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軋む車輪が得られるものは

「出る杭は打たれる」は非常に日本的な表現で、海外に対応することわざはないという。
「出すぎる杭は打たれまい」という言葉もあるくらいで、押しなべて十人並みor超優秀な人間、のどちらかでないと世間では認められないようだ。

発言は好奇の目線に身を晒す行為

学生時、授業で手を挙げることに躊躇した記憶があるのは、私だけではないだろう。
「でしゃばっちゃって」という無言の圧力で満たされたあの空間。大人になったいま、あれはなんだったのだろうと思うこともある。

とはいえ、社会人になり、保守的な大企業に勤めているいま、その空気を少し残した集団で暮らしている。
気づいたことを声に出したら、「おやまぁ頑張っちゃって」という目で見られて。
なんだ、学校と変わんないじゃん。

「ギリギリアウトを狙う」

こんな記事を見つけた。障害者支援のNPO法人スウィングのブログより引用。

なぜならスウィングが「どうでもよくないこと」しか言えない場であったならば、そこは当然「どうでもよくないこと」を言える人“だけ”しか発言できない場となり、同時に「本当にどうでもいいこと」“しか”言えない人たちの声は圧殺される。恐らく知らぬ間に。これは本当に怖いことだ。全然どうでもよくない。

スウィングブログ http://garden.swing-npo.com/?eid=1400485

障害者施設だから、できるのだろうか?
いま巷で市民権を得つつある数多の事柄は、誰かがこの「ギリギリアウト」を狙ったからだ、と私は思う。
遡れば、平塚らいてうが声を挙げなかったら、女性は今ももっと息苦しかっただろう。
LGBTQの運動だって、「よくわからない人が騒いでるなー」としか認識されなかっただろう(残念なことに、一部にその風潮は残っている)。   


"The squeaky wheel gets the oil."

いきなり「声をあげろ!」というのはハードルが高いが、「軋んでもいいんだ、声をあげてもいいんだ」という空気を醸成する手伝いなら、誰にでもできる。
軋まなければ油はさされない、という行き過ぎればノイジーマイノリティが優遇されるのも問題だが、必ず、何かをすると足を引っ張る、反対される声はある。
だから、声をあげるのは難しくても、せめて出る杭を打たないように見守っていけたらと思う。


"The squeaky wheel gets the oil."
「軋む車輪は油をさされる」
私の好きなことわざだ。


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