あたりまえ体操を口ずさみながらあたりまえを考える

”あたりまえ”の受け取り方がわからなくなってきた。

改めて考えてみると、常識やあたりまえって何なんだろう。
・常識的に考えて無理に決まってる
・あたりまえでしょ、そんなこともわからないの?
・普通はこうする。

一般的に浸透しているとか、圧倒的に選ぶ人が多い側が当たり前であり世間の常識。
ではそうでない方は一概に駄目と言えるのか?
”常識”でない方を選ぶと奇異の目で見られることがある。
でも、その常識は誰が作ったものなのか?

周りと違うことをすると気を使ったり、人目が気になったり。

自分と他人の常識は違っている。
育った環境で許されてきたこと、そうでないことがそれぞれ違う。
常識は自分だけでは完成しない。
多種多様な人間がいて、生活していて常識が通じないなぁなんて人が現れるのは、きっとその人が自分と全く違う環境で生きているから。

ある程度標準的な生活基準があって、その中で形成される文化とかふるまいがあるからこそ”当たり前”や”常識”が浸透していって、そこから外れると違和感が生じるようになる。

生活圏が違うと言葉や食べ物が違って、たとえばお雑煮ひとつで地域性があるように、常識は細かく存在している。

常識ってなんだ……??

・常識的に考えて無理に決まってる、けど覆す方法はあるかもしれない
・あたりまえでしょ、そんなこともわからないの?わからないよ、でも私があたりまえのように知っていることをあなたは知っているのかな
・普通はこうする。そっか、でも私はこうもできるよ。

常識を認識の相違と考えて無理に押し付けあわない。
常識を謳う前に、自分が理解できない常識が出来上がった背景を考える余裕を少しでも持つ。

自分への反省点がたくさん出てきた。
柔軟に生きたいものですねえ。


『書く習慣 Day19 自分があまり賛成できない常識』でしたが……
むっずかし!!!賛成以前に常識がわからなくなってしまいました。

自分の常識は他人の非常識と言うし、自分のものさしだけで物事を見ずにあらゆる方向から見られるようになりたいものです。
あ、『なんでも自分の常識に当てはめて「”普通は”こうでしょ?なんで?」って思いがちな傾向』に、賛成できない!!

視野を広く持とう。

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