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変わる人生で抗うもの・手放すもの / 母は家・父は外、もいい気がしてきた

4/24(水)| 妊娠10か月(36週)

臨月に突入した。産休前半はいろんな人に会って楽しかったけど、徐々に体が動かなくなってきて、早く元気な体に戻したい。

骨盤に子が下がって胃が空いてきたのか、お腹がすくようになったんだけど、ホルモンの影響なのか食後は気持ち悪い。食べたいのに食べれないし、飲みたいのに飲めない(まだアルコールに未練)のがつらい。

これから先、自分の意志でコントロールできないことばっかりになるんだろうな。前回「ワーママたるもの、能動的に」って書いたけど、受動にならざるを得ない期間が結構長くて、握るべきハンドルも見失っちゃったりするのかもしれない。

学生→社会人、独身→結婚、子なし→子ありにライフステージが変わるごとに、どんどん自分の意志ではどうにもならないこと、思ってたのと違うことが増えていく。抗ったり、諦めたり、譲歩したりしながら進まないといけない。それでもここだけは譲れないってことは頑固に持っておきたいし、それ以外は手放して、適当に適度に接していきたい。

わたしが譲りたくないもの。
家族の最低限の健康と、家族でゴロゴロしながらほっこりする時間とか、好きな仕事をのびのびやること、おいしいものを食べる時間、あと日記を書く時間、家庭と仕事以外の息抜きも。

意外といろいろあったけど、なんとかいい加減にそれ以外のことは手放していきたいなあ。子がもっと快適に過ごすための最新グッズ検索とか、子を優秀に育てるノウハウとかに振り回されず、のんびり生活したい、と今は思う。

仕事については育休復帰後も諦めたくないけど、「子持ち様」って思われて周りに迷惑もかけたくないなあ。育児と仕事のやり方、自分のタイミングでは最適解を見つけたい。

今のところ、子が丈夫であることを祈るか、自分でコントロールできそうな仕事や環境を自ら作るか、ローカルで子連れでもできる仕事について考えてみるか、といったところ。

真ん中が一番実現可能性高そうだけど何をどうやるのか、考えなくちゃな。

4/25(木)| 妊娠10か月(36週)

ここ数日まじで予定ない。何の経済的価値も生み出してないけどやりたい趣味・勉強は色々あって、楽しい。

経済的価値なんて一つの指標にすぎない。今の世の中一番大事だと思われがちけど、しょうもないことにお金がついて、本当に大事なことにはお金がつかないなんてザラなんだから、自分が豊かだと思うことに時間を使えばいいのよ。

って頭も体も完全には理解してるわけじゃないけど、産休前に比べると少しずつそう思えるようになってきた。「暇な産休」「後ろめたい」ってnoteに散々つぶやきながら。

お金になることも大事だけど、効率とか生産性を重視することで見えなくなったものにだって、自分が大事にしたい豊かさがきっとある。

今朝、夫が仕事用のリュックを背負いながら、昨日の晩ごはんの食器洗いをしてて、わたしはぼんやり眺めてたんだよね。

そしたら「ただ見てるんじゃなくてなんか他のことやりなよ、なんか生産して」って言われてさ。わたしの時間を作るために今自分は家事やってるんだから、って意味なんだと思うんだけど。わたしはその時「出社前のバタバタでも家事やってくれてありがたいなあ」って心の中で思ってたわけよ。

ありがたいなあって思うだけの時間はなんも生産してないけど、大事にしたいのよ。うまい例え話になってるか分かんないけど、まあそういうこと。

今朝から夫は出社して、夜も懇親会だそうで。外で自分の存在が求められてて、いいなあって思うけどさ。

読んだ本のウケウリだけど、女性は家・男性は外っていう性的役割分担は体の構造上しょうがないのかも、って思ったりもする。

夫は仕事して、わたしは家事をやるのが、今のところ無理しない生活。今わたしが夫と同じように生活するのはほぼ不可能だし、女性の体の構造を抱えながら、男性と同じように働いて、同じ評価を会社からしてもらおうと頑張るのも、なんか無理してる気がするよ。

もちろん体質とタイミングによる。男女というよりは母と父の役割分担の方が言いたいことに近いかな。出産と授乳以外は努力すればきっと何でも同じようにできるんだろうだけど、役割を同化させるよりも、体の違い・得意不得意の違いの凸凹を補い合うほうが自然なのかなって思ってきた。

昨夜経済ニュースの番組で男女の賃金格差についてやってて、どう是正するか、に焦点が当たりがち。不当な格差は直すべきだけど、やっぱ男性の方が働けるし、男性の方が働きやすい職場があるのは当然だと思うよ。

男女が気持ちよく生きていけるために、お金じゃない方法でもお互いを大事にできたら少しでも解決できることはある気がする。

例えば優先席におじさんが一目散で向かっていくのとかどうなん?って思う。お金になりづらいケア労働(育児介護とか)が女性の方が得意な傾向にはあって、それを経済価値に無理に落とし込もうとするよりは、女性の方が賃金低くても、社会の中で大事にされている感覚を持てたらいい気もするけど、、どうなんだろ。

まあいつも思うけど大切なのはバランス。女性の権利を主張しがちだけど、女だけで社会は作れないし、逆も然り。1人の人の中にも男性的なゴリゴリいけちゃう時もあれば無理しないほうがいい時もある。経済もそれ以外も、同じくらい大切にしていきたいよね。

てことで、今の時点では、効率と生産性を追いかけて成長するのは夫の仕事ということにして、わたしは胸を張って自由にやらせてもらいつつ、お互い尊重して影響しあえればいいと思うことにした。(これって会社のいいチームのあり方にも同じことが言えそうだ..)

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