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自分探しオジサン、自分を見つけるの巻

今日は復職支援のプログラムに行き、キャリア形成の本を読んだ。
本の内容で心に残っているのはキャリア・アンカーという言葉だ。
キャリア・アンカーとは、「自分の中の最も大事な価値観」みたいな意味らしい。
このキャリア・アンカーを基点に自分と仕事の向き合い方を考えることが必要だと本には書かれていた。
私は横文字全般が嫌いで、「キャリア」という言葉を特に嫌悪しているのだが、キャリア・アンカーの考え方は納得できるかもしれない。

しかし、私はキャリア・アンカーについての説明を読んで、「今の私はキャリア・アンカーを見失っている」と感じてしまった。
「今の私」という書き方をしたことからわかる通り、昔の私はキャリア・アンカーを見定められていたなと思う。
そのキャリア・アンカーとは「愉快な自分であること」である。
私は「愉快な自分」に死ぬほど強い拘りを持っていた。


勘のいい読者諸兄はこのへんで自分語りが始まる気配を感じ取ったんじゃないかな?
Exactly(そのとおりでございます)!
でもnoteはオジサンが自分語りするために作られたサービスだから自分語りしてもいいんだよ。
知ってた?

話を戻して、なぜ私が愉快であることに拘るようになったのかである。
これは「涼宮ハルヒの憂鬱」というライトノベルの影響が大きい。
私と同世代のオタクボーイが相手ならば「ハルヒの影響」と言うだけで言いたいことはほぼ通じると思うのだが、今の若いオタクはハルヒって言われてもわからないんだろうな。
簡単にハルヒの内容を説明すると、「涼宮ハルヒというおもしれー女がおもしれー仲間を集め、SOS団という変人サークルを組織する」みたいなかんじである。
私と同じ世代のオタクはみんなSOS団に憧れたものだ。
もちろん私も憧れた。
SOS団に憧れるのは当時の学生オタクなら皆が通る道であるため、特に恥ずかしがることではない。
SOS団は"はしか"みたいなもんだから。

SOS団は完全スカウト制で、団長の涼宮ハルヒ女史が「こいつは面白い!」と思った奴を(強制的に)加入させるシステムとなっていた。
SOS団に入るには涼宮ハルヒ女史に見初められるくらい愉快な奴であらねばならないわけだ。
かつての私の愉快至上主義は完全にここから来ている。
「自分も愉快になっていつの日かハルヒにスカウトされるんだ!」と悪の炎少年は夢見たのであった。

もちろん、本当にハルヒがいて私をスカウトに来ると思っていたわけではない。
しかし、「自分の愉快さを磨けばいつかその愉快さが評価されて、SOS団みたいな集団の一員になれる」と半分は信じていた。
そして、「なかなかSOS団のスカウト来ないなぁ」と思っているうちに気がついたら就職していた。
おやおや?
就職なんてしたら、もう一生SOS団には入れないのでは?
詰んだ?

「詰んだなぁ~」と思いながら仕事をして1年が過ぎた頃、私は苦悩していた。
私にとってそれまで最重要事項であった「愉快であること」が会社では疎まれるのだ。
私が愉快なことを言っても「ふざけるな」と怒られてしまう。
参った。
怒られるのは嫌だから、あまり愉快なことは言わないようにしようかな。
でも愉快なこと言わないとSOS団のスカウト来ないしなぁ。
もう一生SOS団からスカウトが来ないまま死んでいくのか…?
いやだ~
ハルヒ~早く私を迎えに来てくれ~

そんなことを考えていたときに、私に転機が訪れた。
会社の同期が高校生のときに『アサシン』というケータイ小説を書いていたという話を聞いたのだ。
ちなみに、『アサシン』は未完である。
『アサシン』(未完)、なんて恥ずかしいんだ。
だが彼は自分の感性を世に問うたことがあるんだな。
私は「真に愉快な奴は世界が勝手に発見する」と思っていたため今まで発信活動はしなかったが、もう四の五の言ってる場合ではない。
ハルヒに発見されるためには発信が必要だ。
こうして私はブログ(このnoteを始める前にやっていたはてなブログ)を立ち上げた。
『アサシン』(未完)が通るなら、私のブログも通る!

ブログでは『ちゆ12歳』をパクった文体で、『ちゆ12歳』をパクった内容の記事を書いていた。
これがそこそこウケて、始めて一ヶ月くらいでエゴサをしたら感想が出てくる程度のアクセスになった。
ほら!やっぱり私って愉快なんじゃん!
私はたいへん調子に乗り、ブログのコンテストみたいなのにも応募した。
しかし、さらに数ヶ月経つとアクセス数はガタ落ちし、エゴサしても何も引っかからなくなった。
そして、応募したコンテストも落選した。
あれ?私ってそんなに愉快じゃない?
私は精神が崩壊しましたとさ。
Bad End…

唯一の拠り所としていた「私は愉快」という前提が覆されたことで私のメンタルはペシャンコになり、仕事が嫌だったことも重なってうつ病になった。
そこからはもうムチャクチャである。
心身ともに疲弊しきって、会社を休職したりした。
そして、その状態は今も続いている。
こうして辛い日々を送る中で、次第に「私は愉快じゃない」「愉快であろうとしたら心身の健康が害される」という考えが私の中で育っていき、私は愉快を否定して新たなアイデンティティを模索するようになった。
自分探しオジサンの誕生である。

しかし、自分はなかなか見つからない。
そんな中、今日の復職支援プログラムでキャリア・アンカーのことを知り、「今の自分にキャリア・アンカーはない」と思うに至ったわけである。
プログラムが終了して帰宅したあと、私は一生懸命キャリア・アンカーについて考えた。
そうしたら、一つの気づいたことがある。
どうやら私はまだ愉快であることに未練がある。
メンタルペシャンコ事件のときにやっていたブログはもう畳んでしまったが、代わりにnoteを書くようになったし、Xもやっている。
本当に愉快であることを否定できているなら、こういった発信活動もやめているのではないか?
未練たらたらじゃん。
探していた自分はすぐそばにあったのでしたとさ。
青い鳥 End…

やっぱり愉快になることが私のキャリア・アンカーであるようだ。
この特性が社会で生きていくうえで邪魔になるのは何も変わらないが、とはいえ事実から目を背けていては有効な考えは出てこない。
愉快を目指しながらどう社会と折り合いをつけるかはこれから考える。
今日は「私は愉快になりたいオジサンです!」という自認を獲得したところで大きな進歩としよう。
…イタイ自認だなぁ。
いや、そんな自認をネットで表明するところこそがイタイのか?
別にネットに書く必要はなかったかもな…
でももう2700字も書いちゃってるしな…
このままお蔵入りさせるのも勿体ないよねぇ?
勿体なくない?
お蔵入りはSDGsじゃなくない?
ねぇ!?
SDGsは大事だもんねぇ!
仕方がない!
これはもう公開するしかない!
でもイタイって叩かないで!
いや、叩かないでください!
叩かれたら傷つくから!
人を傷つけるのはSDGsじゃないと思います!
あと、コレを読んでる中に涼宮ハルヒさんがいたら私をSOS団に入れてください!
よろしくお願いします!

幸運