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「家」が教えてくれたもの・② 〜生家再建へ〜

父が他界して2ヶ月が経ち、いよいよ相続放棄の期限目前。

そして相続云々に関わらず、この期間、今日は市役所、今日は農協、今日は農業委員会、今日は土地改良区、今日は銀行、今日は郵便局、今日は法務局、今日は税務署、今日は司法書士事務所……と、来る日も来る日も手続きと事務処理に追われる毎日。

それだけ父の遺したものはあまりにも多く数限りなく、ここに至るまで葛藤葛藤また葛藤の苦しい日々でもありました。

そうした渦中にあった2020年晩秋。
私はこれまでの人生において最大とも言える程の決断を下す事となりました。

それは父が遺した負の遺産もろとも引き継ぎ、帰郷して生家の再建・再起を図る事でした。

それが吉と出るか凶と出るかすらわからない。
けれども今は、これからの暮らしに懸けてみようと思ったのです。

そして父が遺した約200万円の借金……消費者金融からの借入と滞納していた税金の返済は、2人の妹達が引き受けてくれる事になりました。

もし妹達が居なかったら、また姉妹間で意見が分かれてしまっていたら、私は一体どうなっていただろうと今なお思います。






家造りの方針、そして住宅会社決まる


相続問題発生を機に、こうしてにわかに持ち上がった家造り計画。
楽しく前向きな家造りとはあまりにも程遠いものでしたが、私には同時にこの先の目標がありました。

これもまた主人と何度も話し合った事で、無謀な考えかとも思いましたが、早い話が「一旦家を建て、数年後に売却する」というもの。

今現在の資産価値の無いこの土地家屋を整備し新たに住居を構え、資産価値を上げた状態で手放すという目論見です。

言わば、もし仮にこれから始まる新生活が軌道に乗り、居を構えたこの地に根付く事が出来れば暮らしを継続する

何らかの事情でそれが叶わない場合には、5年後となるか10年後となるかはわからないが、身体の動くうちに潔くこの地を離れる

……という、何とも消極的な動機と理由付けを傍らに、住宅会社・ハウスメーカー探しは始まりました。


幾ら消極的なマイホーム計画とはいえ、可能な限り理想に近い家造りはしたい。
それは誰もが願う事でしょう。

気候に見合った家は?

自然災害に強い家は?

暮らしやすい間取りと家事動線の良い家は?


シミュレーション開始から数日。
数ある工務店・ハウスメーカーから3社が絞り出されました。


そして早速、一番先にアポイントの取れたE社へ赴く事に
2020年11月、第2週目の事でした。


こうしてハウスメーカーE社の門を叩いた我ら。
当時営業部長だった担当者Iさんに、先ずはこれまでの経緯と意向を包み隠さず話しました。

果たして、私のような理由・意向で家造りを考える人など居るのだろうかとの思いもありましたが、そこはやはり住宅造りの専門家。
言わば「売りたい」側ですから当然といえば当然かも知れませんが、私の言葉ひとつひとつ考えひとつひとつ、何も否定する事なく受け止めて下さり、そして労いの言葉までいただきました。

そして更に話を進めて行くと……。

同社に複数ある商品のうちのひとつに、寒冷地に強い素材・構造と工法を採用している事。

張りや欠けの無い、シンプルな形状の家造りを推している事。

……などなど、我らが理想とする形が完璧なまでに揃っており、また何よりも担当者Iさんの親切丁寧で誠実な人柄に触れ、私自身すぐにでもこのE社に決めたいと強く思う程でした。

とはいえまだ1社目、この後に2社の訪問も残っている。

これまで家造りをした友人知人らの話では、時間が掛かっても複数社を回り、自身らにとって最も理想的な会社を選んだと聞く。

何しろ人生初の住宅会社探し。
たった1社訪問しただけで決めて良いものなのか。
何より、主人の思い考えも尊重しなければならない……。

担当者Iさんが別室に資料を取りに行く為席を外した際、私は主人に自分の思いを述べました。

「早々と1社目で決めるのはどうなのかなと思ったけど、この会社なら(家造りを)お願いしたいとも思ったよ」

すると主人もまた同じ考えで、このE社にお願いしても良いのではないかという事でした。

相続放棄のように期限が定められているでも無し、家造り自体に関しては切羽詰まっている訳でも何でもなかったのですが、満場一致でこのような形となり即断即決

こうして訪問1社目にして住宅会社を決めた我ら。
そうなると、次の課題は住宅ローンの審査。
早速、そのまま流れで仮審査に進む事となりました。


家造りのスタートラインに


こうしていとも簡単に家造りを依頼するハウスメーカーが決まり、その流れで同時に住宅ローンの仮審査へと進む事となった我ら。

E社訪問から数日。
これまた早々と審査通過の報せがあり、次は本審査へ。

流石に本審査ともなると多少は時間が掛かるのだろうと想定していたところ、またしても1週間と置かず難なく通過。

ここに至るまで僅か10日ほど。
人生最大の買い物をするにはあまりにも敏速で、こちらの気持ちが付いて行かないような状況でもありました。

ちなみにこの時点で私は休職中の身。
父の死と共に膨大な事務処理が覆い被さり、いよいよ仕事もままならなくなっての苦渋の選択ではありましたが、こうした状況を踏まえ、また今後も何らかの形で私自身が就労出来なくなった場合にも備え、主人単独名義での住宅ローンを組む事となりました。


こうして、家造りを依頼するハウスメーカーと住宅ローンを借り入れる金融機関も決定。

あと、残すところは母屋および小屋の取り壊しと整地を依頼する解体業者を探すのみ。

ハウスメーカーE社の紹介を受ける事も可能でしたが、ちょうど義弟(主人の実弟)が解体業に従事していた事もあり、相談してみたところこれまた難なく決定。
義弟の勤める企業に依頼する事となりました。

おそらく長期に渡り大規模な作業が伴うであろう状況下、突然に無理難題のような案件を引き受けて下さった企業の社長に、そして義弟に、どれほど感謝したかわかりません。


……と、ここまで何もかもが巧く運び、何処か怖いような思いもありましたが、何はともあれ大きな関門は全て突破。

かくして家造りのスタートラインに立った訳ですが、長引いていた事務処理と諸手続きも相まって、これ以後、私は息をつく間も無い程に慌ただしい日々の中に放り込まれる事になるのです。


家造りが具体的に


2020年12月半ば。

ようやく相続登記も完了し、いよいよ家造りが現実味を帯びて来ました。

住宅ローンの申し込みと契約で銀行へ赴いたり。
図面打ち合わせ、仕様打ち合わせで頻回にハウスメーカーへ足を運んだり。

地方ではごく平均的かも知れませんが、私が所有していたのは約411坪(13584,678平方メートル)という、平屋を建築するには充分過ぎる程の土地面積。

ハウスメーカー側からは、ともすれば難航しがちな設計も、基本の形を崩す事なくスムーズに運ぶと言われたものでした。

そして私達の要望により、ハウスメーカーで先ず提案されたのはこの形の住宅でした。

この図面を見ると、玄関とバスルームおよびユーティリティーが同面積で横並びに。

玄関ホールのみで廊下を省き、トイレは少しゆとりを持たせた面積を確保。

キッチンとリビングダイニングで全18帖。

平行して6帖の洋室と8帖の主寝室。

張りや欠けの無いシンプル設計と間取り、建築面積24,05坪(79,50平方メートル)の平屋です。

これを基本とし、配置を反転させたり間取りや部屋数を変えるのも可能との事だったので、どうせならば少しアレンジでもしてみようかと、私達もちょっとした設計に加わる事になりました。


そして再び作成された図面(平面図)がこちら。

全体的な建築面積と形はそのままに、玄関とシューズクロークをあえて広めに取り、ちょっとした作業スペースとして、また農作物の一時保管場所としても使えるように。

ゴミ出しのしやすさを考え、玄関すぐ脇にトイレ、その隣に浴室と洗濯室を配置。

玄関ホールには、掃除用具や作業用具を入れる目的と、生活用品ストックの為の収納を。

玄関ホールから直結、洗濯室からもすぐ往来可能な場所に5帖の洋室を設け、洗濯物干しスペースとしても併用出来るように。

同じ並びに、それぞれLDKと往来可能な5帖洋室と8帖の主寝室。

基本の形から3帖分削る形にはなるものの、LDKは全15帖分を確保。
うち3帖の畳コーナーを併設。


……と、こうして家の間取りと配置も決まり、また驚く程のスピードで作業は進められ、建物の図面に始まって完成予想パースが作成され、漠然とながらも家のイメージが湧いて来ました。

しかし特にこの時期の主人は自身の休日を全て家造りに関する用事で費やす事となり、これまでの人生において最大級に慌ただしい師走だったと記憶しています。

ここで年内の作業は一旦終了。
年明けの旧母屋および作業小屋の解体工事と整地を待つ事となりました。

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