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ミラノ奮闘記/イタリア移住編

初めてのミラノサローネ

2011年4月のサローネの訪問は、イタリアへの移住を決定的なものにしました。
ミラノの町全体が展示やイベントで盛り上がり、町全体がお祭りムード。私はイタリア人のエネルギッシュな部分を目の当たりに、惚れ込んだのかもしれません。

"ここだったら何か面白いことが学べる"と直感的に感じました。

当時、イタリア行きは既に自分の決心としてあり、最後の一押しが欲しかったのだと思います。

2011年8月 3ヶ月間の滞在での就職活動のためポートフォリオを片手に渡伊しました。

応募先はミラノのデザインスタジオ。当時テキスタイルにも力を入れている、パトリシア・ウルキオラのもとで学びたく、アポ後、訪問。前回のサローネ訪問で既に一度コンタクトはとってあり、2度目のアポもスムーズに行ったので、“行けるか” と内心思っており、正直余裕でした、、、

が撃沈。。。

理由は、即戦力が欲しかったようで、当時ヨーロッパで使用されている建築ソフトを当時私は駆使できなかったため惨敗。(イタリア ヨーロッパ圏ではオートCAD、ライノセラスと3DMAX が必須)日本での使用はベクターワークスだったので、この3点のソフトについては無知でした。日本は色々な面で世界標準から外れているのだなと痛感しました。

さて、第一希望のが駄目となると第二希望に進むのが一般的ですが、ウルキオラ一筋だったため、それ以外は希望がなく、スタジオ探しからはじめることになりました。ネットでミラノのデザインスタジオを検索すると、どんどん出てくる出てくるw 合計500スタジオぐらい(ミラノにあるほぼすべての事務所だと思います)出てきました。
デザイナー密度が高い、ミラノという都市に改めて驚かされたと同時に、渡伊以前に抱いてた疑問、なぜイタリアからデザインが発信されるのか、それはデザイン事務所の数から納得させられます。

その中から50社ぐらい選択し、面接してくれないかと、メールを送信しました。

8月の終わり頃のことです。


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学生時代に製作した 新聞紙のイス 
素材:新聞紙 



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