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勝海舟と浦賀

今回、久里浜駅から浦賀駅と歩いて、本来の、江戸時代までの町が見えてきたような気がする。
そのきっかけとなったのが、久比里にある若宮神社での町内会長老さん達との出逢ったことであった。


訪れた時には、夏祭りの準備なのだろう。20代から40代の男性陣が何人も作業をしていた。
邪魔をしないように、そっと参拝だけと思っていたのだが、皆さん、かなり親切な方々であった。
昔からある村の鎮守さん。
神主は不在で町内会で管理している。
祭事の時は、西叶神社から神主さんを呼ぶ。
そんな事を教えて頂いた。
「西叶神社に行けば御朱印を頂けますか?」の私の問いに、
「社務所に社行けば、貰えるよ」との事。

そして、社務所にと。


町内会長さんが書き置きしているのだそうだ。町内会長さんの指示の下、他の人が朱印を押し、日付を書いてくださった。

先日、秋田市のどこだかの神社の神主さんから、
「元々、朱印船貿易と言うものがあって、そこから御朱印が来ているのは歴史で学んでますよね?神社の御朱印集めなんて、どうのこうの。こんなのも知らないのか。学校で学ばないのか」
云々、言われたのだが。
ううむ。
Twitterで匿名アカウントで、どこの神社だかを秘密にされている方って。
公立校では習わない事を
「こんなのも知らないのか!」
などと言う方が多い気がしてしまう。

明治維新直後の廃仏毀釈の感覚の方も多いし。

と、話が横にそれてしまったのだが。ここで、しっかりと御朱印を押される様を見ながら、御朱印とは何か?を考えてしまったのだ。

奈良・平安時代からあったようだ。
朱印船は、徳川幕府が1604年に朱印船貿易として始めたものなので、あの匿名神主さんが何を言いたかったのかはわからない。
多分、「お前は神社に来る資格がない。日本人じゃない」と言いたかったのだろう。

まあ、出会う事はないだろう匿名アカウントとはもう関わらずにということだ。
町内会長さんが、後に続く人の指導をされているのが嬉しくもあった。
神職が複数いて、常時、巫女アルバイトもいて、のような大きな神社よりも、このような村の鎮守で、お祭りは町内会で。の神社が私は好きなのだなと再確認した。

社務所にいた人たちは、私よりも少し年配であった。
浦賀辺りは昔からの漁業の町で、皆さん、漁師さんなのだとか。
だから、健康そうな感じの方ばかりなのか。


長老の1人が、社務所に掲げられている書を教えてくださった。
何でも勝海舟の書なのだそうだ。
浦賀と勝海舟は非常に縁が深く、ここ久比里の漁師たちは、船で東京(既に明治時代)に新鮮な魚を届けていたのだそうだ。


扁額「竜吟虎嘯」について
若宮神社社務所にある扁額の「竜吟虎嘯」には、
①虎が吠え。龍がうめくさま。
②英雄たちが風雲に乗じて大事業に乗り出して大活躍するさま。
などの意があります。
また、最後にある「海舟散人」というサインの「海舟」は勝麟太郎の雅号。
「散人」は、
①雅号の下につける語。
②世事にとらわれない人。暇な人。閑人。
③役に立たない人。無用の人物。
などの意があり、ここでは、①の意で使用されています。

この書は、江戸には幕臣であり、明治時代には元勲でもあった
勝海舟(勝麟太郎)先生が、
明治17年、61歳の時に揮毫(きごう)されたものです。

勝海舟先生は、安政7年(1860年)、徳川幕府が米国に初めて使節を送ったときに、咸臨丸の艦長として、浦賀港で航海中に必要な食料や水などを調達したので、浦賀の人たちとの交流が深まる事になりました。
また。慶応4年(1866年)に官軍が江戸に攻め入ろうとし時に、徳川慶喜を説き伏せ、幕府内を静めた上で、官軍の代表であった西郷隆盛と会見し、江戸城の無血開城をすることによって、江戸の町に戦火が及ぶのを防ぎました。

当時の久比里は、百戸ほどの寒村でしたが、その昔から若い者たちの意気込みは大層なものがあり、鎮守「若宮神社」の祭礼用として、三浦半島一帯の大幟(おおのぼり)、高さ約18m、幅約3mを新調する事を決し、更にその揮毫を浦賀港とも深い縁のある海舟先生に依頼することにしました。
そのために若者たちは、海舟先生が魚介類が大好物であることを聞いて、手漕ぎの舟で久比里から東京へ運び、赤坂氷川町の御邸宅へ。たびたび新鮮なものをお届けした上で熱心に懇願したので、先生も機嫌よく揮毫に応じてくださいました。
この書は、その大幟を揮毫してくださったときに、特別に書いてくださったものであります。その際の謝礼金としては、三十坪ほどの家が建てられるくらいのものであったそうです。なお、その時に書いていただいた大幟は、昭和20年、終戦の混乱期に盗難に遭ってしまい、行方知れずとなってしまいました。

町内会では社務所を使い、このような勉強会をされているのだそうだ。


それまで、浦賀=ペリーのイメージ。明治維新=西郷隆盛ら薩長連合のイメージであったものが、勝海舟という人を深く知る、検索する、図書館で調べる、きっかけともなった。
本当に感謝したい。

ここの方たちが、どれだけ村の鎮守を大事にしているか、若い人たちに受け継ごうとしているのか、改めて知ることが出来た。
京急の夏の御朱印祭りに参加されている神社だけではなく、このような小さな神社に行くことこそ、歴史を知る事だと思うのだ。

久比里若宮神社
神奈川県横須賀市久比里1丁目4−11
久里浜駅より徒歩5分

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