見出し画像

謹賀新年 2024

あけましておめでとうございます(^▽^)

三が日も過ぎ、大変遅ればせながらとなってしまいましたが、私の元にお運び下さる皆さま、旧年中は大変お世話になりました(^-^)

初めてお越し下さる皆さま、足(目)を止めて(留めて)頂きどうもありがとうございます(^○^)

本年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m


そして。

2024年初となる記事で、まさかこのような一文を差し込む事になろうとは予想だにしておりませんでしたが……。

1月1日(月)・元旦。
突然に、能登半島を震源とする大地震が発生。

地震災害により亡くなられた方々にお悔やみを申し上げますと共に、被災されました皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

我がまち新潟も大きく揺れ、一時はどうなる事やらとその先を案じましたが、幸いにも、私自身も家族親族にも人的被害は無く過ごしております。

(なお地震に関しては、追って次の記事で触れる予定でおります。)



さて。

(本来ならば3日前、元旦に投稿しようと書き掛けていた記事に加筆訂正しながら文字を綴っておりますが)このお正月、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

郷里、ご実家に帰省される方。
初詣に行かれる方。
早速、初売りにレジャーにと繰り出される方。
海外・国内旅行を楽しまれる方。

……などなど、お正月の過ごし方も様々かと思いますが。

数年前までごく当たり前のようにあった、年末年始の業務を離れた今、私のお正月は特別なものも何も無い、至ってごく普通の日常そのままです(^^)

家じまいと同時に生まれ故郷を離れた私にとっては、そして家族・親族にとっても今の我が家が事実上の「実家」となるので、お正月は帰省するという概念も無く。

初詣は、思うところあってもう何年も行っていませんが、その代わりとして(?)近年取り入れるようになったのが、「初詣」ならぬ「初【墓】参り」(^-^)

出来るだけ、松の内が明ける前には行くようにしています(^ー^)

またお正月は、何処へ行っても混雑・渋滞が避けられないので、もう何年もの間、初売りともレジャーとも旅行とも無縁ですf(^_^)


……と、そのような訳で至ってシンプルなお正月なのですが、そのような中でもちょっとしたこだわりと楽しみが(^w^)


前年の大晦日には地元・新潟の郷土料理「のっぺ」を大量に煮上げて。

大鍋で大量調理。
各家庭で具材も様々。
我が家では、大晦日から正月三が日に掛け毎日食卓に並びます。


今季もまた、大晦日の食卓は新潟の食寄せ集めとなりました("⌒∇⌒")

こしひかり越後ビールを傍らに。


栃尾の油揚げに。

シンプルに刻み葱とポン酢で。



年越しに小千谷のへぎそば。

国産素材使用の小千谷そば。
シンプルにざる蕎麦で味わいます。


そして。

今回は、ふとした思い付きで夜な夜なキッチンに立ち、カウントダウンライブならぬカウントダウン調理なるものを敢行(*^▽^)/


写真(工程)が残っていませんが、日付け(年)が切り替わるタイミングに黒豆のポークビーンズを煮込み、10時間ほど置いた後、元旦の昼前に再び火入れ。

トマト、人参、玉葱、じゃが芋、豚肉を炒め合わせ、圧力鍋で下煮した黒豆と赤ワイン、塩を加えて再び煮込みます。


そして当日の夕食に……と思っていたのですが、予期せぬ地震発生によりゆっくり食事もままならず、翌2日に持ち越しとなりました。

少し煮詰まった感はあるものの、味も馴染んで美味しく。



正月三が日最終日となる昨日、1月3日(水)は、午後から義実家(主人の実家)まで新年の挨拶に。

おやつタイム、皆元気で新年が迎えられた事を喜び合いました(^∇^)


義母が用意してくれた綺麗な花柄の紙皿で、持参したロールケーキが華やかに(^O^)

義弟が淹れてくれたコーヒーと。



そして1月3日といえば「3日とろろ」の日。

東北や長野の正月行事とされるこの風習。

長寿や健康を祈願し、とろろ汁や麦とろを食べるというものですが、長芋(自然薯)には整腸作用や滋養強壮作用があるという事から、年末年始のご馳走で疲れた胃腸を労る効果もあるという、まさしく理に適った食事。

そんな昨晩は、この長芋をすりおろして私の大好物・お蕎麦と一緒に味わう事に(^▽^)

今回は皮を剥いてすりおろしました。
二八そばに添えて。
とろろは蕎麦にかけて味わいました。



更に、3日とろろといえば、思い出さずにはいられないのが、日本の元陸上競技(長距離走・マラソン)選手・円谷幸吉の言葉。

氏の没後に生まれた私がその存在を知る事となったのは、確か小学校高学年の頃、とある書物がきっかけだったのですが。

「父上様、母上様、3日とろろ美味しゅうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」と結ばれた遺書は、あまりにも衝撃的で。

なぜならその文中には「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」との、本人の耐え難いであろう苦悩が綴られており、当時小学生だった私にとっても、身に詰まされるような内容だった事を覚えています。


真面目で責任感が強く、人一倍の努力家。

礼儀正しい好青年だったと評されている円谷氏。

存命ならばどのような人生を送っていたのだろうか、またその人柄に触れてみたかったと思わせてくれる人物でもあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?