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引越しの多い生涯を送って来ました。(埼玉編)

ブログからちまちま移行中。有言実行中ですよ。

写真に写っているシロクマちゃん。友人にいただいた大切なシロクマちゃんなので、お天気のいい日にはこうして洗って干してあげています。気持ち良さそうですね〜。

さて。私を語る上でまず欠かせないのが、引越しです。引越しって人生の節目にすることだと思うのですが、私は今まで合計で11回の引越しを経験しています。節目、多すぎない?

今年でいよいよ20代も終わりになりますが、平均すると2年半に1度引越ししていることになります。我ながら落ち着きがなさすぎますね。


破天荒すぎる母との引越し


幼少期は埼玉の辺鄙な田舎に暮らしました。鍵のかかっていない友達の家に「◯◯ちゃん、あーそーぼー!」と乗り込んだりする漫画の一コマみたいなシーンも日常茶飯事でした。

小学3年生のときに両親が離婚し、その後母の再婚を機に、妹と共に県内の別の市へ移り住みます。

市内でも計4回の引越しをすることになりますが、その理由は驚くことなかれ、母の4度の再婚にあります。更に驚くべきは、私の実父との結婚も実は再婚だったということ。中学2年の多感な時期、祖母の家で母の結婚写真をみつけるも写っていたのは実父ではなかった!その時たまたま居合わせた伯母のアワアワした様子と、実はそこまで驚いてもいない自分のちぐはぐさが妙に笑えるほろ苦い思い出です。

母は見た目こそどこにでもいる主婦ですが、実に6回の結婚を果たしあまつさえその内4回も結婚式を挙げているヤバイ奴。ドラマでも見たことのない経歴を持つ母の人生は想像を絶する破天荒ぶり。母の昔話を聞くたびに自伝でも書けば?と冗談まじりで笑い合うもこのご時世、炎上が怖くて踏み切れずにいます笑

こうして話すと「異常な母に振り回される可哀想な娘」と思われることも多いのですが、そんな母を恨んだり、蔑んだり、自分のことを可哀想だと思うこともありませんでした。(もちろんそれなりに反抗してみたりもしたけれど)

当然母は毎度離婚を前提に結婚しているわけではないし、離婚の原因もどちらか一方ばかりが悪いということはありません。生活というのは山があれば谷があるもので、厳しい状況に陥ったりもします。それでも母の持ち前の明るさと自らの経済力で人並みに不自由のない生活と、有り余るほどの愛情を私たち姉妹に与えてくれていました。

と、このとおり母の話題を持ち出すと延々と語る羽目になってしまいますので、こちらはまたの機会に掘り下げることにします。

はじめての一人暮らし

はじめての一人暮らしは20歳の頃。専門学校を卒業して、生まれ故郷からほど近い辺鄙な場所で就職が決まりました。職場は電車通勤となると家から駅まで自転車で15分、乗換は2回で1時間強と若干行きづらい場所にありました。車なら45分でショートカットできるので、両親に援助してもらい20歳にしてマイカーを購入。(その後ローンや自動車保険に苦しめられることになります。)

しかし45分の車通勤ですらストレスに感じ、加えて家族への甘えと苛立ち、愛猫の抜け毛地獄から逃れるべく一人暮らしに踏み切ります。(結局愛猫と離れるのも家族と離れるのも寂しくて週末は実家に帰ることもしばしば)

1K家具家電付の部屋+駐車場に月7万5千円。当時の手取りは確か16万円ほどでした。車のローンに自動車保険、生命保険、生活費…遊びたい年頃だったので交際費や趣味にもお金がかかり、16万円の給料では足らずついに「リボ払い」に手を出します。無知とは恐ろしい。その後もリボ払いに苦しめられるとも知らずに…。

それでもお金には割と関心がある方で、就職してからはエクセルで自己流の家計簿をつけたりしていました。現在はアプリに移行しましたが、この時の習慣はフリーランスになった今も役立っています。

家計簿で自分のお金の動きを見るようになると、流石にやばい、と焦りを覚えました。なにがやばいって、お金の動きはわかっているのに何にそんなにお金を使ったのかがわからないこと。これ共感してくれる女子も多い気がするのですが、小さな浪費が積み重なってジリ貧になっていたのです。

ドカンと贅沢しているわけでもないし、何を控えたらいいのかわからなかった私は支出を減らすことよりも収入を増やすことに没入します。

「女に生まれたからには一度は経験しておくべき職業」として母に水商売を勧められますが、容姿端麗どころかコンプレックスで死にそうなほど自分の外見が嫌いだった私。そんな女を雇ってくれる店などないと部屋の隅でうじうじしてみるも、財布からお金は出てゆくばかり。背に腹はかえられぬと腹をくくり夜の世界に飛び込みます。

はじめこそ苦戦したものの、母譲りの明るい性格のおかげか夜の仕事は案外性に合っていました。普通に暮らしていたら関わらないであろう職業の人や年上のおじさまと話すこと、女性としての身の振り方や気遣い、甘え方を教わるなど学びの多い職場だったと思います。(尚それが日常生活で活きているかと言えば話は別です)

その後引っ越しを繰り返しても、夜の仕事は家計を大いに助けてくれたのでした。

実家で妹と二人暮らし

これ、最近の妹。

はじめての一人暮らしは家庭の事情で半年足らずに終わってしまい、ほどなくして妹(+犬と猫)と実家で2人暮らしがスタートします。なぜ実家で妹と2人なのかというと、破天荒母が5人目の継父と一緒に暮らしはじめたから!ここは笑っていいところです。わはははは!

顔こそあまり似ていない妹ですが、私たち姉妹はおそらく人並み以上に仲が良いです。趣味も好きなものもほとんどかぶっていたので共通の友達も多く、2人で4LDKの戸建に住んでいたというのもあり、自由気ままに友達を招いてはワイワイ遊び呆けたものです。

ただ私は二度とこの2人暮らしはしたくないと思うくらい、妹に腹を立てることもありました。自分のことを棚に上げて話すのですが、妹は超がつくほどの面倒くさがり。炊飯ジャーを洗いたくないばかりにお茶碗一杯ほどもないごはんをジャーに残したり、人の部屋に勝手に入った挙句漫画を持ち去り、黙って戻せば気づかれないものを戻すのさえ面倒なのか読んだまま自分のベッドに置き去りにするような不届き者なのです!!!妹から受けた数々の仕打ちは、私の一人暮らし願望を掻き立てた大きな要因の一つでもありました。

もちろん私の性格も素行も褒められたものではないので、仲はいいけど相性はそこまでよくなかったね、という話です。今は妹もお嫁にいき新しい環境で暮らしていますが、夫婦共私のことを慕ってくれて頻繁にお泊まり会を開く仲です。血の繋がった家族にしても距離感って大事だなあと思います。

これ、ついこのまえ式をあげた妹夫婦。


とはいえ、そんな妹との二人暮らしは期限付きで実家の立ち退きが翌年に控えておりました。母は思い切って注文住宅を購入し、立ち退き後は新しい父を含めた4人と犬猫2匹で新居に暮らしました。(私も妹も自分の部屋をわがまま放題注文したくせに、その後3年ほどで実家を出たことを今だに母は根に持っている)


以上ここまでが埼玉での引越し6回分のお話です。

いやはや、思ったよりも長くなってしまったのでここで一旦区切らせていただきます。

次回東京編をお楽しみに〜

余談ですが、妹は現在フリーのライターとして活動していて、noteにヘドバンしすぎて網膜剥離になった話などを書いています。ライブ好きの方は他人事ではないかも?ぜひこちらもご覧ください。

ロック好きの私が、ヘドバンしすぎて網膜剥離になった話。|Fujima @FJM0324|note(ノート)


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