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らしさみたいなもの 日記-20230212

・QuizKnockのサブチャンネルで、"Webメディア"QuizKnockの最近の記事について話す動画が出た。こうちゃんが記事制作の裏側についてもたくさん語ってくれている。ここで紹介されている記事はどれも力が入っていて良い記事だ。

・昨年4月からQuizKnockに本格的に社員として関わるようになって、そしてつまりはQuizKnock Webの編集者として携わるようになって、そこそこの時間が経った。日々楽しく、そして悩みながら記事を作っている。

・私がメンバーとして在籍しているQuizKnockは、元々Webメディアとして出発した集団だったーー、という説明をする機会もずいぶん多くなった。それほどまでにそこから生まれたYouTubeチャンネルや、メンバーそれぞれの活躍が多くの人の目に映るようになった現状は、多くは表に出ない私にとっても素直に嬉しい。

・学生の集団として発足したこともあってか、QuizKnockの「メンバー」の境目は実際かなり緩やかだ。動画にもとむさんや東兄弟など、クイズや学びについてはあまりに頼もしい面々が、また新たに出演するようになっている。そしてその「メンバー」の移り変わりのようなものは、今も学生のライターが主体として成り立っているWebではより顕著なことだ。

・らしさ、は人に依存する。人が入れ替わっていくということは、新たな可能性が生まれる一方で、らしさ、みたいなものを失うことと常に隣り合わせだ。集団として強固に思える何かも、実はほんのちょっとした個人の特性に紐づいていたりする。QuizKnock Webの「編集部」も、そこそこ人が入れ替わりながらもここまで続いてきていて、私は何かを失うことへの不安とずっと共にいる。

・あるコンテンツが「なんか好きだったときと違うな……」と感じてしまうときほど、悲しいことはないと思う。期待外れ、というよりは、約束と違うじゃないか、と言いたくなるような感覚に近い気がする。従来の映画や小説のように買い切り、読み切りの形ではなく、「コンテンツは常に更新されていくことが当たり前」になった今、そうした現象はより頻繁に起きるようになってしまったと感じている。

・ただ、ふいに鳴らされたドアチャイムで撮影が中断されてしまっていたような、ワンルームやりくり時代のQuizKnockが理想だったかといえば、それもまたちょっと違うのかもしれない。今だからこそできるようになったこともきっと山ほどあって、その中でいくら形を変えても残るものを見つけることが、(少なくとも私の)やるべきことのようにも思う。私は「QuizKnockらしいもの」が思っていたよりも好きみたいだ。自分が携わり続けることは、そのらしさを守ることに少しでも役に立つだろうか。

・手前味噌ながら、最近のWebは多くのライターやメンバーのおかげで、楽しく、学びにとって大切な記事を今まで以上に出せているように思う。

・これはライターの灼熱亭 火焔さんとの、撮影での一幕。「ひとりスイカ割り」はここ最近でも特にお気に入りの記事だった。「こういうものが作れそうなんですが……」と相談を受けたので、とにかく諸々を揃えて一緒に作ってみることにしたのだった。

・灼熱亭さんは間違いなく「QuizKnockらしくない」記事が書ける人だけど、その裏には技術や工夫で楽しいことを作ろうとする思いや、それを届けようとする強い意志がある。それでこそ、という気もした。

・その結果、出力される記事がこのしょうもなさなのだから最高だ。この内容の前では真面目ことを語ってもどうしようもない。

・ちなみに、季節外れのスイカには1玉4000円かかった。割った後のスイカは、そのときオフィスにいた人たちに配って回った。このスイカをずっと食べていたいと思った。