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教育者として考えたこと〜初日で退学した学生を見て〜【語学学校レポ】

語学学校に通い始めて早1ヶ月が経った。

noteの下書きには、書き途中の自分の気付きや他愛もない話が沢山残っている。ふと、語学学校初日のエピソードについて自分の考えたことが書き残されていた。

追記する形で、今回は一教育者として語っていこうと思う。
テーマは、「教育者と学習者」。


こんなことがあったんです

語学学校初日、スペイン語で自己紹介をしながら、大体言っている意味はわかるぞ〜という形で授業は進められた。スタートはser動詞から。英語でいえば、be動詞についてから自己紹介の表現を学んでいった。
(以前、こんな記事も書いたので、どんな感じに進んでたん?って人はコチラで一部紹介しています)

授業が始まって30分くらい経ったところだろうか。
一人の女性が先生に英語で質問する。

「先生、今いきなり文法とかからスタートしてますけど、アルファベットとか、発音とか、そういうのはやらないんですか?」

「あ〜それは、この後にやっていくわ。」

「いや、でもそれじゃ先生がホワイトボードに書いたスペイン語の文を見ても何て言ったらいいのかわからないし、読めないんですよ。英語でも普通、アルファベットからやるじゃないですか。このクラスでもアルファベットと発音からやってくれないんですか?」

彼女と先生は、何やらすごいスピードの英語で議論を重ねる。
内容の全ては聞き取ることができなかったが、先生は相手の意見を肯定しながらも、発音とかやるより、まずはスペイン語に慣れることや自分のことを言えたほうが動機づけとして良い、ということを言った(たぶん)。

先生は最後に「Bien,Gracias.」と言って、彼女の発言と考えを褒め称えて、その時間は終了した。女性は、「Thank you.」と言ってクラスから出ていった。それ以来、彼女の顔を見ていない。


このエピソードが私に及ぼした影響は全く無い。出ていった女性に対して「なんで?」とか問い詰めようとしているわけでもなく、怒ったり同情したりする気持ちもないが、この出来事は、教育者と学習者について考えるきっかけとなった。

どっちが悪いとかではなく、ただ、教育者と学習者のそれぞれがどういう行動をしていたら、この結果にならなかったのかな、と気になったため考えてみた。


彼女はどうしたら学び続けられたか

<学ぶ側>
・お金と時間を無駄にしないためにも、入学する前に学びの方法、カリキュラム等、自分の要求する学びの体制を確認する必要がある(リサーチ)
・授業方法が生理的に無理でない限りは、学習が楽しくなってくるまでの少しの辛抱は必要(学習者の継続力・忍耐力)
・やってみてわからない、難しいことがあれば、自分から調べる/質問するなどのアクションを起こす必要がある(主体性)

すなわち、彼女はそこまでスペイン語を「主体的に」学ぼうとしていたのではなく、「ここに行けばできるようになる」という期待を持ちすぎたのではないか。
「思ってたんと違う」は何事でも多く起こる。それに対して、彼女は自分の行動変容ではなく、自分以外の環境の行動変容を求めていたため、ギャップに不満を持ったのだろう。

<教育者側>
・授業の初めに、どのような流れで学習していくのか、いつ何を学び、どんな表現が使えるようになるのかを最初に伝える必要がある。見通しがあれば、彼女も「発音はこの時期にやるんだ!」とわかって耐えられたかもしれない。今でも思うが、最初に「今日はこのフレーズ/ボキャブラリーを覚えようね!」と伝えてほしい。(学習支援方法の工夫)

語学学校では、個人のスペイン語のレベル、出身国が違えば第一言語も異なり、置かれている家庭環境も異なる。日本国内でただ中高生に教える教育とはまた違った要素で難しさはある。しかし、全員が「今日はこれを学んだ」が明確に分かる授業であることは大前提としてあるのではないか。特別支援教育的にはなるが、どんな特性があってもわかる方法での教授の工夫は必要であると考える。


まとめ

今回の出来事は、私にとって教育的な立場から物事を考えるためにとても貴重であった。
学習者は自ら学ぶ姿勢を忘れてはならない。あくまで語学学校は付属品にすぎない。自分が学びたいから学ぶのだ。何をするにしても、受動的なものではいつか嫌になる日が来る。
対して、その学習者の学ぶ姿勢をさらに高めることが教育者の使命であるのではないかと考える。学習者がはじめは乗り気でなかったとしても、授業を通して「あ、なんか面白いかも?」と学問自体に関心を持ったり、「この先生はすき!」と思ってもらえたり。そのために、授業自体の質を良くすること、自分自身の魅力度を上げることは必要不可欠であると考えている。


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