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【短編小説】 野球と映画

「今日のまかないは何を食べてるのでしょうか」
「いきなり撮るなよ」
「撮ってもいいって約束じゃん」
「事前に声かけろって言ってんの。常識なさすぎ」
「次からは気をつけまーす。ほら、食べ続けて」
 江崎はいつも休憩時間中にiPhoneのカメラを安田に向ける。江崎が大学で映画サークルに入っていること、現代を象徴する生活必需品になったスマホを使って何気ない日常を何気なしに繋げ合わせたドキュメンタリー映画を撮りたいのだということ、そしていまはシーンを撮り溜めている段階で文化祭での上映を目指してること。そんな熱弁を、安田は江崎が新人アルバイトとして入ってきた日に向かい合わせでまかないのタンメンを食べながら聞かされた。
「何番煎じの発想だよ。エモいって言葉に酔ってそう」
 率直な感想をぶつけた。
「安田くんって優しくないんだね」
 ふてくされた江崎はそう返す。右手と左手のそれぞれの親指と人差し指を伸ばしたものを上下に重ねて長方形を作り、そんなカメラのフレームに見立てた手の間から安田を覗き込む仕草をする。
「安田君のこともさ、撮りたい」
「やだよ」
「どうしても」
「どうして撮りたいの」
「表面上優しい人ってありふれてるけど、初っ端から優しくない人ってなかなかいないからさ」
「それ思いっきり悪口だよな」
「そうでもないよ」
 そんな会話を交わして話が途切れる。カウンター席の隅に置かれたテレビからは野球中継が流れていて、戸郷が一死満塁のピンチに見舞われながらも6回まで無失点を守り抜いているという巨人に肩入れした実況だけが狭い店内に音を漏らした。
 神楽坂通り商店街の老舗といえば聞こえはいいが、常連客と町中華ブームに乗かった若者がまばらに入ってくるぐらいのボロの中華飯店での仕事は大雑把だ。店主の多田は二人三脚で店を切り持ってきた妻の春江が気管支系の病気で入院してからは(おしゃべりなのは相変わらずだが)弱気になってしまって暇なときは2階の住宅に引っ込んでいる。客が来たら呼んでくれなんて安田に言ってはいるが、結局呼んでも数客程度のオーダーなら代わりに作ってくれと丸投げしてくる。
 安田が俺、単なるバイトなんですけどと文句を言うたびに、高卒からもう3年も働いてるんだから店の味は一通り教えただろ、なんて多田は若い頃に出前の配達中に転倒して折ったままの2本の歯抜けを覗かせる大口を開いて言い逃れる。
 戸郷が得意のシンカーで相手の4番打者を空振り三振に抑え回が終了した。
「ここでバイトしてると野球に詳しくなるぜ。特に巨人には」
「もともと根っからの巨人ファンだよ。父親がスポーツ中継専門のカメラマンで、その影響」
「俺は中学まで尼崎にいて、それで根っからの阪神ファン。やっぱりなんか江崎さんとは仲良くなれなそうって印象は間違ってなかった」
「清々しい嫌味だね。俄然撮りたくなった。撮っていい」
「絶対やだ」
「巨人対阪神戦のチケット横流しするよって言ったら」
「それは…条件次第で考える」
 そんな取引めいたものがあって、安田は江崎から野球観戦の招待券を横流ししてもらう代わりに動画の被写体になることを認めた。それからことあるごとに江崎は安田にカメラを向ける。帰り道の方角が同じということで早大通りに向かって一緒に歩くことも増えた。
「安田くんの姿勢って綺麗だよね。後ろから撮ってるとすごくわかる」
「中高と弓道部だったからな」
「だからか、それは納得だ」
「江崎は? ずっと映像撮ってたの」
「中学はバスケ部、すぐに辞めてそれからは帰宅部だったけど。映像は大学に入ってからだよ。写真はよく撮ってたけどね」
「ふーん。大学って楽しいの 」
「バイトの方が楽しいかも。多田さんも面白いし」
「なー。奥さんとの掛け合いも漫才見てるみたいで楽しいんだぜ。江崎は春江さんにまだ会ったことないよな」
「うん。早く一緒に仕事したいな」
「手術は成功したって言ってた。多田さん、大喜びで昼のまかない食べながら2人で乾杯した」
「なにそれ! 私もシフト入りたかった」
「てかさ、後ろに向けて喋るのだるいんだけど。横来いよ」
「はーい」
 そうやって横並びになっても都会の光を取り込んでカメラは回り続ける。少し間を置いて話題が変わる。
「サトテルがさ、昨日サヨナラ打を決めた」
「こっちはね、岡本が5号ホームラン打って勝ち越したけど、結局負けた」
「次の週末のデーゲーム一緒に観に行こうぜ」
「そうやって誘ってくれるのずっと待ってた。そもそも私のチケットなんだけどね」
「試合終わりにいつも行く串カツ屋に連れてってやるよ」
「奢ってくれるの」
「阪神が勝ったら江崎が奢る。巨人が勝ったら俺が奢る」
「負けられない戦いだ」
 そんなとりとめもない会話も2人の距離も、5月のまだ肌寒い東京の夜に1秒1秒と記録されていく。

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