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ending

書きたいことのストックは沢山あるけど、
今日はあえて、これを書こうと思う。

死に様、
人生の最期へ向けてエンディングを決められるのはとっても幸せな事だと思うの。


「エンディングノート」
「終活」

歳を取れば、最期の時に向けて
やり残した事、
行っておきたい場所、
食べておきたいもの、
見ておきたいもの、
会っておきたい人、

これらを【消化】する為にプランを立てるはじめる。
前向きなプラン。
綺麗に人生の幕を下ろす為。

『去り際は美しく』
まさにこの言葉を意識してしまう。

でも、これって、
このエンディングって、
プラン通りに実行できて終われるって、
どれだけ幸せなことだろうか。

明日が楽しければいい、
明後日が楽しければいい、
一年後、五年後、十年後、
もっとその先の未来が幸せであればいい。

こんな考え方も、
もしかしたら、幸せすぎるのかもしれない。
ありがたいことなのかもしれない。


人は突然、本当に突然、終わりが来る。
自分でも予期せずうちに。

いつからか私は、
たぶん、死生観がはっきりしてきた頃から、
なんとなく、自分は短命な気がしてきた。
きっと私は最期のその瞬間まで、
その日を生きる事に精一杯な気がする。

幸せな事に、
私の人生には後悔がない。(今のところ)
やりたい事には真っ直ぐに、自由に、
それでもって、
自分の選択を後悔しないように生きられているからだと思う。

短命だと感じているうちは、
人生は長いとあぐらをかくことはしないと思う。
感謝を忘れずに、伸び伸びと生きていきたい。
「今日も良かったじゃん!」って。

そして、最期のその時には、
『あ〜、私の人生面白かったぁ。』って、
笑えるように、今をいちばん大事にしたい。
そうあれるように、
今日も私は、私だけの心の中を言語化するよ。


きっとこれも幸せなことだね!

この投稿にはオチはつけないでおこう。
どう感じるか、何を思うかはそれぞれでいいと思う。
人生はひとそれぞれ、とっても豊かだよ☺︎

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