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”たったそれだけでしかないもの“を愛する

 カンボジア、プノンペンのチュンエクに行った。ポル・ポト、クメールルージュによる大虐殺が行われたキリングフィールドだ。並ぶ頭蓋骨やら、骨やらが、人であったと思い出した私はすっかり気が滅入ってしまった。

 あらゆる音が右耳が左耳へ抜けて行く。ガイド音声、私を急かす仲間の声すらも。私はひたすら地面を見つめていた。

 前を向いて歩けば、アリを踏んづけてしまった。私の靴の下でぺしゃんこになったアリに続き、赤い土をトコトコ歩いていたアリの行列に目をやった。いくらかのアリは混乱して、同じところをぐるぐる回っている。いくらかのアリは、迂回して通る道を見出した。また、ある一匹のアリは、仲間を踏んづけて殺した、私の足を登ろうとした。

 ひょっとしたら、そのちっぽけな生物にとっては、私の足なんて石なんぞと変わらないかもしれないけれど、私はなぜだか、それに慰められた。くだらないものに感動するとは、馬鹿馬鹿しいことだろうか。
 たしかに、ただのアリをただのアリとして見ることは、至って自然なことなのだけれど、それはなんだか悲しいことにも思える。「たったそれだけでしかないもの」を愛せたら、それはどれだけ素敵なことだろうな、と思う。

 私はアリの行列に寝そべった石を退けて、また人々の行列に戻って行く。 あの働き物達の巣はひょっとすると、今は雨季というのもあって、雨に流されもう無いかもしれない。その雨に耳を澄ませばきっと、クメールルージュの前にただのアリだった幾多の人々、僧侶、子供とその母さん、父さんの小さくなった呻めき声が聞こえてくるだろう。

 「たったそれだけでしかないもの」を愛せたなら、どうだったろう。私に今からできることがあるとすれば。今日あった面白かったことでも母に話そうかな。

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