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子育てに四季があるとしたら


昨日、娘たちに誘われて近所の公園にいきました。

わが家の娘は、長女が小学校6年生、次女が4年生です。
妻との4人家族なので、女性3人の中に男性は私ひとり。


この4連休は買い物に出かける以外では特に遊びに行ったりもせず、ずっと部屋の中で過ごしていたので、子どもたちは少し身体を動かしたくなったみたいです。


暑かった季節の習慣で、公園に遊びに行くのは夕方。

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16時。
もうこんなに影が長い。



次女のリクエストで「代わりおに」を3人で。

私があまりに走れないので、娘たちはハンデとしてスキップで走ってくれて、ようやくおにごっこが成立。

なさけない、でも、ホントに走れない。



娘たちと3人でいく近所の公園は、小さな公園ですが、茂みをよく探すとバッタなどの虫が見つかります。

虫を見つけては、捕まえて、逃がして、また別の虫を探す。

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去年までは、探して、捕まえるのは3人の中で私が圧倒的に上手だったのですが、昨日は娘たちの方が上手でした。



この公園で3人でよくやるのがくつ投げ。

ブランコをこいで、その勢いを利用して靴をどれだけ遠くまで飛ばせるか。

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昨日は、長女が優勝。



私の体力が落ちて、娘たちの体力が増しているので、段々と一緒に遊べることも変わっていくのは当然。

でも、それ以上に、娘たちと私との関係性が変わっていって、いつしかこうやって一緒に公園に遊びに来ることも、手を繋いで家に帰ることもなくなるのかもしれません。

ただひとつ言えることは、同じことを同じ関係でおこない、同じ心持ちで過ごせる今日はもう二度と来ないということ。

特別だけど、特別だと思いすぎることなく今日を楽しむことの大切さ

この公園に来るたびに、そのことを思い出します。



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Googleで「子離れ」を検索すると100万件ものサイトがヒットします。

そのうちの多くが「子離れできない」「どうしたら子離れできるのか」といった記事のようです。


ところで子離れというのは、決まった意味はあるのでしょうか?


それが、親の立場から見て、子どもにイチイチ小さなことまで構わなくなり、子どもの自主性に任せられるようになることだとしたら、私はもうある程度子離れができているのかもしれません。

私の子どもとの関わり方の方針は以下のとおり。

◆子どもの人生は、私の人生ではない
◆子どもが未熟で劣り、大人が成熟し優れているのではない
◆子どもを経験の質や量が異なるだけの対等な一人の人間と考える

子どもには常に自分で考えて、自分の意志で選択することを求めると同時に、大人の方が正しいという先入観は捨てて対等に向き合うことを心がけています。


そんな私でもやはり、娘たちがいつまでこうして私と遊んでくれるのか気になります。

おおげさかもしれませんが、この公園に来るたびに「これが最後かもしれない」とどこかで覚悟している自分がいるのです。



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子育てに春夏秋冬があるとしたら、我が家の子育ては夏が終わり秋に入ろうとしているのかもしれません。

少し距離をとることになっても、その実りの豊かさを楽しみにする季節。
少し距離をとるようになる分だけ、自分にも何か実りをもたらせる季節。

そして、暑かった季節を懐かしく思いながら、やがてやってくる寒い季節を予感する秋。


皆さんの子育ては、めぐりゆく四季の中のどの季節にあるでしょうか?


季節は一巡するといいます。
今どの季節にあったとしても、互いの歳が変わって、また同じ季節を迎える日が来るのかもしれませんね。




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