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最近観た映画3本 日記-20230602

最近観た映画についての雑記を残しておく。ここ最近は、そんなに変な映画は観ていないな。むしろ「観ておくべきところ」を押さえておきたい、みたいな動機で作品を探すことが増えてしまった。作品によってはAmazonリンクを貼っているけど、アフィリエイトなどは入れていないとだけ。画像の挿入が楽なのと、Amazonの方がなんやかんや読む側にとってもアクセスしやすい、みたいなとこあると思っているので……。

『RRR』

本当に今更ながら、という感じだ。日本での映画公開日が2022年10月21日のことらしいので、そのロングランっぷりもすごい。自分はそもそもラージャマウリ監督の『バーフバリ』シリーズが好きなので、絶対面白いだろうな……と思いつつ、大作であるが故に「観る覚悟」のようなものが固まっていないままだった。
契機となったのは、(これももう前のことだけれど)3月のアカデミー賞授賞式のこと。『RRR』の劇中歌である『Naatu Naatu』が歌曲賞を受賞してからというもの、にわかに周囲でも『RRR』のために劇場に駆け込む人が増えたように思え、気がつけば「観た方がいいよ」と会社で布教を受ける側になっていた。エンタメに関わるなら見とけ、みたいなことを言われてしまったのが、私が劇場に足を運ぶ決定打となった。そういう作品って、もう『エンドゲーム』で一旦ケリが付いたんじゃなかったのか。いいよ、観るよ、みたいな。
結論から言うと、非常に面白かった。期待値が上がりまくっていたのと、『バーフバリ』的なラインに並ぶものだと思っていたところもあって「今回はこれぐらいか」みたいな感覚も多少は抱いてしまいはした(これは完全に私のせい)。ただ、それを差し引いても「エンタメ」としてやれることをやり切ってくれている感じがあり、見応えがあった。特に、劇中歌の『Naatu Naatu』についてはそれが流れる背景も、意味もほぼ事前知識がない状態で観ることができたので、想像以上に批評性がある場面での披露に驚かされてしまった。

ちょっと気になったのが、その『Naatu』のいわゆる「踊ってみた」がYouTubeやTikTokなどで散見されることだ。作中での描かれ方としても、『Naatu』は非常にシンボリックな「文化」と、それにまつわる帰属、アイデンティティに関わる歌だと思う。インドにルーツを持つ人間ならまだしも、外部の人間がそれを踊ることには、一抹の危うさも漂う。いやらしい言い方をすれば、日本人が「踊ってみた」をやるのは、白人に対するアジア人の立場だから許されているところもあるなとすら。それはさておき、私も真似して家で振りを覚えてみるくらいには、魅力的なことは確かだった。どっちかが倒れるまで、私と勝負な。

『グランド・ブタペスト・ホテル』

寺田倉庫の方で「ウェス・アンダーソンすぎる風景展」という写真展をやっていたらしい。その展示はあくまで映画監督のウェス・アンダーソンが「撮ったっぽい」写真作品を展示するもので、監督本人はコメントを寄せるぐらいのものだったようだ。なんだそれ、ありなのか。(元々はinstagramのコミュニティに端を発したものだということは、後で知った)

それはさておき、1本も彼の作品に触れたことがなかったことを思い出し『グランド・ブダペスト・ホテル』を観た。噂通りの、鮮やかな色彩と作り込まれた画面が目に飛び込んでくる。自分はカットごとにやりすぎなくらい、「視覚芸術として作り込んでやる」みたいな気概が感じられる作品が好きだ。この作品はそういう意味で初めから終わりまでずっと楽しかった。(なぜ今まで通っていなかったんだろう?)
職場の映画に詳しい友人に、次のおすすめを聞いてみたところ『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』との答えをもらった。タイトルが長い。こちらの作品は画面構成はもちろんのこと、演出面でも気合が入ったものがあるらしい。観るのが楽しみだ。

『千年女優』

今敏作品を見るのは、数年ぶりのことだった。『パーフェクトブルー』『パプリカ』の2本は見ていたがそれも随分前のことで、今それらのあらすじを語れと言われても、それこそ夢か現か、みたいな話ぶりになってしまうと思う。『千年女優』はたまたまNetFlixで見かけ、この機会にと視聴した。
現実と虚構とが折り重なるような、らしい演出と展開。こういうタイプの作品と初見で向かい合う時には、ついメタ的に「この作品がどこまでやってくるか」身構えてしまう。どこまで物語性を破壊してくるのか、演出上でいくつ壁をぶち壊してくるのか……つい要らないことを考えて、その想像を越えてくれた時にはいいが、勝手に期待外れだった、という感想を抱いてしまうこともある。
そういう意味では、この『千年女優』は、めちゃくちゃにやってくるとまではいかないが、アニメならではのギミックを生かしつつもどこまでも綺麗にまとめてくれたような映画だった。これは、いいことだ。めちゃくちゃな映画が楽しいのは、実は見ているその時だけだったりする。良い映画こそ、見ている時にはなんだかストーリーにでも物足りないように感じるところがあって、それでいて、気がつけばふと思い出してしまうようなものだと思う。もっとこの監督の様々なタイプの作品を観てみたかったなと、数十万回は繰り返されたであろう感想を、私もまたここで抱く。『夢見る機械』のポスターが掲示されていたかもしれない映画館のことを考える。