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時を経てコロナ人災禍に思う・⑤ ~疑問、罹患、決断〜

前回の記事では友人Sさんとの再会、そしてそこから派生した問題、弊害までを綴りました。

本記事ではその後編として、彼女との関係がどう変化して行ったのか、最終的に私がどのような選択をしたのか、また自身のコロナ罹患体験も併せて取り上げてみたいと思います。




理解不能な姉妹の行い


2022年9月半ば。
Sさんが一方的に我が家を訪れた日から10日ほど経った頃でしょうか。
再び彼女から連絡が入りました。

今度は「独り暮らしをしようと思っているから、不動産屋に行くのに付き合って欲しい」という内容でした。

一瞬、不動産屋くらい独りで行けないものかと思いもしましたが……。

これまで親元で何不自由なく過ごして来た箱入り娘の彼女が前向きに自立を目指しているのならばと、尚も私は彼女の頼みを受け入れたのでした。

それからまた少し日を置いて、約束の前々日。

彼女から再び電話で、当日の具体的な流れと予定の報せ。

不動産屋には事前に相談の予約を入れてあるものの、現地待ち合わせではなく先ずは一旦こちらまで来ると言うので、私はそのまま自宅で待機する事になりました。

そして約束の当日、Sさんが来訪。

トイレを貸して欲しいとの申し出があったので一旦自宅に上がって貰い、その後リビングに彼女を通し、向かい合って着席。

そして私が「じゃあ、これからどちらかの車1台で(同乗して)不動産屋へ向かうのね?」と切り出したところ……。

何と「今日は相談の予約をキャンセルした」との返答。

私は彼女の言っている事が理解出来ず、何故キャンセルしたのかと再び尋ねました。

すると……。

「実は……」と話し始めた彼女の物言い、その理由に私は唖然。

この1週間ほどの、彼女の家族親族の動き、自宅での暮らしぶりを知らされる事となったのです。

事の起こりは数日前。
嫁いだ妹さんがコロナ陽性となり、高熱が出て激しい咳をした状態で2人の子ども達を伴い実家に帰って来られたとの事でした。

この時既に子ども達2人も罹患、3人揃って明らかな症状を呈していた……と。

そうしているうちに、今度は妹さんのご主人が発症。
同じ症状を訴え、妹さんと子ども達に続き、ご本人にとっては義実家となるSさんの実家に来られた
という事でした。

その背景には、高齢者である同居の義両親に移してはならないとの妹さんなりの考えがあったようですが……。

やがてはSさんのお母さんが発症、やはり同様の症状に……という流れでした。

とどのつまり、Sさんは合計5人もの罹患者と数日間、同じ屋根の下で過ごしていた事になります。

こうした経緯から「大事を取って予定を取り止めた」というのが彼女の言い分でしたが、それは自身が濃厚接触者(この表現も好きではありませんが)という自覚があり、いつ感染・発症しても何ら不思議は無い、人に感染させるかも知れないとの考えからでしょう。

ならば何故そうした事実を伏せたまま我が家には平然と来る事が出来るのかと、もはや私も理解不能でした。

またSさんのお母さん同様、既に3度目の接種を終えていた妹さんでしたが、見事に罹患している訳で。

同居の義両親さえ守れたら、他の誰に被害を与えても良いというのか。

患った事は気の毒だが、もし自主隔離が必要との概念をお持ちならば他に策があっただろうし、それこそ帰省する事で、義両親と同様に高齢者である実母の身に危険が及ぶかも知れぬとは考えられないのか。

これが、かつて無症状の実姉に向かって「コロナをばら蒔くな」などと暴言を吐いていた人間のする行いかと、あまりの身勝手さに流石の私も呆れ果ててしまいました。

とりあえず本題の用も無くなったのだし……と、一通り話を聞いたところでSさんを帰す事に。

しかし、案の定といえば案の定ですが、何事も無くという訳には行かなかったのです。


予感的中、そして罹患


Sさんが我が家を後にして小一時間ほど経った頃でしょうか。
電話が鳴りました。

「詩絵璃さん、どうしたら良いでしょう? 私、高熱が出て……」

電話口で慌てふためく彼女の声。

それは私に対する安否確認でもなければ陳謝でもない、自身を案じる言葉でした。

この様子に私は、言葉にこそ出しませんでしたが、これから私自身に、そして主人に起こるであろう事を全て悟りました

とりあえず彼女には、発症した事実はどうにもならないのだから、水分を取って休息に努める他ないと伝え電話を切りました。


そして……。

Sさんと会った日からちょうど3日後

私自身にも、いよいよ「それ」と思しき症状が現れ始めました

自身の免疫力が勝れば発症する事も無いだろうと、何処か希望的観測を抱きつつのこの期間でもあったのですが、それは甘い幻想に過ぎませんでした。

喉の違和感、イガイガ感に始まり、2日目にドロリとした黄緑色の痰が出て、何故か喉の症状はその2日間で消失。

それに次いで偏頭痛が現れ、それが3日ほど続きました。

そしてその間、遂に主人にも症状が。

主人もまた喉の違和感で始まったのですが、私の場合とは違い、あれよあれよの間に扁桃腺が腫れ、高熱で床に伏してしまいました。

この状況を黙っている訳にも行かないと、私はSさんに電話を入れました。

早く物申したい、逸る気持ちを抑え、電話の向こう側の彼女に先ずは安否を気遣い、本題を切り出しました。

「あれ以後、夫婦で症状が出てね。特に主人の方が……」

すると彼女は悪びれる様子もなく「でも、(私の自宅を訪れた)あの時は症状も無かった」と反論。

しかし現に、その僅か一時間後に発熱という状況。
それでも本当に「症状は無かった」と断言出来るのか……。

続いて私は少し強めに言いました。

「既に症状が出ていたのに気付かなかったのかも知れないし、もしそうでなかったとしても、ご家族にそれだけの罹患者が出たのなら、少なくとも私なら人と接触する事は避けるわ。それはコロナ以前でも同じ事。ましてや新型コロナともなれば尚更でしょ」

……と。

何も私は、新型コロナを特別視している訳ではないのです。

今でこそ新型コロナは感染症法における感染症分類で5類感染症と位置付けられていますが、当時はまだ指定感染症2類相当の扱い。

その「新型コロナ」と名の付く感染症に罹患したが為に、或いは無症状で陽性となった(この場合、本来ならば「感染」ではないのですが)が為に、一定期間の行動が制限される、会社に勤める者は長ければ10日程もの間出勤停止を余儀なくされるような状況下、出来る事ならば罹かりたくはないというものです。

言うまでもなく、私も主人も新型コロナそのものを恐れていた訳でも何でもありませんが、何よりこうした諸々の弊害が一番厄介との思いだけは根強くありました。

しかもそれが「わざわざ貰ってしまった」、「罹かるべくして罹かった」形ですから……。

主人はやはり会社から検査を受けた上で報告をと命じられ、やむにやまれず病院を受診する事となりました。

主人の会社は産業医を置かないが為に特に指定の病院や検査機関も無く、かかりつけ医院への受診で良いとの事でした。

幸いにも、我が家のかかりつけ医院は漢方治療を主としており、発熱したからといって門前払いされたり駐車場(自家用車内)で待機するよう言われたりする事も無く、従来通りの診療を行っている医療機関。

主人は抗原検査だけを目的に受診し陽性とはなりましたが、医師に相談したところ「特に薬も必要ありませんね。仮に必要と思われたら市販の感冒薬で充分でしょう」との言葉を頂き、処方薬も無く自宅に戻りました。

何だかんだと主人も、初期のうちに市販の麻黄湯を服用したのみ。
頭を冷やし、こまめな水分補給と休養に努めた事で3日ほどで熱も下がり、その後徐々に快復。

会社に言い渡された10日間の出勤停止期間の後半は、自宅で暇を持て余していた程でした。

私自身の目立った主症状としては、先述のように喉のイガイガ感と偏頭痛で、多少の倦怠感こそあれど食事が摂れなくなるような事も、また動けなくなるような事も無かったのですが、嗅覚が失われるという期間が10日近く続きました。

また私自身、ちょうど休職中で検査の必要も無かった為あえて病院は受診しませんでしたが、もし検査を受けていたら、主人と同様に陽性反応が出ていた事でしょう。

症状はそれが何よりの治癒反応ですから、慌てる事なく最初の1日半ほど市販の葛根湯を服用し、後はこまめに水分を取って休養したのみでした。

ただ、この期間に入っていた予定と約束事3件は全てキャンセル。
うち1件は日時の変更の利かないものだっただけに悔しい思いが残りました。



友人関係に終止符を


そして後日。

別件でSさんが我が家を訪れる事になっていたのですが、私の中では既に心が決まっていました。

もう、これを最後に彼女との接触は断とう、と。

そして迎えたその当日。

Sさんが到着した頃、たまたま私は家事の真っ最中で手が離せず、リビングに居た主人が玄関先に出ました。

すると……。

「ご主人もお元気そうで」

彼女は開口一番、対面した主人に向かってこう言い放ったというのです。

その言葉を耳にした主人もまた、彼女の無神経なこの態度には難色を示し……。

「あれだけ人騒がせな真似をしておいて、謝るでもなく「お元気そうで」とは何だ」と憤慨。

その日を機に、私はSさんと関係に終止符を打ちました。

実は彼女には、面と向かってハッキリと別れを告げた訳ではありません。

最後に会った日の翌日、彼女から1本のメールが届いたのですが、その内容が一方的な御礼文のみだったので返信の必要も無いと判断、そのまま返信せず。

何の脈絡も無くわざわざ別れを告げる文言を送信するエネルギーも、私にはもう残されてはいませんでした。

「何故返信をよこさないのか?」なり「如何お過ごしですか?」なり、もし次に疑問符の入る文言でも届けばその時こそは応答しようと思っていたのですが、それ以後パッタリと連絡が途絶えたところを見ると、ようやく彼女も察したのでしょう。

あまり気持ちの良い終わり方とは言えませんが、私はこれで良かったのだと思っています。

それだけ彼女との関係、彼女を取り巻く良からぬ環境によってこちらまで振り回される事に、私は疲れ果てていたのかも知れません。

あれから1年が過ぎ、私もようやくこうして当時を振り返っているところですが、こうして文字にしてみると、私自身にも反省すべき点が幾つもあったと気付かされます。


本記事ではSさんとの別離までの道のりを主題としましたが、次回は最終章としてこれまでに書ききれなかったエピソードなども幾らか交え、私自身がこの騒動全般や周囲に抱いていた思いをまとめてみたいと思います。

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