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性の問題は包括できない 〜「包括的性教育」とか「SRHR」に対して思うこと〜

少し前ですが、(公財)ジョイセフ、(一社)LGBT法連合会、#なんでないのプロジェクト、国際家族計画連盟(IPPF)らが共催する「〜みんなのSRHR座談会〜LGBTQのMy Body My Choiceを今こそ!」というイベントをオンラインで拝見しました。


参加者に配布された【プログラム】LGBTQ+のMy Body My Choiceを今こそ!より

SRHRとSDGs

そもそも「SRHR」っていったいなんだよ!と思われる方が大半だと思いますので、簡単に説明します。
ジョイセフのHPによれば、SRHRとは、「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ:性と生殖に関する健康と権利」を意味するもので、具体的には、性と生殖について、一人ひとりが適切な知識と自己決定権を持ち、自分の意思で必要なヘルスケアを受けることができ、みずからの尊厳と健康を守れることを推進していく取り組みのようです。

大きくは

  • セクシュアル・ヘルス

  • リプロダクティブ・ヘルス

  • セクシュアル・ライツ

  • リプロダクティブ・ライツ

の4つのカテゴリに関することであり、
もっと噛み砕いてわかりやすくいうと、いままでは避妊、妊娠、不妊、性感染症、婦人科的疾患、更年期障害などの医学的知識の啓蒙やケアの充足、思春期、妊娠・出産期、更年期、高齢期など女性の生涯を通じた健康支援の問題として考えられてきた「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の問題に、生殖を目的としない性体験とセクシュアル・マイノリティの問題、包括的性教育を接続し、大幅に更新されたものだといえます。

「SRHR」という定義と概念が積極的に語られ始めたのは2018年からのようで、発端はSDGsのアジェンダの中にこの課題が含まれなかったことにあるそうです。

SDGsは2030年までを見越した計画であり、17の「目標(Goal)」と、それぞれの目標に延べ169の具体的なターゲット(数値目標など)が設定されています。
このイベント自体が、来年(2024年)から始まるSDGsの中間見直し機会に際し、「SRHR」という項目を目標・指標として追加したいとの目的から開催されたようです。

SDGsとは、

持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)、2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html 

SRHRとリプロダクティブ・ヘルス/ライツの距離

女性の生涯を通じた健康支援の問題、もっというと、生物学的女性の身体における生殖と健康の問題として考えられてきた「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」と、そこにセクシャル・マイノリティなどインターセクショナルな問題が包摂されたSRHRという取り組みに限らず、近年では、主に生物学的女性の問題だった領域が、セクシャル・マイノリティの問題に包摂され、かつセクシャル・マイノリティの問題として前景化する傾向があります。

これは、インターセクショナリティ(交差性)に向き合う第三波フェミニズム以降のフェミニスト意識の問題としては歓迎するべきものとされています。
しかし、個人的には性と健康の問題はその人の置かれた環境や属性によって価値観や関心事、場合によっては利害すら異なるため、包摂することがよいとは限らないと思っています。
(だれもクリーニング屋にピザを注文したりしないし、クリーニング屋でピザも買えるようになることが望ましいとは限らないでしょう?)

このイベントは、「LGBTQのMy Body My Choiceを今こそ!」とあるように、パネリストの8人のうち6人まではセクシャルマイノリティ当事者であり、パネルの内容もマイノリティのセクシュアル/リプロダクティブ・ヘルス&ライツが中心でしたが、生物学的女性の身体における生殖と健康の問題としての「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の問題がレズビアンの問題という形でしかパネルに上がらなかったことも印象的でした。

性の問題を包括することはできない

置かれた立場により利害が異なる性の問題の象徴としてあげられるのは、日本で1970年代に起こった、出生前検査とその後の選択的中絶など、優生保護法の改定をめぐる議論です。

 優生保護法の改定をめぐる議論と同時期、脳性マヒの子どもが母親に殺された事件と、加害者の母親に同情的な世論をうけて、脳性マヒ者による運動体「青い芝の会」は「障害者の生存権」を主張しました。
この主張は育児やケアを女性の所与のものとみなし「母親」対「障害児」の対立構造を持つものであり、「産むも産まぬも女が決める」という主張をしていた当時のウーマンリブ(フェミニズム)への非難も込められていました。
ウーマンリブ側は、障害者運動の声を聞き入れ、次第に「産むも産まぬも女が決める」という主張から「産める社会を、産みたい社会を」というスローガンを掲げるようになりました。

そして主体的に中絶を選ぶ女性の経験や、産みたくない・産むことができない女性の声は消えていきます。
女性個人の選択と権利主張から「あるべき社会像(子供を産みたい女性が前提)」の提起へのスライドは、視点を変えれば、女性個人の自由な発話の後退でもあるのです。

女性個人の「中絶の権利」と「障害者の生存権」は実際には対立することがあります。
様々な問題を包摂した結果、誰のニーズも叶えない、空虚なスローガンしか残らない。和解や共闘によって失われるものがあるとすれば、和解や共闘以外の選択肢も浮かび上がるはずです。

また、このような議題が語られるときに、TERF(ジェンダークリティカル系)の意見は最初から排除されていることも気になりました。

包括的性教育の、性を漂白するような「あやしさ」

「〜みんなのSRHR座談会〜LGBTQのMy Body My Choiceを今こそ!」を共催しているジョイセフはSRHR【性と生殖に関する健康と権利】を推進する日本発の国際協力NGO、国際家族計画連盟(IPPF)は世界142カ国で、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス関連の支援、助言、サービスを行う国際NGOであり、彼らは事業として包括的性教育を推進しています。

「包括的性教育」とは、ユネスコなどが推進する、身体や生殖の仕組みだけでなく、人間関係や性の多様性、ジェンダー平等、幸福など幅広いテーマを含む教育であり、包括的性教育の進め方を記した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」は、性教育の国際的な指針として制定されました。

「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」は以下の団体が協同し制定

「国連教育科学文化機関・ユネスコ(UNESCO)」
「国連合同エイズ計画(UNAIDS)」
「国連人口基金(UNFPA)」
「国連児童基金・ユニセフ(UNICEF)」
「国連女性機関(UN Women)」
「世界保健機関(WHO)」

簡単にいえば、「性教育の西側先進国グローバルスタンダード」というべき取り組みや指針なわけですが、日本では助産師が担い手となることが多く、公益社団法人日本助産師会は包括的性教育実践助産師の育成に力を入れています。

助産師が学校などに派遣され、性教育を行うことは、子供に性の問題の詳細を語ることに抵抗がある親にとっても、業務過多で性教育の充実にリソースを割けない教師にとっても、少子化の中、病院や診療所といった競合に対し提供できる医療やサービスが限定的な助産院と助産師の生き残り戦術としても都合が良いのかもしれません。
(今回は詳しく触れませんが、「包括的性教育」のパッケージの担い手としての助産師というモデルには、特定の職業倫理の倫理観が性教育に反映される懸念もあります。)

助産師による包括的性教育は三方良し??

「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」を見ても、ジェンダーステレオタイプを審議することなく脅威と位置づけていたり、性的なメディアの有害性を訴えるような文言が多く、個人的にはどことなく不信感をいだいてしまします。

8つのカテゴリから成る「国際セクシュアリティガイダンス」
言葉を選ばず感想を述べると、「思想が強い」

世界性の健康学会が2014年に提示した「性の権利宣言」もそうですが、国際的な性の指針って、セクシュアリティを権利と喜びとウェルビーイングの問題に限定するような、人間の性が孕んでいる仄暗くうす汚い部分を脱臭漂白し「健全な性」というクリーンな製品に仕立てているような違和感を感じてしまいます。(個人的な感想です)

「性の権利宣言」

1. 平等と差別されない権利
2. 生命、自由、および身体の安全を守る権利
3. 自律性と身体保全に関する権利
4. 拷問、および残酷な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰から自由でいる権利
5. あらゆる暴力や強制・強要から自由でいる権利
6. プライバシーの権利
7. 楽しめて満足できかつ安全な性的経験をする可能性のある、性の健康を含む、望みうる最高の性の健康を享受する権利
8. 科学の進歩と応用の恩恵を享受する権利
9. 情報への権利
10. 教育を受ける権利、包括的な性教育を受ける権利

包括的性教育を受けたくない意思は尊重してくれなさそうな「性の権利宣言」

「〜みんなのSRHR座談会〜LGBTQのMy Body My Choiceを今こそ!」の主張

実際にイベントを聴きすすめてみると、パネリストたちの見解は、現在はトランスジェンダーバッシングが増えており、バックラッシュが起きているとのこと。トランスジェンダーバッシングが包括的性教育批判に繋がっており、バックラッシュと対決するためにも「包括的性教育のための連帯」が必要であるとのことでした。(個人的には、上記の通り、トランスジェンダーバッシング以外の観点から包括的性教育に違和感を持っていますが……)

イベント中には何度も、「(セクシャルマイノリティは)バックラッシュの脅威にさらされている」という言葉が頻出し、「バックラッシュに負けないために、マイノリティたちが手を組む必要がある」と何度も訴えられていましたが、そもそもバックラッシュとは「誰にとってのどのようなもの」かによって見解はわかれるように思いました。

現在の日本の状況を、婚姻以外のセックスを違法化したインドネシアや、32カ国中14国が同性愛を禁止するアフリカと並列して「バックラッシュである」とするのは無理があると思いましたし、「これまでのバックラッシュは宗教や政治的要因が背景にあったが、近年では地政学的な性質も孕んでいる」というような見解には、そもそも性自体が地政学的な、各国異なる条件、規範や伝統、文化や価値観を孕んで脈々と続いている生活の一部であるという前提が踏まえられていないのではないかと不安になりました。

イベントの感想として、イベントを通して一番強く思ったのは、

誰が、どのようなアジェンダ(議題)を、なぜセッティングしているのか

ということでした。



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