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落ちながら笑う

美醜について、ずいぶん苛烈な価値観に振り回される世の中になってしまったなと思う。

誰もが自分らしく、なんていうのはほぼ建前みたいなもので、TikTokにInstagram……SNSを開けば「美しさ」にまつわる強大で支配的なひとつの価値基準が巣食っていて、みんなそれに適応することばかりが求められている。

日が経つにつれてその基準はより強固になっていくばっかりで、みんなうっすらどこかおかしいなと思いつつも、人に承認され、避けられたくない一心で「可愛く」「綺麗に」なろうとする。人からの目なんて関係ないと、そう言いたくても果たして自分が理想とする姿が、本当に自分自身が望んでいるものなのか、何者かによってそう思わされているだけのものなのか、それすらもうわからない。きっと私なんかの世代はまだいい方で、今の10代はほぼほぼ巻き込まれるような形で、そんな社会に身をやつしているんじゃないかと思う。


私は、自身の容姿と身体について強いコンプレックスがある。

YouTuberのような時折は人前に出る仕事をしている一方で、自分の映った動画や写真を覗き、確認することが正直言って怖い。それどころか洗面台に備え付けられた鏡に向き合うときですら、そこに映っている私は望むような姿の私では到底ないように感じられて、そのままの姿で生き続けることを思うとふいに陰鬱な気に襲われる。

なぜこのような思いを抱くに至ってしまったのか、心無い言葉をかけられた過去だとか、着たい服を着られないままに時間を無為に過ごしてしまっただとか、なんとなく理由は考えられる一方で本当のところはよくわからない。そもそも、私は自身の身体が男性のそれであることを未だにうまく受け止められていない。理想について考えれば考えるほどに、現実がそれとは遠うことを意識させられるし、世界から私に割り当てられたコードと、自身の中に渦巻く何かとが決定的に違ってしまっていることに、日々やるせなさを覚えている。

可能であれば、目を瞑って過ごしていたいのに、付き纏う身体は呪いのようにそれを許してくれない。気に入った服なりメイクなりでどうにか抗おうとして、その日その日が過ぎさるのをじっと耐えるので精一杯だ。

人はみんなそれぞれに、違った美しさを持つと思う。

不合理な価値観のことなんて忘れて、素敵なあなたのことを知っていて欲しい。

心からそう信じているはずなのに、自分に対してはうまくそう思うことができないのは何故だろう。私に対してコンプレックスを打ち明けてくれる友人に、あなたはあなたのままでどこまでも素敵だよと、そう伝えてあげる。しょうもない目線の数々に振り回される必要なんて、本当にどこにもないから。

人に対してはそのままの在り方をどうにか肯定してあげたいと思い続けている一方で、自分自身にはその目を向けてあげることができない。「そのまま」を受け止められずに苦しむ今の私に、果たして他者を肯定する資格があるのだろうか。

その上で、好きな自分を目指して努力することと、その自分を正しいものとして人前に晒すことの暴力についてもまた考える。

ある美しさを目指すことは、つまりはそこに存在する尺度の肯定を意味する。私が考える「可愛い」「美しい」何かになろうとすること自体が、ある暴力の一端に加担している行為なのではないかと、そんな思いにも駆られる。巷に溢れる「顔が良い」「可愛いは正義」のような、安易なフレーズが怖い。勝手に悪を産まないでくれ。ステージの上に立つ誰かと、それを眺めるあなたとの間に、本質的な違いなんてものは実はどこにもないのだということに気づいてほしい。

鏡の中の自分を認めてあげるために、髭面を必死にコンシーラーで覆い尽くそうとする時間が、時に惨めにも感じられる。こんなことをして何になるのだろうと、全てを放り投げたくもなる。諦めから自傷のような形で、自身を追いやってしまった経験も少なくはない。

とは言いつつ、どこかで自分はこのまま戦い続けるしかないのだということもわかっている。どうせ自分が信じている価値の尺度は、世間のそれとは少しずれているんだ。そうであれば、私が望む私の形で多少暴れて、掻き乱すくらいがちょうどいいのかもしれない。せいぜいやれることは、許されるラインを少しづつでも切り崩していくことの他にないのかなとも思うけれど。

ありがたいことに、SNS上やイベントなどで「志賀さんのおかげで好きな服を着れました」といった声をいただくことがある。胸を張れるくらい私は頑張っているだろうかと不安にも(特段何もしていない気もするし、みんなが頑張っているだけだとも)感じる一方で、そう言ってもらえることをとても誇らしく思う。足掻く私の姿がもし誰かの何かになってくれるのなら、それ以上に嬉しいことはない。

自分にとって憧れなのは、完全無欠のアイドルではなく、不恰好でも何か、あなたの選び得る選択肢のひとつを見せてあげられるロールモデルだ。幸いまだこの姿でやりたいことは沢山あって、それに一歩でも近づくためなら何でもできるような気がしている。自分のことを支えてくれた存在だってこの世には多くいて、大袈裟な言い方かもしれないが、恩を返したいような思いもある。

それはそれとして、最近は美味しいものばかり食べてお腹がふくよかになっていく一方なのだった。まずは四の五の言う前にこいつをどうにかするべきところから始めるべきなのだろう。リングフィットアドベンチャーって、今から買っても遅くないものなのだろうか。