自己紹介⑤~shige3の高校生時代〈後編〉~
・まだまだ、自己紹介編です。もう少しお付き合い下さい。
・前回は先生やOB・先輩からかわいがられ(しごき・毎日罵倒される=ほぼイジメ)、令和ではアウトだと思われる昭和の厳しい部活、地獄の1年生を乗り越え、人生最初で最後のゾーン体験もして関東大会へあと1歩まで勝ち進むなど、努力や苦労が成果に結びつくという経験をしてしまったshige3。果たして2年生~3年生と更なる飛躍を遂げられるのででしょうか?
・うつ病の原因を紐解く上で、自分史を整理して振り返るのもおすすめです!私も実際、Excelで自分史を作り、生まれてから1年毎の出来事や環境、学校名や部活、就職してからの配属先など、年表みたいに全部書き出して並べてみて自己分析などに使用しました。
・自分の性格傾向はどうして出来上がったのか?などを知るのも大事ですし、書き出すことで客観的に眺めることができるので、捉え方も変わり、思わぬ気づきが得られるかも知れません。
・そんな視点で読んでみて下さい。
1.高校生時代<後編>
(1) 2年生の春がピークだった?
関東大会予選で代表決定戦(トップ24/約1000人中)まで勝ち進んで、部内の先輩・同級生・後輩はもちろん、他校の選手にも「shige3、決定戦まで行ったんだって?スゲぇ~じゃん!」とか、試合会場でも色んな人から声をかけられて、だいぶ有頂天になっていましたが、結局そこが人生のピークでした。
ただ、OBから言われた一言で印象に残ってるのは「決定戦で勝てなかったのは欲が足りなかったからだな」って言葉ですね~。たしかに決定戦まで進めたことですでに満足してしまっていた自分もいたし、その前の試合と違って代表決定戦では自分は勝てるというイメージを持ってなかったのは事実だったのでグサッと刺さりました。あと中学時代も2位止まりだったり、優勝できない、NO.1になれないのはそういう欲深さとか図々しさが常に足りないんだろうな~と思いました。
そのあとすぐインターハイの予選もありましたが、せっかく外シード獲得したのに中シードに、都内No.1校の有望な1年生をぶち込まれ、5回戦くらいで負けてしまいました。
それからというもの、何かモチベーションを保つどころか守りに入ってしまって、すっかり試合でビビるようになってしまってました。その後3年生の引退まで、これといった成績は残すことができませんでした。
あとから考えればそういう経験できたのも勉強にはなったんですけどね~…
(2) 後輩をしごくのをやめたのは良かったものの
後輩を厳しくしごくのをやめる=甘やかす感じにどうしてもなってしまって、そうすると素直な性格のヤツはいいけど、元々歪んでるヤツはどうしても付け上がる。怒ったり罰したりしないのをいいことに特に優男な先輩のことを舐めたりし始めるので、縦社会が崩れて統制が効かなくなる。
あと、やっぱり厳しい地獄のような環境も経験してないと、試合でも日常生活でもいざという時のプレッシャーに勝てないことは否定できない。
果たしてそれが後輩のために良かったのか?…と未だに思うときが多々ある。
(3) 部活を引退してから、色々学んだこと
スポーツ推薦でせっかく大学付属の高校に入学できたものの、一年生最初の中間テストで約493位/500人中=ケツから7番目という成績で、三者面談でいきなり「大学は無理だな」とお先真っ暗なことを言われてたが、部活を引退して塾の夏期講習を受けて、大学進学をかけた他の付属校との統一テストに臨んだところ、約260位/500人中=真ん中辺りまでのし上がり、エスカレーターでそのまま大学へ行けることになった。
逆にクラスの中でも成績が良かった奴(中には過去に学年1位だった奴も…)がプレッシャーからか?、余裕ぶっこいて勉強してなかったからか?大学へ上がれず脱落してしまったり、色んなドラマがあった…。
最初の中間テストは、部活で疲弊して授業はほとんど寝てたし、テスト勉強も疲れちゃってできなかったので、部活引退して勉強する環境が整えば、ちゃんと成績も上がるんだなということがそこで確認できたのは、先の人生にもプラスになった。
また、大学進学も決まり、まさに自由になった三年生の3学期は、部活で年間数日しか休みが無かった反動で、友達とスキーに行ったり、合コンに行ったり、飲みに行ったり(当時は居酒屋で年齢チェックとか無かったので笑)、色々遊びまくりました。
部活と勉強だけでなく、遊びの経験もできたのは今思うと本当に良かったと思います。そのままただの真面目人間できちゃってたら、さらに酷いうつ病になっていたのかも知れません。
引退後、大学でも卓球やりたいと思って、入学前から練習に通ってみたものの、高校の先輩と同じような陰湿なしごきをする先輩部員が何人かいたので、せっかくだから大学4年間は別の経験がしたいと思い入部するのは辞めた。それが正解だったかはわからないが良かったことも沢山あったし、未だに後悔が残ってることも事実。
(4) ゆるい中学時代から一遍、今度はいきなり地獄からの天国という落差の大きい激動の波を両方味わった高校時代のまとめ
生ぬるい仲良しクラブだった中学時代から、いきなり縦社会の訓練所?まるで軍隊のような部活で卓球をすることになり、180度環境がガラッと変わり、人生で初めて「憂鬱」という意味を実体験で理解できた。
卓球未経験者(陸上経験者)に卓球の指導されるだけでなく、そもそも性格そのものも理不尽なことだらけの顧問とその顧問に育てられた歴代のOB・先輩達から連日しごかれ、令和でも話題になっているがスポーツ刈り(坊主頭)で、練習中水は飲んではならない、顧問・先輩には絶対服従、気軽にこちらから話しかけてはいけない、返事は「はい」しか言ってはいけない…。
スポーツ推薦で進学してしまった以上、辞めるわけにもいかず(今思えばそういう選択肢もあったのだが、当時は想像すらつかなかった)、毎日が憂鬱で逃げ出したいという地獄の一年生。
でも、そういうTHE昭和(令和ではマスコミやモンスターピアレンツに叩かれてアウト)の部活が体験できたことは良かったと思ってます。
何故なら地獄の日々を経験すると、何気ない日常が幸せなんだと気付ける。
地獄の日々を乗り越えると、とてつもない自信が付くことを体験できた。
一方、二年生以降では自信が付いて自分のレベルが上がったあと、何もせずに守りに入るとビビるようになって例え実力があっても自信がないと勝てなくなることが体験できた。
ただし忘れてはいけないのが、地獄の日々を乗り越えて強靭な精神、ストイックな性格を身につけることができたことは今考えれば良い経験ではあったものの、のちにうつ病になる要因にもなったことは否定できない。
2.この先の記事にする予定のコンテンツ
自己紹介関連
・shige3の、育った環境、生い立ち、自分史 ←イマココ
・shige3の「性格傾向」病前性格
・shige3の「環境要因」うつになった要因(きっかけ)
・shige3が、あとから気づいた要因
・shige3が、考えるうつ病とは闘病生活
リハビリ
寛解~復職
・・・
などなど、不定期だったり途中寄り道もするかも知れませんが、今うつ病や精神疾患で苦しんでいる方、パートナーや家族・友人がうつ病という方の役に立ちそうな視点で、気がついたことやヒントになりそうなことなど、これまでの経験、学んできたこと、膨大な記録の中からnoteの記事に順次書き起こしていきたいと思いますので、良かったらスキとフォローよろしくお願いします。
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※闘病に関係ないくだらないこともつぶやいてますがご容赦ください笑
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