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遠い記憶 〜その二〜

幼稚園の年中さんになる頃,親の事情で街中の住宅街へと引っ越した。🧳

 ずいぶん昔だが街外れだった旧家の周りには田んぼや畑も多かったのに,
そんな田畑が全く無い街中に移動した。

子供にとっては遊び場所を取り上げられたようなものだった。

 最初は自宅脇の未舗装道路で近所のお兄さんお姉さんに遊んでもらい(ケンパ、ケンパ、ケンケンパーとか,縄跳びとか、何故か自宅にあった竹馬とか)
 そのうち彼彼女達が小中学生になる頃にはお互い離れてしまい,自分は幼稚園友達と遊ぶように。その子の家には頻繁にお邪魔したらしく、何度も親に迎えに来てもらったように記憶。いい迷惑だったろうなぁ🤣と言ってみたものの,幼稚園友達は多くなかったのか、毎朝一緒に登園していた「アッコチャン」くらいしか覚えていないことに,今気がついた。。。ホント⁉️

 新たに通うことになったY幼稚園は,お寺が経営する幼稚園で,仏教系のイベントもいくつかあった。お経も日常的に聞こえていたしお線香の香りもあった。お釈迦さまの誕生日のお祝い?花祭りもしたし,お弁当を食べる時はみんな揃って「いただきます」を🙏していた。お堂に入ってお掃除もしたような薄い記憶もあったり。なので今でもお寺は嫌いでは無い。本堂に入ってご本尊眺めたりすれば心が落ち着くのはこの頃があるせいかも。でも仏教徒というほど信心していないし,死んだら絶対お釈迦様の元へとかも思わない。いくべきところ(神様のそば)に行くんだろうなあ くらい。

 これ、今気づいたが神社仏閣ではよく遊んでいたなぁ🤔逆に教会やムスクで遊んだ記憶は無いぞ❗️やはり自分の時代の日本は、まだ神道仏教が生活の中にあったんだなァ好き嫌いを問わず。良いか悪いかも別にして。誰かに制限されたわけでも無いし,自分で壁を作ったわけでも無い。ただ身近に生活の中にあったというだけの事。

 宗教の話とは関係ないが,近所に「外人さんの家」があった。一・二度,住人の方を見かけたが,交流はなかったのが残念。まだ近所からも『浮いていた』んだろうなぁご苦労が想像できる。噂では近所の教会の牧師さんだとか?でも⛪️は何処⁇
たらればになるが、あの幼少期に住人の🧔‍♂️🧑‍🦰と交流出来ていたら,自分の人生変わっていたかも、、なーんて🤣


 その他の、この頃の明確な記憶のいくつか。

 その一、風で飛ばされて横断歩道を渡った(移動した)こと。雨の日にアツコチャンと二人で信号待ちしていたら,ものすごい(推定)風が吹いて💨気がついたら二人して同じ立ち姿で、道路の反対側にいたという話。移動中の記憶はあまり無いが,足の下で道路が滑って動いているような感覚だったと思う。

 もう一つの記憶は、エレクトーン🎼教室。要は習い事。何を勘違いしたか,本人の意思と無関係に親が通わせたみたいで、一めくり分の楽譜も覚えず弾けずに嫌になって辞めたらしい。土から生まれたような自分に音楽は遠い世界だったようだ。

あと一つ。当時は、春の市内のお祭りの時に、🎉🪭近隣町の山車が自宅前を通り抜けていった。大勢の人と共におネリの中、山車が通りその上にいる子供達に憧れた。“テケテンテケテンテケテケテン“『エイヤーサーのエイコラサー』今でも耳に響く。どうかすると今でも祭りの時に耳にするのが嬉しい。

そうだ❗️最後の一つこれ大事‼️
 引っ越して遠くなったのにもかかわらず、夏になると、親は海の近くのプールまで毎年何度も連れて行ってくれた。
これは本当に親に感謝しないといけないと、今でも思う‼️

なぜ大事か? それは次回、小学生編で紹介します。


幼稚園の頃のお話はここまで
次は小学生の前半の予定(いつになるやら)

お付き合いいただきありがとうございました。🫶👋

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