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「自分探しの聖地インドで、本当に自分は見つかるのか?」

「海外一人旅。自分探しの旅に出るならどこの国?」
という問いがあったら、インドと答える人が多いのではないかと思います。
世界最大のヒマラヤ山脈に囲まれ、悠久の歴史と独自の文化が育まれたこの国を旅するうちに、価値観が大きく変わった、という人が多いからかもしれません。今回は、私が大学4年生のときに、傷心のまま「自分探し」のためにインドを旅した経験を振り返り、そこで考えたことをまとめてみました。


(1)傷心の卒業旅行でインドへ

大学4年生。当時、私は商学部にいながら一般企業への就職活動には一切興味がわかずにいました。それでも在学中に長期休みを利用して東南アジアを旅した経験の中で、「世界は広く楽しい」ということを高校生に教えられたらと考え、地元の自治体の教員試験を受けました。
そして見事に落ちました。

商学部で過ごした同じクラスの友達は、爽やかに内定をもらい、卒業旅行の話題で持ちきりでした。私は逃げるようにしてインドに一人旅をしました。

卒業旅行は、気の合う仲間と、学生時代への決別と新生活への希望をこめて行う特別行事であると信じていた私は、これは「インドに行くしかない」と思いました。

行きの飛行機の中で窓ガラスに写る、さえない顔の自分。
2週間の一人旅を終えたら、帰りの飛行機では何を思うのだろう。
不安と期待を胸に、自分探しの旅が始まりました。

(2)コルカタでマザーハウスのボランティアを体験

最初の目的地は、インド東部の大都市コルカタ。
目指すは安宿が多く、バックパッカー街と呼ばれるサダルストリート。
ゆっくりと宿泊先を探す予定でしたが、飛行機の到着が遅れ、私が足を踏み入れたのは日付をまわったころでした。
ホテルもほとんど閉まっていて人の気配がありません。2、3件の宿を回ってみたものの断られ、それでも薄暗い街灯に照らされる細い道を歩いて宿を探しているとき。
瞬間、足下に「何かがある」と気づきました。

私の真新しい靴の先には、くたびれたカーキ色のズボン。
そこには、人が寝ていたのです。

そして、その後ろにもまた、人……。7人ほどの成人男性が連なり、薄明かりの下でぐっすりと眠っていました。インドではこのように、道端で眠る人が珍しくないようです。これが、私とインドの最初の出会いでした。

その後、ようやく泊めてもらえたゲストハウスで出会った日本人女性の紹介により、ある施設でボランティアをすることになりました。

訪れた施設に暮らすのは知的障害の子どもたちや、様々な理由で親が育てられなくなった子どもたち。

日本でもそんな経験はないのに言葉の通じない土地で、何が起こっているのか自分でもよくわかりませんでした。それでも3日間、こどもたちと一緒にご飯を食べたり、施設の中を散歩したり、遊んだりと自分にできることを探して過ごしているうちに、日本で悩んでいたことも忘れ、なにか人のために行動できている自分を、少しずつ感じていました。

巨大な牛が我が物顔で道を歩く
路地裏で所狭しと行き交う人々

(3)死生観を変える ヴァラナシへ。

その後ヴァラナシへ移動しました。
ヴァラナシは、言わずと知れたヒンドゥー教の聖地。死体が流れる川としても有名なガンジス川に到着しました。

早朝からボートに乗り、川の両岸を眺めました。
人々が祈りを捧げています。髪を洗い、口をすすぎ、体を流し、静かに目をつむっている。その光景を目にしながら、まるで世界のすべての音を失ったような、不思議な感覚をおぼえました。

―何のために、こんなに時間をかけて丁寧に祈りを捧げているのか。その人々の心の中をのぞいてみたいような気持ち。
だけどそのようなことをしたところで、理解ができない何かがが存在しているのでしょう。

そして、ここは天国みたいな場所だな、と思いました。
日本の感覚で表現するならば、三途の川みたい、いや、どのような言葉を使ってもしっくりこない。見たことのないような世界が広がっていました。

昼になると金色の袈裟にくるまれた死体が、川岸の火葬場に運ばれてきました。火葬場からは荼毘に付される煙があがっています。これほどたくさんの死体に囲まれた経験は初めてで、間違いなくいままでで一番近くに「死」を感じる場所でした。

メメントモリー死を想え。
死を意識することで、生きる実感を得ることができる。
避けることのできない死があるからこそ、今この瞬間を大切に生きる。
いにしえの世界に広がる人々の死生観に、少しだけ触れたような気がしました。

沐浴に集まる人々
ボートの上から川岸を眺める

(4)「自分探しをしているつもり?」と見抜かれた、旅の最後

インドに行く直前、タイ・カオサーン通りの屋台で、あるインド人と仲良くなりました。2週間過ごしたインドから戻り、同じ屋台でごはんを食べていたら、なんという偶然。彼に再会したのです。「インドに行ってきたよ」と話したら、彼は私の顔をじっと見つめて、一言。

「インドに行く前と、顔つきがまるで変わっていないな。インドで何を学んだんだ?」

とてもショックでした。自分のなかでは、2週間前とは違う自分になった実感が確かにあったのに。
逃げるように旅に出てきたこと、現実と向き合えていないことを、見透かされたような気持ちになりました。

自分では、確実に成長したつもりになっていました。コルカタのボランティアもヴァラナシの火葬場で考えたことも、私にとっては大きな出来事でした。
しかし「たった2週間で?旅行してインドの景色を見てきただけだろ」と言われればそれまでです。

明日から帰国してどうなるのだろうか。私は本当に、自分探しができたのだろうか……。帰りの飛行機でも、私は苦い気持ちのままでした。

インド人から指摘を受ける カオサーン通りにて

私はそれ以来、ことあるたびに「ちょっとやそっとでわかった気になってはいけない」と、自分を戒めるようになりました。屋台でビールをおいしそうに飲んでいる、インド人の呪いにかけられたのかもしれません。
インドに行ったからといって、新しい自分がぽんとそこに現れるわけでは決してない。
物事をわかったような気持ちになっているうちは、一人前にはなれない。

あのときの呪いは、確かにいまの自分を構成する要素となっています。

そう考えると、私の「自分さがし」は、インドではなく、タイの屋台で見つかったのかもしれません。

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