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『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』とビースティ・ボーイズとMTV

今日は映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』について。

日本ではまだ4月28日の公開から1週間経ってないけど、たぶん記録的なヒットになると思います。初日から3日間で動員127万6千人、興行収益18億4300万円、初登場1位。アメリカ含め全世界では4月5日に公開されてから1ヶ月で興行収入10億ドル突破。マジですごいことになってる。

で、ゴールデンウィークの満員の映画館で観てきました。初っ端の印象としては、映画を観たというより、『スーパーマリオ』という超強力なIPを堪能した、みたいな感じ。IPっていうのはIntellectual Propertyの略で日本語では「知的財産」。当然IPってのはビジネス領域の言葉で、僕が子供の頃にゲームやったりアニメ観たりしたりしてた時には全然意識してなかったわけだけど、なんというか、マリオというのはグローバルにみんなが知ってるIPであるわけで。で、それを映画にするにあたって、ポップカルチャーの歴史にどう接続するかってことをめちゃめちゃ考え抜いて作られた作品だと思ったわけです。

一応ここからはネタバレするけど、ネタバレも何もストーリーはめちゃめちゃシンプルで、基本的にはブルックリンに暮らすイタリア系アメリカ人の配管工のマリオとルイージの兄弟が異世界にワープしてクッパを倒すっていう話。いわゆる“異世界モノ”の構造になってる。で、周到だなって思ったのがブルックリンの描写。あそこは移民が沢山暮らす街だし、イタリア系っぽい、大家族で一緒に食卓を囲むが場面もある。そこの出自であるっていうことがちゃんと書かれてる。

なるほどなと思ったのが、任天堂が日本の会社であること、マリオが日本のゲームカルチャーの生んだキャラクターであるということはみんな知ってるわけだけど、それを踏まえた上で、マリオの暮らす現実世界に“日本”を一つも出してないということ。マリオとルイージが配管工であるというのはもともとの公式設定としてあったけど、出身がニューヨークのブルックリンであること、移民家族の育ちであるということが描かれている。

で、映画の冒頭、まるで横スクロールのアクションゲームの画面みたいな演出でマリオとルイージがブルックリンの街を駆け抜ける描写があるんだけど、そこでかかってるのがビースティ・ボーイズの「No Sleep Till Brooklyn」。この選曲が痺れるくらい抜群で。

というのも、この曲はビースティ・ボーイズのデビューアルバム『License to Ill』の収録曲なんだけど、そのアルバムがリリースされたのが1986年11月。つまりこの曲がかかることで、「あ、このストーリーは80年代のブルックリンが舞台なんだ」ということがピンとくる仕掛けになっている。ファミリーコンピュータで初代の『スーパーマリオブラザーズ』が発売されたのが1985年9月13日なわけで、つまり時系列的にそのあたりのことを描いた作品なんだ、と。

さらにドンピシャなリンクを感じるのが、ビースティ・ボーイズはブルックリン出身だということ。マリオとルイージはイタリア系だけど、ビースティ・ボーイズのマイクD、アドロック、MCAはユダヤ系。まあ、どちらにしろブルックリンの移民家族の育ちなわけで。そういう文脈に“接続”するという意図を感じたわけですよ。

他にも80年代のヒット曲が使われてて、たとえばピーチ姫がマリオをトレーニングする場面で使われてるのが、ボニー・タイラーの「Holding Out For Hero」。これは1984年公開の映画『フットルース』の挿入歌。

他にも途中でカートに乗る場面でかかる音楽がa-haの「Take On Me」。

びっくりするくらいベタな80年代ヒットソングを入れてくる。もちろん親世代のノスタルジーを喚起するという狙いもあるだろうけど、それだけじゃないと僕は思ったね。というのも、このあたりの曲って、リズムマシンの音色とか、シンセのフレーズとか、ゲートリバーブの具合とか、とにかく使ってる音にクセがありすぎるので、当時をリアルタイムで知らない世代でも、ちょっと聴いただけで「うわ! エイティーズ!」ってなる。で、この2曲はまさにMTV全盛期を象徴する曲。MTVというのはアメリカ発のポップカルチャーがグローバルになった80年代という時代の象徴で。ビースティ・ボーイズ、『フットルース』、a-haとつなげることで、『スーパーマリオブラザーズ』のポップカルチャーとしての文脈はここに繋がるんだという、かなり意図的な“歴史操作”ともいうべき仕掛けがなされている。

途中でそのことに気付いたので、「次は何をぶっこんでくるかな?」とワクワクしながら観てたら、次に出てきたのがAC/DCの「Thunderstruck」。ギターリフ聴いて心のなかでガッツポーズ。

これは90年リリースの『The Razors Edge』収録曲だから時代的にはギリ80sではないけど、やっぱりあの頃のハードロックを象徴する曲。ここから連想したのはやっぱり『スクール・オブ・ロック』で、それが出世作になったジャック・ブラックが英語版のクッパの声優を演じてる。

劇中でクッパがピアノを哀愁たっぷりに弾き語る曲があったりするんだけど、これなんて、まさにジャック・ブラック節が炸裂しているわけで。

そういう起用も含めて、僕が感じ取ったのは『スーパーマリオ』というゲームソフトが発売された時期と、80年代のMTVカルチャーとハードロックとヒップホップの“結果的な同時代性”をかなり意図的に接続するという狙い。このあたりがめちゃめちゃ周到に作られてる感じがしたなあ。

あともう一つ、周到だなあと思ったのが、ルマリーというキャラクター。『スーパーマリオギャラクシー』に登場するマイナーなキャラクターで。途中で牢獄に捕まっている青い炎みたいな可愛い見た目で、「唯一の希望、それは死だよ」みたいなニヒリスティックなことを言うんだけど、結果、映画を観終わったあとに一番爪痕を残すのはこのルマリーなのよね。

というのも、基本的にマリオは、いわゆる暗いところや影みたいなものは何一つないキャラクター性で。ルイージを守るし、真っ直ぐに目的に向かっていく、諦めないし、迷いや葛藤もない。当然そういうキャラクターなんでそういう物語になるわけだけど、勧善懲悪のわかりやすいシンプルなストーリーに“居場所を感じられない”子供もいるわけで。でも、そういう子供や、かつてそういう子供だった大人もちゃんと物語の中に居場所を感じられるキャラクターとして、このルマリーがいる。最後まで観るとちゃんとわかるんだけど、ルマリーだけが物語を駆動して行く原理の外側にいる。『エヴァンゲリオン』における渚カヲルみたいな、ある種の超越的な立場を獲得してる。ちゃんと予告編にも登場してるし、そういうところのケアも含めて、めちゃめちゃ周到に作られた作品だなと思ったな。

ちなみに、スーパーマリオは小難しいメッセージ性もないし、ただただ楽しいから最高、ポリコレみたいな余計なことを考えなくていい、面倒くさくなくていい、みたいな意見もあって。もちろんそう受け取れる作品だとは思うし、それで正解だと思うんだけど、それもまた一つの“社会性”とか“メッセージ性”であるよね!っていうことは強く思ったな。だって、そもそもイルミネーションというスタジオが『ミニオンズ』とか『ペット』でやってきたことも、ディズニーとかピクサーがここ最近のアニメーションで取り組んできた教条主義的なスタンスに対抗して“頭を空っぽにして楽しめる”娯楽性を打ち出してきたという位置付けであるわけだし。で、それがユニバーサル・ピクチャーズの傘下であって、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに「スーパー・ニンテンドー・ワールド」がある時点で、ディズニーを向こうに回したユニバーサルとイルミネーションと任天堂のタッグという勢力図が描けるわけで。で、この作品がグローバルでめちゃめちゃヒットしてるっていうことは、ポップカルチャーとIPの地政学的が書き換わってるわけで。そういう意味で、すごく興味深い作品だったなと思う。

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