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島根旅行記 横山大観コレクションと日本一の庭園 足立美術館 出雲大社

愛知県には「ラーケーションの日」という制度がある。

今年度からの新制度で、保護者の休みに合わせて学校を休んでお出かけができる制度。
ラーニングとバケーションを合わせた造語で、親子で校外学習を楽しむことが主旨のため、学校に学ぶ内容と場所を申請する必要があるが、子の休みは欠席扱いとはならない。

この年度末、高校生の次女からせっかくだから母の休みに合わせて取りたいとの申し出があり、急遽月曜日でも開館している美術館を探すが。。まあ、東京方面の興味のある美術館は全滅。

そしてたどり着いたのが足立美術館。
ホームページには、大観のコレクションを入手する際のエピソードが掲載されていた。幻の北沢コレクションの「紅葉」と「雨霽る」を含む横山大観作品群をまとめて購入する際、2年をかけて交渉し購入直前で「雨霽る」をリストから外す要望を出されて、最後は泣き落としのような形でなんとか入手したとか。足立全康氏の熱意たるや、すざまじいものを感じさせる。ということで、期待度MAXで足立美術館一択となった。

結局家を出たのは夕方で、車で5時間を越す次女との2人ドライブ旅は、次女との取り止めのない会話から、最近の体験のシェアから双方の考え方を深めるようなやり取りで、あっという間。

翌朝、宿からたどり着いた足立美術館は、数日前の積雪の名残が全く無く、残念ではあったものの、苔庭、枯山水庭、白砂青松庭はどれも見事だった。

苔庭 松の斜め具合!

作り込まれた美の中にも、山に生えていた松を移植するにあたり、真っ直ぐに植えると松に負担がかかるからと、斜めに植えたりと、植物そのものへの愛を感じる。

創設者 足立全康氏 施設内の至る所でお見かけする笑
喫茶室 翠 にて キャラメルマキアートなんて洒落た飲み物を初めて注文。
庭園の手入れ 1年間のスケジュール
芝生が穴ぼこになっていない時期でよかったねぇーと次女が話す
生の額絵

基本は、建物の中から庭を愛でるのだけれど、創設者足立全康氏の自宅のお庭と池は外から見学。

生前の全康氏の自宅の庭!池には立派な錦鯉が優雅に泳ぐ

生の掛け軸は、床の間の壁が切り取られて庭が掛け軸のようになっているのだけれど、庭側に大勢の見物客が歩いており、ちょっと残念な感じに。

白砂青松庭

白砂青松庭は、横山大観の白沙青松をイメージ。黒松と赤松が左右に分かれて配置。
松の種類の違い!面白い。奥の山にひっそりと滝が見えたり、全て計算されていると思うと、この庭にかける情熱が伝わってくる。

そしてお楽しみの日本画の展示へ移動ー。

3月1日から5月31日までは春季特別展が開催。
その季節にちなんだ横山大観作品は16点展示。美術品は全館撮影不可。

大観は1903年菱田春草と共にインドへ。半年ほどの滞在後の数年はインド風の作品を描いていた。1903年に描かれた春日児戯図は、余白や、子どもたちの目線の先にあるものにストーリーを思い浮かばせる。

余白が重要な意味をもち、観るものに想像させる。形を打破して自由で広大な精神的傾向に活きよ、と教えていたという。作品に寓意を忍ばせる傾向もあった。

東京国立近代美術館で見た朦朧体が確立された「生々流転」は1923年。その頃に描かれた作品は非常に写術的なのに対し、晩年になるにつれ、フォルムが削ぎ落とされている様が見て取れる。横山大観の「無我」も所蔵されているそうだが、今回は展示されていなかった。

それにしても、西田俊英氏もインドへ研修に出ているが、日本画とインドはどのような関係性があったのだろうか。横山大観の師である岡倉天心もインドのベンガル派の画家と接点があったとのこと。宗教的な部分も関係があるのだろうか、などと思ったり。

また面白かったのは、生涯にわたっての「落款」変遷のパネル展示。年代によって少しずつ変化して行く様はなかなか興味深い。

大観以外にも竹内栖鳳、橋本関雪、榊原紫峰、川合玉堂、鏑木清方、伊東深水など50点弱も展示されていた。

橋本関雪の写実的な美しい「遅日」。そして西洋画の手法を取り入れた生々しい榊原紫峰の「桃花図」。榊原紫峰も作風の振り幅がすごい。

竹内栖鳳は、動物への愛が感じられる。カエルの絵も描く時10日間も観察して、オスメスの判別ができるほどになったとか。そこまで真摯に向き合い、描く姿は伊藤若冲を思い起こさせる。京都の福田美術館でも展覧会が開催中とか。気になるー。

新館には現代日本画も数十点。見たことある作風だなと思ったら、西田俊英氏の作品も展示されていた。院展の中から足立美術館賞を獲った作品は足立美術館へ買上げられるらしく、西田氏は第1回と第12回に受賞していることもあっての展示のようだ。

現代日本画を眺めていると、そもそも日本画の定義ってなんなの?と思う。日本画材を使っているから日本画なんだろうか? 明治時代に入ってきた西洋画との区別という考え方はもう現代には必要ないのかもしれないと感じる。
とにかく、作品の世界観は様々だけれどファンタジー感が溢れていた。特に宮北千織氏が好きだった。

足立美術館には北大路魯山人の作品集められている魯山人館もあるのだが、魯山人の大胆な書や陶芸作品は私の好みの問題もあり、さらっと観たのみ。好きな人は好きなんだろうな。

この後出雲大社へ移動して、お参り。まずは伊佐の浜へ。
この浜の砂を出雲大社へ持って行くと清めの砂と交換できる場所があるらしい。

伊佐の浜 旧暦10月10日に、全国の八百万の神々を迎える浜とか。
岩山のようなものは弁天島。
拝殿

出雲大社正面には拝殿。
本殿には入れない。ちなみに出雲大社の参拝は2礼4拍手1礼。なぜ4拍手なのかは春夏秋冬とか東西南北に礼を尽くすなどの意味がある模様。

19社

10月神在月にやってくる八百万の神が滞在する宿となるお社は東西に19ずつ。扉が19あるから19社とか。扉が閉まっている今は神様いないし、お参りしても、、と思いつつ一応逢拝所ということなので手を合わせておいた。 

素鵞の社 (そがのやしろ)

本殿の裏側 奥にある素鵞の社(そがのやしろ)は、砂の交換所となっている。伊佐の浜から持ってきた砂を床下の砂へ納めたら、その場にある清めの砂となった砂と交換できる。
管理者が常駐して砂の管理をしているわけでは無いのに、参拝者は恭しく砂を納め、色が変わっている砂を持ち帰っていた。

御本殿へ向き大国様に思いを寄せるうさぎかな?

御本殿に祀られている大国様の因幡の白兎の話はとても有名とのことだったが、恥ずかしながら今回ネット検索で初めて知った私。

至る所に真新しいウサギの石像があり、寄贈者名が彫られており、珍しい名前だなと思ったら出雲大社の権宮司さんの名前だった。皇族と呼ばれる天皇家の親族が降稼されているということもあるのか、寄付者の名前として皇族の名が書かれた看板も。なるほど権宮司は世襲制のようだ。

そうこうしているしているうちに、素鵞の社へ進む道が閉鎖されるということで警備員さんに声をかけられる。砂を交換したい人は、早めに参拝しないと清めの砂が入手できなさそうだ。

有名な巨大しめ縄は神楽殿にありました

不思議なもので、気持ちも新たに、すっきりした気持ちで帰途に着いたのでした。

出雲大社ももっと詳しく調べたら面白そう。古事記まで遡る旅は、、また今度。後日知人に旅行記を話したら、toland vlogというYoutuberの動画を薦められたので見てみようと思う。

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