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【新刊試し読み】 『ミナヅキトウカの思考実験』|佐月 実

第一回黒猫ミステリー賞受賞作ミナヅキトウカの思考実験』が2023年9月13日(水)に発売されたことを記念して本文の一部を公開します。


本書について

第1回黒猫ミステリー賞受賞作!
残念ね…これは怪異ではなく、単なる人間の犯行――
水崎大学数学科に通う神前裕人かんざきひろとは、ひょんなことから殺人事件の現場に遭遇。被疑者として警察署に連行されてしまう。嫌疑をかけられたままの状態に不安を感じた裕人は、刑事の促しに応じる形で、自身が通う大学の怪異研究会に足を運ぶことに。そこでオカルトマニアの水無月透華みなづきとうかとの出会いを果たした裕人の日常は、その日を境に一変。透華に振り回されながら、さまざまな事件の現場に足を踏み入れていくことに…
街中で突如燃える女、棺の内側から響く物音、目だけくり抜かれた死体…怪異の仕業とも取れる事件の真相を、「思考実験」をもとに導き出す超常× 解決ミステリー!
装画:wataboku



試し読み

「……はい。水崎みずさき大学一回生の神前裕人かんざきひろとさん。確認取れました。学生証はお返ししますね」
  差し出されるままに学生証を受け取る。まだ数回しか使っていないそのカードだけが、唯一裕人の身元を保証してくれるらしい。視線を感じて顔を上げると、物腰は柔らかに、けれど有無を言わさぬ態度でその人物は続けた。
 「辛いお気持ちは充分お察ししますが、もう一度だけ確認をお願いします。あなたが見たままの光景を、憶測や想像ではない事実を教えて下さい」
 はい、と裕人は答える。それから必死に頭を働かせようとするけれど、場所が場所のためか上手く思考が回らない。回らないまま、しかしそれでも見たままを刑事に伝えた。
 「……大学の歓迎会の帰り道に、水と明日の朝食を買おうと思ったんです。それでスマホでコンビニを探して近道したら、きつい香水の匂いがして。女の人とすれ違いました。そしたらその人の電話が鳴って、少ししたら悲鳴が聞こえて―」
 思い出し、「うっ」とまた吐き気を催す。大丈夫ですか、と遠くに聞こえるが、記憶を拒むように視界が歪むばかりだった。
 ―最悪の大学デビューだ。
 入学から数日で怪事件の被疑者扱いされるなんて、笑い飛ばせる話題じゃない。
 自身に向けられた疑いの目を晴らすため呼吸を整え、裕人は順番に記憶を解きほぐしていく。

ー 1 ー

「―ということで私の授業では中間と期末それぞれ五十パーセント、二回のテストで成績をつけます。また六十点を下回った者に関しては後日救済措置を取りますので―」
 話を聞きながらルーズリーフに食らいついてペンを走らせる。やがて授業の終了時刻に近づき、先生が次回までの課題を提示して講義が終わり、昼休みになった。
 大学入学後初めての授業は、どれもそんなふうにして終わった。授業の目的や進め方、成績の評価方法。なんだか冷めているし、なんだかぱっとしない。そんなことを思いながら人脈作りに励む同級生たちを見ていると、冷めていてぱっとしないのは自分のほうだなと気づいて独り自嘲する。大学に来たらすぐに彼女ができるなんて誰が言ったんだよ畜生。
 「―よっ、ひーろと」
 「っ!」
と、突然肩を組まれて心臓が止まりかけた。それからすぐに溜め息を吐く。
「……裕也か。もうちょっと普通の挨拶がいいな」
霧崎裕也きりさきゆうや。自己紹介の時に「へー、裕人っていうのか。てか名前似てるね!」とぐいぐい懐に入り込んできた生粋の陽キャだ。正直いつ斬り捨てられるか気が気じゃない。
 「飯何にする? あ、俺もう一個の方の学食行きたい。不味いって噂の方」
 「なんで不味いって言われてるのに行くんだよ」
 「不味いって言われてるからだろ」
 陰キャと陽キャの会話はこうも生産性がないものなのか。
 ただ裕人にとって、裕也の存在はありがたくもあった。
 高校から数学にはまり、大学受験も得意科目の数学で押しに押して滑り込むように入学。きっと周りの同級生たちは必死に勉強して、将来のことで悩んで、考えて、あるいは何か大きなものを諦めたり決断したりして。そうやってみんなここにいるんだなと思うと、正直どういう接し方をしていいのかよく分からなかった。
 「なあ話変わるんだけど、さっきの授業の先生ヅラじゃなかった?」
 「え、違うよ。あれはどう見ても地毛だったよ」
 「マジ? あの年でよくあんな蓄えられるなぁ尊敬するわ」
 「尊敬ポイントそこなんだ」
 そこにきてこの陽キャだ。なんだか、何もかもがちっぽけで馬鹿らしくなってくる。
 
 「不味くてやたらと量が多い方」の学食はそれでも混雑していて、たった二人分の席を確保するのにも苦労した。見ているだけで満腹になりそうな量の味噌ラーメンを盆に載せて、裕也の待つ席に合流する。混雑する今の時間帯の学食は、時間と自分との戦いだ。
 「そういやさ」カレーの染みたカツに齧り付きながら、裕也がこちらを見上げて尋ねる。「裕人も行く? 今日の新歓」
 「……あー、」
 曖昧に濁した。新入生歓迎会なんて謳っているが、どうせただの飲み会だろう。飲酒なんてしたことがバレたら退学になりかねないし、断るつもりではいたけれど。
 「行こうぜ。可愛い子もいるかもよ」
 「どうかな。ごちゃごちゃしたところって苦手なんだよね」
 「なんだそれ。相関係数ゼロの散布図みたいな?」
 「そうそう。データに強い相関があってほとんど直線みたいじゃないとさ」
  裕人も笑う。こういう馬鹿みたいな会話をしている時だけ、裕也と似たようなことを考えていることが嬉しくなったりするものだ。
 「こういう身内ネタみたいなの何なんだろうね。数学科にしか伝わらないのかな」
 「かもな。まあ、あれじゃね。新歓で先輩との会話に困ってもとりあえず相手の専門分野について質問しといたら無限に喋り続けるだろ。理系あるある」
 「……確かに。え、なに、今までそうやって僕に合わせてきたの?」
 にやりと、こちらを見ながらカレーを口に運ぶ。
 「違うよ。俺なりの処世術。先生にも通用するけど、使いすぎると危険だから注意しろよ」
 「危険って?」
 「下手に見込みがあると思われたり逆に興味ないのバレたりするからな。あくまでもほどほどに語らせておいて、相手が満足する一歩手前で引くんだよ」
 「なるほど、恋の駆け引きだ」
 「まあ大抵上手くいかずに振られるんだけどな」
 一足先にカツカレーを完食した裕也は「やっぱここ噂通りだったわ」と小さく笑った。かく言う裕人も味のしない味噌ラーメンに飽きていたので、麺と少しの具を片付けて食器を洗う。
 「なあ、少しは大学デビューする気になった?」
  学食を出て講義室へ向かう道中、裕也はにやにやとそんなことを尋ねた。
 「……うーん」
 「行こうぜ。行ったら案外面白いって、多分。つまんなかったら一緒に帰ればいいしさ。まあ一番はタダで飲み食いできることだけど」
 確かに夕食の食費を浮かせられるのは大きい―なんて考えてはみるけれど、結局は一歩を踏み出す理由を探しているだけなのかもしれなかった。
 「……じゃあ、行こうかな」
 「よし、そんじゃ七時に校門集合で」
 これで何かが変わるのだろうか。この時は、そんな淡い期待もしていたのだ。
 
 「……うっ、気持ちわる……」
 慣れないことはするものじゃないなと、この時ばかりは思わざるを得なかった。繰り返し催す吐き気と戦いながら、孤独に自宅へと足を進める。
 途中まではなんやかんやで楽しめていたのに、興味本位で度数の低いアルコールに口をつけたらこれだ。頭は痛いし吐き気は止まらないし、裕也だって初めは心配してくれた癖に、何が
 「俺先輩が送ってくれるらしいから気をつけてな」だ。所詮友情より女か。
 「先輩も普通放置する……? 具合悪い後輩放置してイケメンの陽キャ取る……?」
 まあ、取るわなそれは。
 考えていたらまた吐き気が襲ってきた。水が飲みたくなって咄嗟に自販機を探すが見当たらない。仕方なく近くのコンビニを検索して、ついでにトイレを借りようとか、水だけじゃなんだから明日の朝食も買おうとか、そんなことを考えながら目的地へと向かった。大通りに行けばある程度道も明るいのだろうが、いつまで吐き気を我慢できるかだって分からない。最短ルートは通ったことのない道ということもあり少し躊躇いはしたが、そんな逡巡も吐き気に勝つほどではなかった。
 街灯すらほとんどない裏路地に入り込む。地図を確認しながら進んでいると、前から異様に甘い香りが漂ってきて顔を上げた。どうやら向こうから歩いてくる女性の香水らしい。
 甘ったるい臭いにまた吐きそうになるのを我慢して、臭いの元が過ぎ去るのを待つ。見ると、どこかきつい印象の顔立ちをしていた。こう言ってはなんだが、あまり若くは見えない。
 手元の地図に視線を戻してすれ違う直前、女性のカバンから着信音が鳴った。背後で立ち止まる気配がする。その、僅か数秒後の出来事だった。
 「―きゃぁぁあああああ‼」
 静寂を切り裂く悲鳴。反射的に後ろを振り向き、信じがたい光景に目を疑った。
 ―なんだ、あれ。
 理解が追い付かない。脳が映像の処理を拒んでいる。分からない、分かりたくない。
 脚色なくその光景を一言で表すなら、燃えていた。
 今すれ違ったばかりの女性が、炎に包まれて暴れていた。
 「熱いッ、熱いッ‼」
 呆然と立ち尽くす裕人の目の前で、女性は羽織っていた上着を脱ぎ捨てる。しかし既にインナーにも引火しており、脱ごうと脱ぐまいと結果は同じに思えた。いや、そうじゃない。燃えているのは服だけではないのだ。
  ―どうして、人体にまで火の手が回っているんだ……⁉
 「熱い……ッ! 消して‼ 消してッ―‼」
 「どうした! 何が……」
 近隣の住民が騒ぎを聞いて駆けつけたが、すぐに言葉を失った。
 「ひ―人が、燃えてる……!」
 駆けつけた別の住民が警察に通報してもなお、断末魔の悲鳴は続いた。炎に包まれた女性は苦しみにのたうちまわり、やがてぴくりとも動かなくなる。炎に飲まれて彼女が事切れるのに、三分とかからなかった。
 「なんだ、あれ……!」「警察は!」「通報した!」
 「おい―おい、しっかりしろ! 大丈夫か―!」
 いつの間にかその場にへたり込んでいたらしい。肩を揺さぶられて、裕人はようやく意識を現実に引き戻す。同時に、異様な悪臭が鼻腔を突き刺した。思わず口を押える。
 ―こんな。こんなことって。
 さっきまで生きていた人の。人の肉の、焦げる臭い。
「―っ!」
 裕人は堪らず、その場に嘔吐した。


目次

一話 マクスウェルの悪魔
二話 シュレーディンガーの猫
三話 中国語の部屋
四話 スワンプマン
五話 功利の怪物



著者紹介

佐月 実
1998年、茨城県水戸市出身・在住。理学部卒。専門は数学。大学在学中にデビューを目指すも吉報なく、現在は駆け出し社会人として日々邁進中。「みんな働きながら書いてるって正気か……?」と軽く絶望している。趣味は読書、(カード)ゲーム、アニメ鑑賞。特技は餃子の皮包み。好きなテーマは蠱惑魔。VTuberに推しがいる。本作がデビュー作。

『ミナヅキトウカの思考実験』
【判型】四六判
【ページ数】376ページ
【定価】本体1,980円(税込)
【ISBN】978-4-86311-379-4


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