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遠くはるかに、はるかにピエロ

最近、生まれて初めて「サーカス」を観に行った。

新型コロナウィルスが流行り出した頃、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の経営破綻のニュースを聞いた。当時「シルク・ドゥ・ソレイユ」について知っていたことは、その名前が「太陽のサーカス」という意味であることと(これはクイズによく出る知識だった)、そして名前の通り「サーカス団」であること、ぐらいだった。

ただ、そのニュースは「コロナ禍」の厳しさを象徴するような出来事だったし、まがりなりにもエンタメに近い業界に身を置く自分にとっては、他人事として簡単に切り分けられるものでもなかった。興行を頼りにする業界そのものが大きなダメージを受けるなか、サーカス、という存在もその例外ではないことを知った。そういえば、私は日本でどんなサーカス団が活動しているのかすら知らないなと、ふと思い、それからサーカスについてちょこちょこ調べるようになる。いつしか、サーカスを観に行きたい、という思いは膨れ上がっていた。そもそも、興行の類は何でも観たいと思う質だったので、それが一つ増えた、くらいの思いではあったが。

それからある程度の時間が経って、2022年もそろそろ終盤戦といった頃のこと。「木下大サーカス」が東京で公演を行うことを知った。場所は立川。なぜ立川? やるならもっと都心の方でやればいいのに、と思ったが、なるほど、サーカス小屋から建てるから、スペースのある場所が必要なのか。というか、そもそも地方での巡回公演が基本なのだな。とまあ、そのぐらいの認識の浅さだった。ひとまず思い立ったが吉日と、興味のありそうな(呼べばついて来そうな)友人を誘い休日にチケットを取った。

翻って当日。

モノレールの駅から会場へと歩いていると、すぐに真っ赤なテントが見えてくる。この時点で、どうしてもテンションは上がる。「サーカスは、サーカス小屋で行われる」という頭の片隅にだけにあった知識を、ここで目の前の現実と符合させる。

テントの前、つまりは会場に着くと、その「実感」はより確かなものになった。

映画や漫画、小説などで、サーカスをモチーフにした作品やキャラクターは数多くあるように思う。私も映画『グレイテスト・ショーマン』はとりわけ好きだし、この頃は「サーカス団の団長」というプロフィールのVTuberに熱を上げていた。(尾丸ポルカさん、というのでこちらは調べて欲しい)ともかく、私の中のサーカス像は少なからずそれら、フィクションによって作り上げられていたところがあって、実際に足を運んでまず抱いたのは、正直、「本当にあるんだ」という感覚だった。話だけはよく知っていて実物を見たことがない、という点では、ユニコーンだとか、フェニックスだとかに出会ったときも同じような感覚になるのだろうと思う。本当に。

入場ゲートを潜ると、テントの周りに設営されたグッズショップや、軽食の売店が目に入る。公演を観ながらポップコーンを頬張ることが可能であると、ここで知る。そうだ、演劇とは違う、静かに観るものじゃないよな。ここまで会場についてから10分ほどしか経っていないが、頭の中のおぼろげだったサーカス像に修正を加え続けている。これまで人とサーカスについて話す機会がなくてよかった、と思う。それこそユニコーンの生態について語ればきっとそうなるように、どれだけボロが出たことかわからない。

お腹が減っていたので、売店でキャラメルポップコーンとチキンを買って、テントの中へ入る。

しばらくして公演が始まると、私の知っている限りのサーカスが、そこにあった。

「木下大サーカス」は明治35年に旗揚げされて以降、120年の伝統を持つサーカス団らしい。玉乗り、ジャグリング、ピエロ、猛獣ショーに空中ブランコ……だからか、その演目はどれも、ある意味古典的というか、サーカスの演目らしい演目がきっちり揃っていたのだった。

序盤の目玉とされていた、ホワイトライオンによる「猛獣ショー」は、ベタすぎて正直なんだかしょっぱいくらいだった。猛獣使いの言うことを素直に聞かず、なんだかのそのそとした動きで曲芸を消化するライオンは、観客に驚きとはまた違うタイプの感覚を与えていたように思う。どちらかというと、どでかい猫をみんなで見守っていたような気分だった。それはそれで可愛いし、観客も「そういうもの」として見ているような眼差しではあったのだけど。

ただ、今の時代にはもう珍しくもない猛獣によるショーも、ベタにベタを重ねた上に勿体ぶって披露される空中ブランコも、幕間を繋ぐピエロも、そのどれもが私の目を奪って離さないものだった。大きなことを言うようだけれど、「エンタメ」は予想を超えるのではなく、期待に応えてこそ役割を全うするのだと、そう思う。私の目の前に現れた「サーカス基本セット」は、その期待に確かに、応えてくれていた。

思えば、自分はずっとパフォーマー、ひいては舞台の上に立つ存在に憧れていた。私には小説の中の登場人物のように、人生を一変させるような1つの舞台を観た経験があるわけでも、憧れとなるような1人の役者との劇的な出会いがあったわけでもなかった。それでも、私が見て、触れてきた数々の上演や作品たちによってもたらされた感動はじわじわと私を蝕み、舞台上の存在に対して憧憬、それどころか執着のようなものを抱かせるまでになっていた。それこそ、サーカスだって、なぜ今まで観たことがなかったのか不思議なくらいに。

「人を笑顔にさせたいんです」と屈託なく笑う人に、「そうですか」と訥々と答えを返しながら、しょうもないことをわざわざ口にするものだと、内心冷ややか眼を向けていたようなところが私にはあった。ただ、それも「私の方が」「お前なんかに」という嫉妬とパフォーマーへの羨望の類の感情が奥底にあったが故のことだというのは、薄々自覚していた。身の回りにあるものを必死にかき集め、がんじがらめに取り繕ってなお、それでも何にもならないと喘いでいる私には、身一つ、時に道具一つで観客を魅了する存在はあまりに眩し過ぎた。

公演が終わった帰り際、テントの柵に貼られていた「新人募集」の張り紙が目に入る。今日のような公演を観て一念発起して、という人もきっといるのだろうと思う。私も、そんなつもりはない、と思いながらもなんとなく読んでしまう。そこで、応募資格が、18才から25才までであることを知る。

私はちょうど今26才なので、資格はしっかり失っているわけだった。そのことを少しショックに思う自分がいることに驚く。自分がサーカスに? そんなことこれまで微塵も考えたことなかったのに。違うな、サーカスに入れないことが特別にショックだったわけじゃない、「可能性」の1つがいつの間にか潰れていたことに気付かされたわけだった。私は、まっさらだったキャンバスを汚し続けて生きている。あるいは、私たち、は?

そういえば、サーカスの団員みたいに、とはいかないが私は簡単なジャグリングができる。コロナ禍の手慰みとして通販で買ったボールで、3つを回せるだけではあるけれど。しばらくボールを手にすることすらなかったので、ある日、家でボールを探してみると2つしか見つからず、そのままにしていた。

サーカスを観に行ってから数日後、思い返したように都内のジャグリングショップに足を運んだ。なくしていたビーンバッグというタイプのボールに加えて、ロシアンというタイプのボールもいくつか買ってしまった。今、自室のベッドには多くのボールが転がっていて、私はときたまそれを手に取る。

相変わらず簡単な技しかできないし、それでもしょっちゅう、どころか何度もボールを床に落とす。そういえば、サーカスで見た陽気なジャグラーやピエロたちは、失敗をパフォーマンスとして織り込むことで観客を盛り上げていた。床に落ちたボールに目を移し、それを思い出す。

自分以外の誰もいるわけのない自室で、私を取り囲む観客について考える。これは失敗ではあるが、ここからが楽しいんだと、彼らに必死に、そう伝えようとする。そして私は、床で揺れるボールを拾い上げ、また空へと放る。