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僕の愛を聞いてくれ

松本人志さんのことが好きで仕方ないある友人が、一連の報道に心を痛めて、やり場のない思いを時々私に伝えてくれることがある。

「性加害があったかどうかは置いといて、男尊女卑的な価値観や、芸人がダウンタウンをを特別視することが、こういう性加害をしても大丈夫って、空気を作ったと思うんだよね。それって、お笑いファンも見過ごしてたという責任があると思うのよ。そういうことを踏まえながら、90年代からダウンタウンが好きだった気持ちや、ちょっと苦手だったことを、誰かと話し合いたい気持ちがずっとあるのよ。なかなか、そこまでお笑いのことを大切に思っている人いなくて、話せる相手がいない。単なる愚痴です」
と私に言った。私のことを何だと思っているのかは置いといて彼の話は続く。

「10代20代で、センス良くて人気もあってモテるタイプだったのに、30代後半くらいからアレ? って、ダサくなる人いると感じてて。
それは、学ばない人だと思うのよ。若い頃はセンスで乗り切れる。逆にセンスが乏しくても学ぶ力ある人は、若い頃は目が出なくて苦労する。
松ちゃんは、やっぱり笑いのセンスと企画力の天才で、30代まではお笑いだけで勝負してこれたと思うのよね。
90年代、2000年代は、松ちゃんやダウンタウンのどぎついことを敢えてするギャグが、いろんなエンタメに合ってたよね。
小山田のイジメ自慢も、電気グルーヴの露悪も、ダウンタウンのお笑いも、完全自殺マニュアルも、スナッフフィルムも、バクシーシ山下も、鳥肌実も、おもしろがれるのがオシャレって時代は確実にあった。
あと、80年代から2000年代のスーフリ事件まで、女性を騙して性行為に持ち込むことって、ナンパの一種くらいの感じで許されてたのも事実。そういう記事や芸人やミュージシャンのトークもたくさんあった。たくさん飲ませて眠らせて……みたいのね。それってスーフリ以後には問題視されたし、大学や会社でもいけないこととして、啓蒙されるようになった。でも、芸人界や芸能界は、治外法権のままだったんだろう。
で、ここから僕の好きなダウンタウンのこと。話したい。ダウンタウンは、本当に革命的だったのよ。
80年代までは、お笑いって、誰かの弟子や付き人、ボーヤとして、修行してなるもので、お笑いやコメディをやりたくても、そういう古い因習で、奴隷のような修行を経てないとなれないイメージ。古くて強権的で暴力的。アメリカみたいに、大学でコメディや演劇学んで、デビューとかなかった日本には。
だから、ダウンタウンはすごく新しく見えた。僕が小四くらいの頃かな。ネタも画期的で、シュールでおもしろい。
それまでの欽ちゃん、ドリフ、ひょうきん族は、結局はベタな笑いで古く見えた。若い頃のダウンタウンの毒舌の矛先は、自分より強いもの、例えばビック3やトレンディドラマ、プロ野球、大相撲とかに向いてたから、何者でもない中高時代の僕にはカッコよかった。
その後、松ちゃんはスターのまま30年が過ぎて、松ちゃんは自分自身が強いものになってしまった。それでも、お笑いは絶妙なセンスとバランスで、相変わらずのトップだったけど、ワイドナショーが良くなかった。
世間や社会に毒付いてても、ガキの使いのフリートークなら笑ってられるけど、ワイドナショーはニュースワイドショー形式で、ギャグのつもりの混ぜっ返しや視点ずらしが、シャレにならずに叩かれ始めた。コメントは、武田鉄矢並みの反動保守ジジイになってたからね。さんまや志村けんのように、お笑いだけしていれば良かったのに。ワイドナショーが始まってからの松ちゃんは好きになれなくなってた。ムキムキも見てられなかったし。
若い頃の松ちゃんでキツかったのは、唯一、『遺書』と『松本』。文章下手だし、言ってることもイキリばっかりで笑えないし。大人たちが、笑いの天才に恥かかせるようにことするなよ。と思ってた。『遺書』と『松本』読むと、松ちゃんは本当に文章読んでない人だなって感じたのを覚えてる。『遺書』読んだことある? ひどいよ。ヤンキー中学生の卒業文集くらいのクオリティよ。あまりに文章稚拙で、これは本人が書いてるなと思うレベル。会話によるしゃべりの天才で、文章とかまとまったセンテンスや文脈を作るのは苦手だと思う。ビートたけしのコラムは、ゴーストライターが高田文夫だったらしいけど、それと比べても相当酷かった。遺書と松本が好きって言ってる自称お笑い好きも、頭悪いなと思ってたけど、言ってることひどいよね、今は反省してる。ダウンタウンのお笑いの雰囲気だと、クールな感じでいてほしかったんだよね。イキリで溢れてて、少し冷めるというか。
90年代のダウンタウンの女性ファンは、男尊女卑的な匂いのするトークやコントも、それはそれとして、笑ってられたのかな? 
当時はミュージシャンたちもファンの女の子たちをそういうふうに扱ってたよね。嫌だったとしても、そのミュージシャンに近づきたくて応援してたんだろうね。ダウンタウンファンも一緒か。ごっつのビデオとか、一人ごっつとか、女の子も借りてたし持ってたもんなぁ」
それから彼は「USのラッパーがどうしても男尊女卑になるのに似てるよね。ママは大好きだけど、男尊女卑って感じ」と呟いた。
私は90年代のお笑いファンについて、
「無理だった人もいるだろうけど、女性も笑ったんだよ、少しの違和感があっても周りの笑いが正しいと思うことがあるんだよ」
と言った。
「そう、そうだったよね。そういう時代の空気は確実にあったよね。フリッパーズや電気グルーヴがバカにするアーティストのことを、ファンの女子たちもバカにしてたよね。時代の空気や周りに流されずに、良し悪し、好き嫌いを、自分で決めるって、かなり困難だよね。でもさ、時代の空気はあったにせよ。昔の自分は間違えてたって、思ってない人多いと思う。僕は、昔のことを思い出すと、間違えてたのを訂正したい謝りたいという気持ちになるんだけど。そうはならない人多いなと感じる。特にSNS見てると。
90年代に自分をつくってくれたものに、ハシゴ外されてるような気持ちよ。松ちゃんは心に穴がある人なんだろうね。こんなに性行為を頻繁にしたいなんて、何か埋められないものがあるんだろう」
そこまで言うと、彼の心は少し落ち着いたようだった。

「僕は結婚してなくて、特定の彼女は長くいないから、よく言われるんだけど。趣味とか、好きなものや価値観の一致を相手に求めるから、彼女ができないんだと指摘してくる人多いんだよ。けどやっぱり思うのは、それを言ってくる人とは、趣味や好きなものの重みが全然違うってことなんだよ。生きてる糧としての重みね。だから趣味は一致しなくても、少なくとも好きなものは尊重してほしいと思ってるのよ。でもそういうこというと、結婚やお付き合いで、自分を変えられない頑固者と思われてしまい、なんか話が通じないのよね。そういう考察や難しいこといらないと言われると、凹む。君は松ちゃん、ダウンタウンとその時代の話を聞いてくれてるけど」

私はこの人について、いつも「す、すごい喋る……」と思っている。

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