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流れと現実

この地上世界にあるあらゆる 言葉 表現 画像 何でも良いが

人間の感覚センサーの中に入ってくる全ての動きとでも言えるものは

人間にそのように考えさせる つまり 特定の方向に導くためのものなのだと一旦決めた時に

それは結果的に人間に対する支配とコントロールの形を取ると気づかなければならない

そしてそれを自分自身が 実は求めているからそういうものが出てくるという考えもまた同時に持つ必要がある

なぜかといえば そうした 両面 建ての考えを持っていなければ

自分の周辺で起きていると認識している またはそのように思い込んでる動きというもの全ては

誰かが行っている 誰かが仕掛けている

誰かのせいで自分には責任がない

容易に簡単にこうした考え方に帰結するからだ それを採用してしまうからだ

人間の心というものは それだけ危うい あやふやであり 弱い

それもまた弱いままでいようという人が自ら選んだ 選択だ

人間は自分という器を守るために色々な設定を考えて イメージしてそれを実現化させる

その中で一番簡単なものは という言い方をするけれど それは弱者をイメージすることだ

数多くの弱者は実際にエネルギーのある力の強いものに食われるか なぎ倒されていく

だが弱者を気取るものには一つの利点がある

人間に不必要にもたらされている共感作用という支配とコントロールというシステムを使って の頭数がより集まって

多くの巨大な1つのエネルギーの領域に立ち向かうような構えをすることで

その威嚇行動を固定化した状態で

実際にエネルギーになる座標から それを奪い取り続けるというシステムがある

それがこの世界における自称弱い人 やらそれを守る人 やら

つまりそれを商売にしているわけだが

そうしたものの全体像だと一旦は決める

見なさなければならない

あなたは既存の世界における人間の動きというものをどのように考えているか

全てはエネルギーの流れ だと考える 流動性 だと考える

その視点に立った時に どういう動きを作ればそれを自分と決める 特定の座標 領域に呼び込むことができるのか 利用することができるのか

そうした観点で 世界を見返していただきたい

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