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江藤淳の「保守とはなにか」読んでいて


年末年始に江藤淳の「保守とはなにか」読んでいて、1995年阪神大震災で明らかになったことがあるというくだりに様々な思いが込み上げた。

先ずは当然村山内閣のお粗末な危機管理能力だがより本質的なこととして、江藤は皇室と自衛隊の問題を論じた。
阪神大震災のあと犠牲者の遺体がまだ埋まっている中で皇太子は神戸の被災者を見舞うことなく中東訪問に出発した。そうさせた宮内庁と外務省はいったい皇室を何だと考えたのか。

関東大震災のとき病気療養中の大正天皇にかわって、当時摂政官であった昭和天皇は一睡もせずに状況報告を聞き、大金を下賜し、侍従武官達を各地に派遣するなど機敏に対応。2週間後には自ら視察された。
未曾有の危機にあって自ら率先して国民を慰撫しお金も出し、皇室総動員で懸命に国民のために尽くされた。
また陸海軍の対応も機敏だった。翌日に戒厳令公布、関東戒厳司令部設置。負傷者を運び込んで治療を行い、12万の兵力を被災地に投入。陸軍は飛行部隊により偵察し海軍は戦艦により物資を海上輸送した。
ところが阪神大震災の際、在日米軍が物資輸送のため戦艦の提供を申し出たにも関わらず村山内閣は断った。
村山総理は一度チラッと現地を視察しただけで皇太子御夫妻は外遊中。天皇陛下のご心配される気持ちが全く国民に伝わらない中で五千人もの人命が失われ、計り知れない経済的な損失を被った。
戦後民主主義はなんと物悲しく、日本を滅ぼしかけていると江藤は嘆き怒っていた。
この村山自社さ政権、それに先がける1993年細川連立政権、そして2009年からの鳩山、菅、野田民主党政権を経験して私は保守になった。
高校生でボブディランやPPMらの反戦フォークを聞き、小田実のベ平連や新左翼の学生たちに共感し、選挙で自民党に投票することなど考えられなかった側にいた私は、2011年の東日本大震災で民主党政権の終焉を真に願った。こんな連中の政権はもうこりごりだと思った。
政権担当能力のある政党は自民党だけだ。それが現実だから私は保守になった。
だがしかし今この激動の時代に、信頼できる政治家はいったい何人いるだろう。自公政権がこの先の日本を導いていけるのだろうか。
いつからか江藤淳や石原慎太郎の書いたものを度々読むようになった。かれらのような歴史観、国家観を有する政治家や思想家を必要としている。
日本はこのままでは駄目だ。という危機感がある。
だが嘆いていてもはじまらない。諦めているわけにはいかないのだが、さてこれから私は。