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そして殺人者は野に放たれる~読書記録278~

2003年に出版されたジャーナリスト日垣隆氏のルポである。


本書の犯罪者は、特別の断りがない限り実名である。日本の警察やマスコミは、被害者の名前や情報は報道するのに、加害者の側は守られることが多い。それらを踏まえて、あえて著者は断固とした決意で書かれている。

「心神喪失」の名の下で、あの殺人者が戻ってくる! 「テレビがうるさい」と二世帯五人を惨殺した学生や、お受験苦から我が子三人を絞殺した母親が、罪に問われない異常な日本。“人権"を唱えて精神障害者の犯罪報道をタブー視するメディア、その傍らで放置される障害者、そして、空虚な判例を重ねる司法の思考停止に正面から切り込む渾身のリポート。第三回新潮ドキュメント賞受賞作品。(本の紹介より)


本書の中心となっているのは、刑法39条の問題であろう。

刑法39条
1、心神喪失者の行為は、罰しない。
2、心神耗弱者の行為は、その刑を減刑する。

この刑法39条により、無罪になる者が多数いるのだ。
日本の司法の態度が問われるのだが、被害者遺族の気持ちを無視している司法関係者、精神鑑定人が多すぎるのだ。

何の関係もない人間に命を奪われた。その際、かかった医療費は遺族が支払うというのが当然になっている事実。国は何をしているのか?
被害のあった部屋を警察官が捜査で荒らした後の片づけは遺族がする。
「理解出来ない犯罪」(動機がわからない)は、なかった事にされてしまう。
刑法の多くが、明治時代に作られたままのものが多い。(個人的には、民放などもだと思う)
犯人自体が、刑法39条の事を詳しく知っている、或いは弁護士に入れ知恵されていて、演技する場合もある。
自分の意志で摂取したアルコール、覚せい剤などにより、わけがわからなくなり犯罪を犯した場合でも、罪は軽減される。外国では、アルコール摂取しての犯罪は、かえって罪が重くなる国もあるくらいだ。
検察官、裁判官は「己の出世」が大事。なので、検察官は、無罪になりそうな気配のある事件は起訴しない。
精神鑑定をすると、大抵は減刑になる。
精神鑑定とは、科学的と言えるのか?

私が心底愕然としたのは、この遺族による自費出版を「たまたま手に取った」と言う精神鑑定人・福島章氏による、以下の冷酷な一文に接した時だ。「最近、町の本屋をぶらついていると、奇妙な題の本を見つけた。タイトルは「犯人を裁いてください」とあり、「横浜・東高校生殺傷事件被害者の会」という発行所が目をひいた。この本を勝手帰ったのは、実はこの犯人を精神鑑定して「心神喪失に相当する精神状態にある」とした鑑定人の1人が他ならぬ私だったからである。
問題は二つある、一つは、検察庁の段階で不起訴処分と決めて、公の裁判で裁かれないことは合理的だということである。いったん起訴して公判になると、精神鑑定も何回か反復されるのが常である。日本の裁判では、この間に数年ないし数十年が経過する。これではせっかく無罪になっても、年を取りすぎてしまう。
第二は、被害者感情の問題であるが、犯人が死刑になったり、懲役に行ったりすれば、被害者が生き返ったり、関係者が幸福になったりするわけではない」(福島章「犯罪者たち 死に至る病」87年)
福島氏は、ご自分で語っている内容を、わかって書いておられるのだろうか。被害者と遺族に鞭打つこの攻撃的な居直りを正当化する根拠は何か。個の冷酷な一章を単行本に収めるにあたって福島氏は、遺族の手記「犯人を裁いてください」という切実な願いが込められた署名をちゃかして、ご自分の文章に「犯人を裁かないでください」という章タイトルをつけている。
(本書より)

本書から直接引用したが、昨年他界された上智大学名誉教授の福島章氏の行為は、被害者遺族に対して心無い仕打ちだ。被害者遺族を笑いたいのか?とも思うような話だ。


一般人が読むには難しい専門書(精神科医や法律家の書いた書物)を、わかりやすく紹介し、裁判の内容も記し、新聞記事になっていない事まで調べ、まとめてくださったこと。本当に感謝したい。

刑法は、やはり見直すべきではないだろうか。
又、被害者、被害者遺族を無視した現状も変えて欲しいと思うのだった。


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