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【エッセイ】 自分と世界の境界線

 2024年、1月。歯が痛み出して歯医者に駆け込んだ。歯医者は人一倍苦手だ。痛いのも嫌だし、そもそもあの機械音はなんであんなに恐怖心を煽るのだろう。
 「口、開けてください」と言われて、「優しくしてくださいね」とお願いする。隣では男の子がおとなしくしているのに、いい大人が情けないのはわかっている。マスクで表情を隠した衛生士さんがちゃんと呆れていることをその視線から察する。「早く口、開けてください」と催促されて渋々口を開ける。口の中に何かが入り込んで歯や歯茎に触れる。こうやって普段他人に見せることのないものを覗かれて触られることにも慣れない。患部になにか金属っぽいものが触れる。痛い。痛いから、手を挙げてバタバタしてみる。「痛かったですか」と言うから「めちゃくちゃ」と返す。
 こういうときに自分と他人というか、自分の感覚と世界を隔てる境界線みたいなものを考える。僕の痛みは僕のもので、他人には何かしらのリアクションを起こさなければそれは伝わらない。感情や思考も一緒だ。自分の内側は他人と共存する世界とはイコールじゃないのだ、という当たり前を思う。例えば気分がどんなに沈んでいても、世界は快晴であったりする。
「もう一度だけ見せてください」
「また触るんですか」
「優しくしますから」
「信じますよ」
 そんな掛け合いのもと、衛生士さんは絶対さっきよりも強く患部を叩いた。手をバタバタする。隣の少年が処置の合間にこちらを覗き見ている。思わず目が合ってしまえば、お互いにバレたって感じでバツが悪い。そういえば僕が初めて歯医者に通い出したのも彼くらいの歳だったなと記憶が蘇る。痛みを堪えるために当時のことを思い起こして過ごすことにした。僕が自分と他人を、自分と世界のその線引きを意識し始めた小学5年生のときの思い出だ。

 出身である福井県は漁業を盛んにする港町の嶺南地方と山間や平野を生かして農業を盛んにする嶺北地方にわかれていて、それぞれ文化圏も違えば、南は関西弁で北は福井弁と実は言語圏も異なる。父は県の公務員で僕が小学校の高学年になる年の異動で出先から本庁に戻ることになり、そのタイミングで念願のマイホームを手に入れた。それで僕は南の港町から北の農家を営む祖父母が住む、つまりは父の生まれ故郷へと引っ越したのだ。
 新しい学校、新しいクラスメイトには馴染めなかった。環境がなにもかも違った。複数クラスがある大規模校から保育園から人間関係が変わらない小規模校へと、通学路が街中の商店街から延々と続く田園の農道へと変わった。そして言葉は聞き慣れない方言で、その独特な訛りを聞いたときに、明らかにここにいる人たちは自分とは違う存在だと僕はクラスメイトを線引きしてしまったのだ。
 もともと他人に興味があるタイプではなかったし、感情表現も苦手な子どもだった。好きなアニメの続きを脳内で考えて空想することが好きで、自分から外に目を向けてしゃべるよりも内向的な世界に引きこもるタイプ。そんなだったから、街から転校してきて田舎を見下してる奴、みたいに誤解もされてしまって余計に周りとの距離ができていたのだと思う。
 授業の合間の10分休みは耐えれたけど、昼休みの時間は退屈すぎた。男子はグラウンドでサッカーを、女子は教室でフルーツバスケットをして過ごすようなクラスだった。誰からも誘われないし、自分から輪に入っていくのもやりたくなかったし、いく当てのない僕は校舎を歩き回って、最終的には図書室に引き篭もるしか仕方がなかった。
 図書室なのだから当然本があって、そしてそこでできることは読書くらいだ。心は惹かれなかったけれど挿絵があったり文字が大きいものを選んでパラパラめくったりしていた。まともに活字を読んだことなんてそれまでなかった気がする。
 当時ハリーポッターシリーズがブームの火付け役となって多くのファンタジー小説が溢れていた。そんな一冊を手にとって読み進めれば、遠い世界の全く違った日常を追体験することができて、そんな時間だけは孤独を忘れることができると知った。
 自分はここでは異物だと思っていても、ファンタジー小説の中の登場人物は味方にしろ敵にしろ、身長が10メートルを超えていたり下半身が馬だったりと、もっと異物だったから安心することができた。徐々にのめり込んでいって、昼休みだけでなく10分休みも放課後も本を読むようになった。ただ、それに比例してもともと少なかった口数はさらに減ってしまった。
 そんな僕を心配したのだろう。ある日、夕食の後に母親が僕を散歩に連れ出した。親子で家のそばを流れる川沿いの道を並んで歩いた。
「学校でなにか嫌なことでもある」
 母のその言葉に、そのときの僕はなにも答えることができずに、涙だけが勝手にぼろぼろとこぼれだしたことを覚えている。そんな僕の手をとって母は言葉を促すこともせずに、ただ歩き続けてくれた。親にくっつくことが恥ずかしくなりだしていた年頃に、その手を握り返したことも覚えている。自分と世界を隔てる境界線があって、その先にいる誰かと繋がりたいと初めて意識的に他人を求めた瞬間だったのだと思う。
 それから「充電できるまでは学校に行かなくていい」と親に言われて僕は束の間の不登校児になったのだけれど、その当時の教育のトレンドだったのだろう。担任の先生がしょっちゅう家まできたり、ときには仲良くもないクラスメイトまでを連れてきたり、挙げ句の果てにはクラスメイト全員分のコメントが入った色紙なんかを持ってきたりと、いまでは開いた口が塞がらない支援方法だったのだけど、その勢いに押されて学校に復帰した。
 学校を休んでいた期間には、平日は予約が取りやすいからと無理やり歯医者に連れて行かれたのだ。毎回歯の治療の後には本屋に寄ってくれて一冊好きな本を選んでいいよと、小説を買ってもらえた。本を選ぶ基準はパラパラとページをめくってみて会話文が多いものを積極的に選んだ。人とどうやって会話をすればいいのかを知りたかったのだ。あとは感情も。人はどんなときに悲しくなって、どんなときに嬉しくなるのだろうかとそんなことを考えて、それじゃあその気持ちをどうやって伝えればいいのだろうと学びたかったのだ。
 努力の甲斐もあって学校にはある程度馴染むことができた。昼休みはグラウンドでサッカーをするようになったし、好きな女の子もできた。そうやって他のことに夢中になっても、本は大切な友達という存在として読み続けた。肌感よりも文章という平面からコミュニケーションの術を掴んだからか、「人と独特な間合いで仲良くなるよね」と褒め言葉なのかなんなのかいまいちわからない言葉をかけられることがある。そして、そんな言葉をかけてきたのはその田舎の小学校から続く友人なんだから不思議だ。

 施術が終わって現実に意識が戻ってくる。待合室で会計を待っていれば同じように会計待ちの少年とまたもや目が合った。お互いに軽く会釈をする。変な間が生まれてしまったから「虫歯なの?」と思わず聞いてみれば「奥歯に大人の歯が生えてきたから子どもの歯を抜きにきた」と答えてくれた。「おめでとう」と伝えて、歯は大切にしなよって言葉をつけたそうと思ったけど、あまりにもお節介だから辞めた。代わりに少年が「あんまり痛くなかったよ」と慰めてくれた。帰り際は施術をしてくれた衛生士さんと少し話をした。
「今年のおみくじでは健康運は最高だったんですけどね」
「怖がらずにちゃんと治療すれば、問題ないですよ」
「さっきあんまり痛くないって言われたんでがんばります」
「私たちを信じてくださいね」
 そう言って目を細める衛生士さんの笑顔がマスク越しに伝わってきた。
 誰かと繋がりたいと思い続けている。自分と他人の間にある世界の境界線を超えるために言葉は力を持つとも信じている。だから感情を言語化することやそれを素直に伝えることには真摯でありたい。ただそう思っても、実際は目まぐるしい日常のなかに心も人間関係も流されて、歯の痛みと一緒で症状がないときはついそんな大切なことを忘れてしまいがちだから、反省や後悔も多いのだけれど。こうやってふと立ち止まって自分の原点を振り返ったときには、改めて世界や人と向き合うことに対して誠実でありたいと思う。


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