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時を経てコロナ人災禍に思う・① ~矛盾ばかりの感染対策〜

先ず初めに。

「コロナ騒動は茶番劇と見て間違いない」

単刀直入に申し上げますが、3年前の2020年初夏に差し掛かる頃、私はそう確信しました。

そして同時に、このままでは国民の心身の健康が損なわれ、子ども達の未来が破壊される……と、強い危機感を覚えました。

元々「医療の闇」という観点が土台となってもいましたが、当初より私はただならぬ違和感を覚え、その背景、裏側にあるものに逸早く着目し調べを進めた結果、如何にしてその騒動が作られ演出されて来たものであるか、そしてその一番の目的が何であるかというところに辿り着きました。

あれから時が経ち、既にこうした内容を記事にしておられる方も多く居らっしゃるであろう事、またそれらの全容に触れると大変な長文となってしまうのでここでは割愛しますが、今回はこのコロナ禍……いや、(そもそもこの言葉を使う事も不本意なので)コロナ人災禍において私が抱いて来た思いを主題に綴ってみたいと思います。


実はつい最近、日常の中で久々に自分の中で腑に落ちない、解せない出来事があり、一時封印していた思いが再燃。
それがこの記事を書くきっかけとなったのですが、今の気持ちを整理・消化する意味でも、こうした形で表現するのが一番自分らしいと考えたのです。

故に、本記事は私の主観を多く含む為、読まれる方によっては疑問を持たれる、不快に思われる、或いは異を唱えたくなる内容であるかも知れません。

更には「コロナ=茶番」の概念をお持ちでない方にとっては、理解不能な内容であるとも言えましょう。

そうした目線の元でお読み頂けましたら幸いに思います。





店頭で抱いた違和感


先日、ドライブとランチを兼ね、ちょっと足を延ばして友人と某市の某喫茶店へ行った際の話です。

(ちなみにその友人とは騒動が始まった翌年に同志の集いで出会い、以後プライベートでも交流を持つようになりました。)

古民家をリノベーションした雰囲気の良い店内でこだわりのコーヒーと軽食が味わえるとの情報を受け、友人共々ずっと行ってみたかったその店。

本来ならば前回のランチで行く予定だったのが、当日ちょうど定休日で断念。
念願叶って、2ヶ月越しに入店となった訳なのですが……。

楽しみにしていたそんな場所で、私(達)は不快な時間を過ごす事となったのでした。

先ず遭遇する事となったのが、店内入り口に待ち構える顔認証検温サーモカメラ

否応なしに自身の姿が映り込み(おそらくは記録され)、問答無用で検温されるこの機材。

2020年以後、至る所に設置され、門番のような存在として定着した感がありますが、私にはただ人を監視する為の道具という概念でしかなく、行く先々でこの姿形を目にする度に気が滅入っていたものです。

やむを得ず行かなければならない場所に設置してある時は、その目の前を通らぬよう回避してやり過ごしていましたが、今回のカメラは入り口すぐ目の前という避けようもない位置にあり、逃れる事は出来ませんでした。

そして更に自身が映り込んでいる間じゅう、ただ無機質に繰り返される「マスクを着用して下さい」のアナウンス。

その真横には「マスクの着用は任意です」との張り紙がされていましたが……。

今思えば予定変更も出来たのですが「遠路はるばる折角ここまで来たのだし……」と、そうした最初の違和感を封じ込め入店。

検温しかりマスク着用しかりアルコール消毒しかり。
それら3本柱を強いられるような店・場所を避け続けて来た私らしからぬ選択でした。


違和感的中す


かくして入ってみた店内は、予想以上に広々としたレトロな雰囲気漂うお洒落な空間。

程よく注ぐ陽射し、窓辺のグリーン。
アンティーク調の家具や展示物、そして書棚に並んだ本。

入口で思う事はあったけれど、居心地が良さそうではある……。

店内には先客も無く、目線の先のカウンターにオーナーとおぼしき男性がひとり。

特に案内される様子も無かったので、こちら側から「ごめんください」と声を発すると……。

そこで初めて、その男性による「いらっしゃいませ」の返答が。
それも無表情に。
気のせいか私の先入観からか、何だか素っ気ないものを感じました。

……と、ここでも再び思うところはあったのですが、まぁ特別嫌な対応をされた訳でもないし……と、とりあえず奥のソファー席へ。

着席して少し経った頃、今度は女性店員が注文を取りに。
その方もまた、特に感じが悪い訳ではないものの笑みひとつ無く、やはり無機質な印象を受けました。

そうした中、とりあえず私達は軽食とコーヒーを注文。

口コミ閲覧の際、利用客の撮った数々の写真も掲載されていたので写真撮影が可能な事も把握してありましたが、念のためここで確認、許可を得て。
店内の景観や興味を惹かれる展示物を撮り始めたところ……。

ちょうどそのタイミングで、新たに2人の女性客が来店。

……と同時に、今度はオーナー男性から一方的に、そしてぶっきらぼうに一言。

「他のお客様も来られたので、写真撮影はやめて下さい」

……ここでようやく私はハッキリと目が覚めたのでした。
訪れる場所を間違えてしまったと。

私は何も、わざわざ見ず知らずの方の顔写真を撮ろうなどとは思いもしないし、他の利用客が映り込まぬよう配慮するのは当然という認識の元でシャッターを切っている訳です。

写真撮影が不可とされる場所であったり店側の意向で撮影自体を禁じているというのならばいざ知らず、これはちょっと違うなと。

……とはいえ、着席し既に注文も終えた後。
しかも同席の友人に「帰ろう」「場所を変えよう」と言える状況でもない。

写真撮影は断念し、やむなく席に戻ると……。

「何だかここ、息が詰まる……」

何やら今度は、友人もソワソワし始めていたのでした。
どうにも得体の知れない圧力を肌で感じる……と。


疑問と矛盾と


更に、より一層それを強めていたのが、メニューに挟み込まれた1ページにズラリと掲げられていた店独自の細かなルール。

写真撮影禁止を謳う文言こそ皆無でしたが、私自身も何だかこれは……と思うような記述が。

・ドリンク1オーダー必須。
・軽食およびデザートの単品注文不可。
・大声で話さない。
・長居禁止。

……良識に欠ける利用客の出入りなどでそのようにしなければならない理由でもあったのだろうかとの思いもあり、これらはまぁ、わからなくもないのですが。

いざルール・禁止事項として掲げられると、何ともいえぬ居心地の悪さ窮屈さを感じてしまうのです。

・猫(飼い猫)に手を触れない。
・展示物に手を触れない。
・書棚の本に手を触れない(読書不可)。

……これらはオーナーが大切にしている物だからという理由でも何でもなく、コロナ騒動以後に誕生した感染症対策由来のルールとの事でした。

私達が店に居る間、たまたま飼い猫の姿は見られませんでしたが、もしその場に猫ちゃんが居たとして、向こうから寄って来た場合はどうするのだろうかと思いました。

完全に接触を避けたいと仰るのならば、利用客の前に放つような事をしなければ良いだけではないでしょうか。

また展示物に関しても、わざわざ触れようとは思いませんが、オーナーご自身らが接触=感染に繋がるとお考えなのならば、それら全て片付けるなりして、(百歩譲って)営業に最低限必要なテーブルや椅子だけを配備したら良いのではなかろうかと思ってしまいました。

そして書棚の本に関しては「ご自由にお読み下さい」「感染症対策の為読書禁止」との張り紙が混在しており、これには思わず言葉を失ってしまいました。

……と、私自身の感覚からすれば矛盾だらけ、客を遠ざけるとしか思えぬこれらのルール。

徹底した感染症対策を取っておられるおつもりなのでしょうし、未だ新型コロナウイルス感染症を恐れる方々にとっては、何の違和感も無いばかりか身の安全が約束された憩いの場とさえ思えるのかも知れません。

また常連客にとっては、どれを取っても特に気に留める話でもないでしょう。

オーナーご自身としては過剰な接客も意にそぐわぬ利用客も不必要とお考えなのでしょうし、この期に及んでそうした思想に抗うつもりは毛頭ありませんが、とにかく私自身には合わない、相容れない場であった事は確かです。

2023年9月上旬でこのような状況ですから、もし新型コロナが2類相当に位置付けられていた同年5月8日以前、或いは(そもそも任意である)マスク着用が求められていた3月13日以前に訪れていたら、間違いなく私は入店拒否されていた事でしょう。

……と、そのような訳で食事とコーヒーが運ばれて来るまでの間、複雑な思いを抱えながら過ごす事となった私達。

その味もわからぬまま、そそくさと飲食を済ませ次なる場所へ移動した事、仕切り直しで赴いたコーヒーショップチェーンの温かな接客とコーヒーに癒された事は言うまでもありません。




不本意なマスク生活を経て


さて。
私自身、2020年の初夏に掛かる頃にはハッキリとコロナ茶番劇に気付いたと述べましたが、実際にマスクを外したのはもう少し後の事でした。

同年7月後半、梅雨も明けいよいよ本格的に夏が到来。
猛暑の中でマスクを付けていたところ頭痛が現れるようになり、体感的にももう限界だと思ったのがそのきっかけです。

呼吸を妨げ免疫力を落とす。
熱中症を誘発する。
物理的にも心理的にも人と人とを遠ざける……。
感染症対策になるどころか、誤った使い方で弊害ばかりのこのマスク。

春先の緊急事態宣言を始まりに、テレビによって来る日も来る日もコロナだ自粛だ感染症対策だ人との距離を取れと煽られ、恐怖心を植え付けられた結果、大半がその効果を信じ込み神格化すらしてしまったこのマスク。

世の中の裏を読み取り、また多少なりとも医療の知識を持つ人ならば如何に馬鹿げた話だと判りそうなものですが、現実はそうではありませんでした。

しかし万人の安心の為だけに、わざわざ自分の心身の健康を害する行いをして何の意味があるのだろうか……?

7月下旬、私は一切のマスク着用をやめました。

顔の下半分を被った人がほぼ100%という状況下、全く抵抗が無かった訳ではないし、最初は本当におっかなびっくりといった状況で、一時テレビを通してよく耳にしていたマスク警察とやらに攻撃を受けはしないかと不安でたまらなかったのですが、すぐにそれは私の取り越し苦労、ひとり相撲だった事に気付きました。

たかだか私ひとりが素顔で居たところで、誰ひとりとして咎める者も居ない……これもまた現実でした。


8月も終わりに近い頃。
私のそんな様子を見ていてか、主人も完全に(仕事以外で)マスク生活から脱却。

その入口こそ私とは異なりますが、主人もまた早くに茶番劇に気付いた一人です。

事実、日本ではマスク着用が法で定められている訳でもなければ、マスクを着用しないからといって罰を与えられる訳でもない。

この約3年半、日常生活を営む上で切り離す事の出来ない対象……スーパーやホームセンター、ショッピングモール、飲食店などで店員にマスク着用を促された事は何度かありますが、それもほんの数回という程度で、少なくとも強要された事はありません。

またそうした元で購買意欲が失せる事もありましたが、そのまま買い物を続けるか、或いは潔く店を出るかはその時々の状況に応じて。

ただ、何れの場合も店側には必ず自身の声を届けるようにしていました。

大抵は「マスクが着用出来ない人の存在、マスクによる弊害も知って頂きたい」と口頭で伝える事を入口に、自身の思いや考えを補足する形で投書する事もありました。



理不尽と戦う


……と、ここまで書くと、私はどのような状況となっても冷静かつ穏便に対処して来たように思われるかも知れませんが、そうした幸運な場面ばかりだったかといえばそうでなく、心穏やかでは居られない出来事にも幾つか遭遇しています。


確か2年と少し前。
やむにやまれず携帯ショップまで直接出向かねばならない用が出来、店頭まで赴いた時の事。

入店早々、店員が何の断りも無く非接触体温計を額に向けて来た為、私は咄嗟に自分の手でそれを遮りました。

非接触体温計といえば電磁波の影響、そして額での検温では脳の松果体に影響があるとも言われていますが、私はそれだけを問題視した訳ではありません。

何より、対面したばかりの相手に銃を向けられるかのような構図に嫌悪感が走るのです。

当人ら(会社側)にとっては感染症対策の一環であり、よもや利用客に検温を拒絶されるという概念も無いままに行っている事もわかりますが、私自身が嫌なものはやはり嫌。
ここでもハッキリと申し上げました。

「銃を向けられているようで非常に不快です。検温するならば一言頂いた上で、せめて他の部位(手首など)でお願い出来ませんか」
……
と。

そしてその後は、例によって店員の「マスク着用を」の言葉。

私は尚も「健康上の理由でマスクが付けられません。また強要も出来ませんよね」と返答。

すると店員、上司らしき人物に指示を仰ぐべく一時退席。
数分後に戻り、開口一番「如何なる理由があろうともマスク装着なき場合は対応出来かねます」との返答。

これ以上は押し問答となりそうだったので、一旦休戦。
「わかりました。では本部に確認して改めて伺います」とだけ告げ、店を出る事にしました。

そしてすぐ本部に問い合わせたところ、利用客にマスク着用を強要するような指導はしておらず、社員(店員)の認識不足、いわゆる末端の暴走であったという事が判明。
謝罪の言葉も頂戴しました。

かくしてこの件は事なきを得たのですが、後に姪が某ディスカウントストアという場面で似通った体験をした為、その際も本部に確認したところ、やはり全く同じパターンで店員の認識不足だったという事で謝罪を受けました。


マスク警察は突然に


そして。
先ほど文中で少し触れたマスク警察なる人物。
たった1度ですが、実は私自身も遭遇しています。

マスク「警察」という名称自体いかがなものかと思いますが、折しも多用され浸透したものだけに、わかりやすく表現する為この言葉を用いる事とします。


騒動の始まりから2年が経とうとしていた2021年暮れの事でした。

私は仕事を終え、その帰り道、日頃よく利用しているショッピングセンター内のスーパーに立ち寄りました。

カートに篭を乗せ、多くの買い物客でごった返す店内で必要な物を買い回り始めたところ……。

「マスクしろよ!! 迷惑なんだよ!!」

……突然、耳元に響き渡る怒鳴り声。

それが、品選び最中の私に向けられた言葉である事はすぐに気付きました。
何しろ、素顔の買い物客など自分以外に誰も居ないのですから。

声の主とおぼしき人物の方を向くと、既に背を向けその場から去ろうとする男性の姿。

そして次の瞬間、私は言葉を発していました。

「強要罪で訴えますよ!!」

……すると、一旦は背を向けたその男性、踵を返し私の方に向き直りました。

見た感じ、60代も後半といったところでしょうか。

「訴えるって何だよ!!? これあげるからマスクしろよ!!」

尚も怒鳴り声を上げながら、自身の防寒着のポケットに入っていた皺クチャのマスクを取り出し、何と私に向かって差し出して来たのです。

このような人物には、マスクの効果が云々、弊害が云々と言ったところで何も伝わらない。

同じ土俵に立ち、暴言を暴言で返したところで同じ穴の狢。

先ず当人の取った無知な行動こそが恥ずべき行いであり、強要罪(刑法223条)に当たると認識させる事が先決だ。

不思議なほど、私は冷静でした。
マスクと無縁の日常が私にとっては「至って普通の事」ですから、揺らぎようもない訳です。

「病気などでマスクが付けられない人が居る事を知らないのですか!!?」

沢山の人が行き交う中、私はいっそ周囲にもこの声が言葉が届くようにとあえて語気を強め、こう返したのでした。

……すると。

流石に分が悪いと感じたのか……。

「だったら黙ってろよ!!」

その男性、吐き捨てるように再び声を荒らげ、その場を立ち去ってしまいました。

それにしても「黙ってろ」とは何とも支離滅裂な……。

何しろ私自身、それまで単独で買い物をしていて言葉ひとつ発してもいなければ、件の男性が攻撃を仕掛けてさえ来なければ口を開く事も無かった訳ですから。

そういえば友人の一人も他県で遭遇した事があると話しており、噂には聞いていたマスク警察。

また、聞くところによるとほぼ例外なくすれ違いざまに暴言を吐くパターンが圧倒的多数との事でしたが、まるでそのまま、型通りの流れでした。

面と向かって物を申せば反論の言葉が返って来るであろう事を見越し、不意を突く形で高圧的な言葉を浴びせる事によって相手を脅し萎縮させようという心理でも働いているのでしょうか。
残念ながら、私はその手には乗りませんでしたが。

そんな存在に出食わしてみたところで何の利点もないので接触を避けたい対象ではありますが、それにしても身近に実在していたとは……と、今振り返るとある意味貴重な体験だったなと思っています。



全体主義の波に飲み込まれて


何れのケースもそうですが「マスクを着用しない者は悪・非国民」という刷り込みの元、それが曲解され都合の良いように解釈されルールと位置付けられ、それに背く者は排除されて来たように思います。

身近にも、呼吸器疾患や皮膚疾患などでマスクが付けられないにも関わらず強要され、体調悪化で学校や職場に通えなくなってしまった子や人が居ます。

私自身、大々的な啓蒙活動こそ行うような事はありませんでしたが、こうした現状とそれに対する自身の思いや考えを伝えるべく、2020年夏の終わり頃から翌年2021年に掛け、居住区内外の役所や教育委員会に向け声を上げたり投書をしていた時期がありました。

骨の折れる作業ではありましたが、直筆で文字をしたため職員に直接手渡し、出来る限り多くの方々に目を通して頂きたい、必ず市長にもこの声を届けて下さいと強く訴えました。

しかしながら何ひとつ反映されるものは無く、徒労に終わるばかりでガックリと肩を落とす事もしばしばでした。

もはやマスクの効果や弊害などどうでも良く、ただただ「個」を蔑ろにし、人の健康を奪い、臭いものに蓋をしては保身に走る教育者や事業主の姿をまざまざと見せ付けられただけでした。

こうして悪戯に時間は過ぎ、2021年2月。
いよいよ遺伝子注射……新型コロナワクチンが日本にも上陸する事となる訳ですが、当時の私自身、この人類史上初となるmRNAワクチンを国民の8割が(最低でも1度は)接種する事になろうとは思いもしませんでした。

揶揄するようですが、新型コロナを演出する為の道具=マスクで確りと予行演習した結果という事でしょうか。

次の記事では、この遺伝子注射に対する私自身の思い考え、遺伝子注射という存在によってもたらされた心理的物理的な弊害・事象に触れ、そして実際に身近で起こった薬害の話までを取り上げてみたいと思います。

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