同感はできなくても共感はできると思うんだ
さぁ、今日はどんな価値を創ろうか?
こんにちは、大鹿です。
noteを開いてくださって感謝です。
本日のテーマ:同感と共感の違い
最近すごくこの言葉を聞くことが多いです。
『傾聴』
文字通りのその意味を考えると、「耳を傾けて聴く」こと。ウンウン、大事なことですね。
ただなんだか、アカデミックに仕立て上げて傾聴をやたらとハードルの高いものにしようとしている。そんな流れも感じます。
仕事がデキる人“だけ”が持っている特別な技術、みたいに。
私はひねくれているので、そういった状況を見ると「あぁ、また誰かがポジショントークをしているんだな」と感じるわけです。
じゃあ私ができているのか? というと…努力はしています(笑)。ただ、傾聴という言葉はやや硬くて人を突き放した印象を受けるからあまり使わない。
最近、問題解決で努めて意識しているのは、同感と共感の使い分けです。この2つの違いを語る、分かりやすい説明を見つけました。
同感と共感。ごっちゃになりがちな案件。
それこそ「共感できる」という言葉なんて見ない・聞かない日はないけれど、「賛成」の意味合いで使われていることが多いように感じます。
私はあなたと同じ派か。そうじゃないか。
しかし上の定義では、共感はもっと手前。どう思うかが分かればいい、と書いてあります。
正直、今日は唐揚げって気持ちじゃなかったけれど、「手間ひまをかけて作ってくれた」その温かさを感じ取ることはできる。美味しいのも間違いない。みたいな。
「今日は唐揚げじゃないんだよ。分かってないなあ」なんて言おうものなら家庭は修羅場です。
「美味しそうだね。ありがとう」。これなら円満。
私、昔は短気で、自分がやっていることに対して「それは違うんだよ」だなんて言われるとすぐにカッとなるタイプでした。相手の指摘が正しかろうが難しかろうが。
放っといてくれ! と。
未熟以外の何ものでもありませんね。
自分の能力がそこそこ上がって未熟な領域を脱すると、それなりに
「なんでこの人はこういうことを言うんだろう?」
と考えるようにはなりました。
もちろん人間だから、頭ごなしにものを言われて感情抜きで賛成できるとはいいません。多くの人がそうではないかなぁ? 聖人君子ではないのだから。
絶対の正解がない世界ですからね、社会は。
正解は「ある」というより「作る」と言ったほうが正しい。
お互いの言い分を2枚のトランプを立てるように傾け合って、解Aでも解Bでもない解Cを導き出さなければいけない場面も多々あります。
同感か? そうじゃないか? だけでは現実問題、解決しないことだらけ。かといってどちらかが“折れる”みたいな簡単な話でもない。
結果としてどちらかが折れることはあると思います。しかしそれを
「自分と考えが違うから、分かり合えないから折れる」(付き合ってもムダだから)
とするか
「自分はそう考えないけど、あなたがどう思っているかは分かる」
とするかで、ずいぶん議論の行く先は変わります。
同感か反対か? その分岐点の、もっと手前に位置するのが共感。
このイメージを持っておくと、お互いにとっての発展的な価値を創ることができると思います。
いかがですか? イメージ持てました?
今日はこの辺で筆を止めておきます。
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