじゃなく、思いもよらず、どっかから吹いてくる「風」に身を任せる。憂鬱な日々にも自ら突っ込んでいく。明日に忘れ物を残さぬように。

Cメロ。ひとりで「勝手な速度で廻る」「歯車」は、1番までの、気楽なロマンにまみれた彼のこと。

けれどいざ他の歯車と出会ったなら、廻るスピードは合わせなきゃいけない。それは決していいことばかりじゃなくて、不自由をも意味する。ここから先は、それを愛せるかどうか。

ラスサビ。「跳ね馬のように乱暴」なのは、1番では「心」だったけど、ここではもう「風」に変わっている。その風は、ここに留まること(=かつての未熟な自分でいること)を許してはくれない。

1番ではお気楽なナンパ紛いのセリフだったはずの「Hey you!」は今や、いろいろな重荷と困難を引き受けた末、自分をも鼓舞せんとする号令のよう。

『ハネウマライダー』なんて今まで何百回、何千回と聴いてきたはずなのに、なんでこういう聴き方をしてこなかったのか、とにかく不思議。自分自身の人生のフェーズに響き合ってるんだろうか。

じつは最近、生涯をかけて追求すべきテーマを見つけたところでもある。その軸ひとつ使えば、自分に関係のある全部を一気に貫ける。ポルノグラフィティ、夏目漱石、ガンランス、東浩紀、いとうせいこう、仮面ライダー、その他諸々。

きっとこれからの50~60年はそのために費やされるんだろうな、とぼんやり思っている。この分なら、『ハネウマライダー』もその一端を担ってくれるはず。

というわけで、長い長いレースの始まり。今年はどんな跳ね馬に乗れるんでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?