“戦場のメリークリスマス”のような儚さ。
世界は美しい、美しい、と、
ばかり伝えるけれど、
美しくない汚れた側面もあって。
美しいと信じていたのは、
信じたかったからなのかもしれない。
汚れた側面を、
美しさの中に紛れ込んだ、
小さな小さなその側面を、
見たくないのかもしれない。
誰かにとっては美しいと感じるものも、
誰かにとっては汚いと感じるものであったり、
またその逆であったり。
これらが占める割合は、
人それぞれ。必ずみんな違う。
私はどうだろうか。
汚いと感じる割合が大半を占めていた、
かつてのまだ身体も心も小さくて、幼かった私。
自分の心を、
解決することを、
苦しみを、
抱えきれずに、向き合うことから、
逃げたくて逃げたくて、
放り捨てていた昔の私。
たくさんのことを乗り越えて、
いまの私は、汚いと感じていたものも、
それもまた美しいと感じられるようになっていた。
それはきっと、
地道に自分と向き合ってきたいままでにかけた時間と、
弱さを認め、
自分を知った事が大きな進歩になった気がする。
時折、
汚いと感じる側面が、
自分にとって苦しいものが、
私にとっての美しさを蝕んで、霞ませて、
視界の全てを暗くする時がある。
まだまだ私はバランスを、
いつも上手に取れるわけではない。
そうやって目の前が真っ暗になった時、
一度後ろを振り返れば
これまで歩いてきた道のりの
美しいと感じた側面を思い出せる。
それが私にとっての強さだと気付けた。
どうか、この事を忘れたくない。
忘れない為にここに記しておきたい。
いまの私は、
まだ幼く堪えきれずに苦しかった、過去の自分に
大丈夫だよ。と、声を掛けてあげたい。
そしてまた
未来のいつかの自分が、
いまの自分の言葉に救われるだろう。
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