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ああ!窓にタコス 日記-20230504

・ここのところ、タコスに脳を侵されている。

・きっかけが何だったかははっきりしないが、セブンイレブンで偶然見かけたタコライスをつい買って、その美味しさを思い出してしまったのが始まりだったと思う。みずみずしいレタスに、ほろほろのタコミート。きらめくサルサソース。そのせいでここ数日は四六時中タコス、タコライス、あるいはそれに類する食べ物のことを思い続けている。テクスメクス万歳!

・先日も仕事終わりに電車を乗り継ぎ、タコスを中心に提供するファーストフードチェーンであるところの「タコベル」に赴いていた。タコベルはなぜもっと、マクドナルドクラスに偏在していてくれないのか。タコスに加えてチーズソースとサワークリームソースがかかった大盛りのポテトまで食べ、満足したのもの束の間、自宅に戻った私はまた後悔をしていた。持ち帰りで、明日の朝食分も買っておけばよかった。

・日本においてタコスは、なんというか、ちょうど変な位置にいる料理だと思う。食べづらさ的な意味でだ。ボロボロ崩れるだとかソースがやたら手につくとかそういう物理的な食べづらさではなくて(実際食べにくくはあるのだが)、私とタコスとの距離感、関係性みたいなものがそうさせるような。

・たとえば、ロシア料理のボルシチだとか、インドネシア料理のナシゴレンだとかはより食べづらい料理に類されるものだと思う。日本では決して食べれないほど珍しいメニューではないが、食べたいと思ったときには専門店に入る必要が往々にしてある。一方その点タコスは、(もちろん専門店はあれど)案外あちこちで見かける。タコスに執着して以来、「あ、ここにもあるんだ」を実感するくらいには、日常生活の中でギリギリ手の届く位置にいる。

・かといって、麻婆豆腐くらい身近かといえば決してそんなことはない。タコスのこの絶妙にいじらしい距離感が、私を惹きつけるのかもしれないと、そんなことまで考えていた。手を伸ばせば届くのに、その機会は限られている。機会を失ってはならないと、気づいたときには次のタコス経験を求めている。

・昨日は、コンビニで何かタコスに近いものがないかと探した結果、ラップサンドのようなブリトーのような、チリソースロール的なものを見つけた。これはこれで美味しそうだ。棚には残り1つのチリソースロール。これで妥協するかとレジに持っていったところ、店員から「ごめんなさい、これは売れません」と言われた。

・賞味期限を確認すると、ちょうど数時間前に切れていた。どうやら店員が撤去をし損ねたまま、棚に残ってしまっていたらしい。謝る店員に向けて、いいですよ別に、と私は返す。目の前にあるタコスのような何かは私の手から転げ落ち、手に入らないものへと変わってしまった。これだ、これがタコスの醍醐味なのだ。他には何も食べる気が起きず、チューハイを一缶だけ買って家に帰った。

・今はYouTubeで自家製タコスを作る動画を漁りながら、ソロタコスパーティの計画を綿密に立てている。なるほど、業務スーパーのトルティーヤがずいぶんお得らしい。家で作りさえすれば、私からタコスが逃げることはない。上機嫌で買い物メモを作る私。まだ正気ではないのだろうと、それぐらいは思う。