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[こぼれ話10]下村さんのフィルム写真に対する強い想い

下村さんが愛用するカメラは中判カメラでした。
カシュッ、カチカチカチカチ、カシュッ、カチカチカチカチ、カシュッ、、、、シュルシュルシュル…と巻き上げたら、皮のカバンの中から銀色のフィルムの袋を開けて、青と白の帯のデザインのブローニーを出して、カメラのおしりから装填します。
僕が初めて担当した第四回目の取材の時から最後までずっと変わらない作業。
きっと、最初の大学セミナーハウス取材の時から、いえ、その前からずっと同じスタイルだったんだろうと思います。

下村さんに、早稲田で写真の授業を担当していると聞いたとき、反射的に「ということは、デジタルカメラも教えてるんですか?」と質問しました。
下村さんは肯定するも、でも自分は使うつもりはない、買うつもりもない、とおっしゃられました。
それと一緒に聞いたのか、また別日に聞いたのかはさだかじゃありませんが、「あれは僕にとって、写真じゃないもの」といったニュアンスの話を教えてくれました。

藤森先生の連載が終わって数年後にお会いした時に、下村さんは何を考えて、何を目指して写真を撮ってきたのかを聞いたことがありました。
「僕はとにかく、誰よりも美しく建築を撮りたかった」
でもそれはデジタル技術による支援なしに、自分のアナログの技術のみで追求するのが面白かったのだと。
そのように自分の技術を追求していても、デジタル処理したのではないかと思われてしまうのは嫌だし、そもそも数字の羅列のデジタルデータになってしまった画像を「写真」と呼ぶのに抵抗を感じるとも言われていました。

これは正しい正しくないという話ではなくて、長年建築写真というものを追いかけてきた下村さんがそう感じているということ。
それはステキなことだし、偉大な答えです。

そんなお話を聞いて、反芻してみて、フィルムで撮り続けてきたお気持ちがなんとなく理解できたような気がしました。

そういう背景もあってか、下村さんはもうほとんど写真の仕事をされていないそうです。
ご高齢になられて体力的に厳しくなった、ということもあるかもしれませんが、そのような写真への想いがきっと裏にあるんだろうなと感じています。

実直でキレイ。

下村写真の最後の集大成になったかもしれない「藤森照信の現代建築考」は、ぜひお写真もお楽しみください。

そう言えば、下村さんは最後まで私にカメラバックを持たせてくれませんでした。
それは編集者としての私へのリスペクトなのか、はたまた他人にこんな大事なものを任せられないという信用問題からなのか。。。
大事な大事なカメラ機材ですから、他人に任せられないという気持ちはきっとあったはずですね。
でも、途中から三脚は持たせてくれたから、少しは信用してくれたのかもしれません。
写真は伊東豊雄さんの笠間の家、本野精吾さんの旧鶴巻邸にて。


撮るべき場所をどう撮るか。
銀のプレートをカメラに差し戻すまでは厳しい目をされていました。

「藤森照信の現代建築考」表紙

藤森照信の現代建築考

文=藤森照信、撮影=下村純一 出版=鹿島出版会
2,600円(+税10%)
ISBN:9784306047013 体裁:A5・208頁 刊行:2023年8月
日本のプレ・モダニズムからモダニズムへの流れを、ライトから丹下健三、そして現代の第一線で活躍する建築家たちの作品を通して概観する。
明治初期に開拓した日本の建築という新しい領域にモダニズムが如何にして浸透してきたのか。日本の建築界は近代という激変の時代に、コルビュジエやバウハウスの影響を受けながらも対応してきた。時代を代表する建築家たちの45作品を通してその特質を考察する。

目次

まえがき:藤森照信
Group 1 モダニズムに共通する住まいの原型をつくり続けた建築家たち
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ、フランク・ロイド・ライト、アントニン・レーモンド
Group 2 戦後の日本建築界をおおいに豊かにした建築家たち
本野精吾、村野藤吾、堀口捨己、今井兼次、白井晟一
Group 3 造形力、力動性と民族性、記念碑性を接合させたコルビュジエ派の建築家たち
前川國男、谷口吉郎、吉村順三、奥村昭雄、内田祥哉、丹下健三、片岡献、松村正恒、池辺陽、ジョージ・ナカシマ、吉阪隆正、浅田孝、ほか
Group 4 戦後モダニズムにおけるバウハウス派とコルビュジエ派の建築家たち
大高正人、菊竹清則、磯崎新、黒川紀章、仙田満、山崎泰孝、象設計集団、伊東豊雄、内藤廣、高松伸、藤森照信、ほか
取材後記 ─ あとがきにかえて:下村純一


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